クモハ42001 (戸河内-長門本山間)

旅程(2001年6月9日〜10日)

新大阪1841-(特急ひかりRailstar379号)-2046小郡2126-(965M)-2211宇部新川---ホテル泊---宇部新川0622-(423M)-0645長門本山0652-(622M)-0657雀田0703-(621M)-0705浜河内---この間列車撮影---長門本山0833-(628M)-0838雀田0842-(728M)-0858宇部新川0904-(934M)-0950小郡1037-(SLやまぐち号)-1239津和野1425-(543D)-1505益田1546-(特急いそかぜ)-1827下関1842-(3556M)-2020新下関2025-(特急こだま584号)-2051小郡2113-(特急ひかりRailstar386号)-2325新大阪

旅行中に録音した音声はこちら


岸辺駅で


700系 ひかりRailstar
(新大阪駅 )


ひかりRailstar379号車内で


105系 (小郡駅)

予定の立たない仕事のこと

 医者という仕事は、予定の立たない仕事である。
 昨日まで調子が良かった患者が、急に具合が悪くなって緊急入院することはよくある。まあ、現実に休日が潰れる事態は数か月に1度くらいしかないのだけれど、出発を目前にしながら、確保しておいた指定券を払い戻す落胆と悲しみは限りなく大きい。
 そんな状態だから、就職してからというもの、予め切符や宿を手配する旅行は極めてやりづらくなった。

 けれども、私は鉄道ファンであるから、どうしても乗りたい列車というのが存在する。

 クモハ42型電車とマイテ49型客車である。

 クモハ42は、本州の西端・JR小野田線で毎日走っている。しかし、運転は朝夕のみで日中は"運休"だ。十二分に堪能するには、日の長い時期が望ましい。マイテ49は、6月中に限って山口線で休日に運転されるSL列車に連結される。
 両車とも、日本には1両しか存在せず、かつ"還暦"をゆうに超えた老朽車両であるから、いつ何どき故障して営業線上から姿を消してもおかしくない。事実、クモハ42型電車は、昨年末に1両が廃車となった。残る1両もいつまで走っているかいささか心もとなく、ついにこの6月、意を決して彼らに会いにいくことにした。

ハラハラドキドキの一週間 

 まず、どうしても確保しなければならないのは、全車指定のSLやまぐち号の指定席券である。
 これは、1週間前の土曜日に購入した。もし、旅行に行けなくても、1週間、切符を眺めて期待に胸膨らませて過ごす対価(!)だと考えれば、510円は高くない。これ以外の宿の予約や乗車券・特急券の手配は、旅行の見通しがついてからにしようと思う。旅行の予定が直前にキャンセルになり、無念の思いで切符を払い戻した経験は少なくない。

 私は、SLやまぐち号の指定席券を見ながら、ハラハラドキドキの1週間を過ごした。もし、重症患者が運び込まれれば、計画は一瞬にしてパーである。しかし、気候のいいいまの時期、病棟は平穏で、予想外の緊急入院はなかあった。

 出発前日の金曜日、職場近くの駅で、周遊きっぷと新幹線特急券を買った。周遊きっぷは発券に時間がかかり、旅行当日は事実上買えないことがある。乗車を予定しているひかりRailstarは、指定席に限って2人がけシートでゆったりと旅行ができる。最後に宇部市内のホテルを予約。これで、旅行に必要なものは全部揃った。しかし、万事順調にいくと思ったら、最後に大番狂わせが起きるのはよくあることだ。心せねばならぬ。

 6月9日。旅行の支度を完ぺきにしてから出勤。この日の外来は予想外に混んでいたが、何とか15時までに終わらせた。1人、入院があったが、比較的軽症であった。大急ぎで指示を出し、16時過ぎに脱兎のごとく退勤。17時まえに帰宅した。

新大阪〜小郡〜宇部新川

 Gパン・スニーカーの旅装を整え、バスでJR岸辺駅に向かう。やっと西に傾いた太陽が、草ぼうぼうの吹田操車場跡地を照らしている。

 201系緩行電車で新大阪駅。夕食の駅弁とビールを買って、ホームに上がる。土曜日だからネクタイ・スーツ姿の人は少ない。程なく21番線に8両編成の700系ひかりRailstarが入線。私の席は、6号車5番A席。新幹線普通車にもかかわらず、2人掛けのシートが並ぶ構造で、居住性は誠によろしい。自由席派の私も、ひかりRailstarに限って言えば指定席を利用する価値があると思っている。

 長距離優等列車が休む宮原運転区を見下ろしながら、列車はゆるやかに走り出した。宮原は古くからの鉄道輸送の西の拠点で、クモハ42の新製配置はここ宮原だし、マイテ49も、特急つばめとして東海道を往来していた当時は、ここで整備を受けていたはずである。

 それにしても、速い。夕食の弁当を食べ終え、2本目の缶ビールの栓を抜いたら、もう、岡山。だんだん時間の経過が速くなり、3本目のビールがなくならないうちに、小郡に着く。小学生の頃、奈良から秋吉台への家族旅行で、寝台列車に乗ったことを思い出した。

 小郡からは、宇部線のワンマンカーに乗り換えて、今夜の宿がある宇部新川に向かう。宇部線は戦時中に買収されたもと私鉄である。2両編成の列車は、数分おきに停車し、数人ずつの客を下ろしていった。

続く

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2001年6月18日 制作 
2003年8月7日 訂補