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■クモハ42001:宇部新川〜雀田クモハ42001は、1934年、関西地区の東海道線電化に際して投入された20m級鋼製電車で、現在の223系新快速電車の元祖とも言える存在である。1980年、宇部線に新性能電車が投入されて旧型車が一掃されたが、クモハ42型は両運転台で単行運転できることが幸いし、"本山支線"専用車両として生き残った。昨年、僚機の006が廃車されてから、全国のJR線上でたった1両となった営業用旧型国電(イベント用車両を除く)でもある。検査などがなければ、毎日朝夕、小野田線・長門本山支線を往復する運用に就いているはずであるだが、突然調子が悪くなることも珍しくないらしい。宇部線には、クモハ123という比較的新しい単行用車両もあるから、お目当ての車両に乗れるか否かは、まったくの運次第である。 午前5時40分、予定の時間に目が覚めた。すぐにホテルを抜け出し、駅に向かう。店じまいした商店が建ち並ぶ興産通りを数分歩くと、宇部新川駅だ。改札口の向こうに、茶色の電車が見えた。天は我を見放さず!、だ。 ニス塗りの車内には、私のほかに、乗客はビデオを回している若い男性がひとりいるだけであった。他にファンらしい人の姿は見えない。早朝とは言え、予想外の人の少なさである。 先程から、初老の運転士のつぶやくような喚呼が聞こえている。まともな乗客ゼロの単行電車であっても、安全のための地道な手順に手抜きはない。 左手から赤錆びたレールが近づき、居能着。かつては、石灰石列車で活況を呈した駅だが、今は使われなくなった何本もの側線にその面影を残すのみである。 宇部からの上り電車の到着を受けて、電車は小野田線に乗り入れる。やはり、電車の速度は上がらないが、その騒音と振動から受けるスピード感は相当のものだ。PC桁の"鉄橋"で厚東川を渡り、雀田着。 雀田駅は、単線の本線から本山支線が分岐しているだけの小駅であった。三角形のホームの1辺が本線ホーム、もう1辺が本山支線ホームで、残りの1辺に小振りな木造駅舎が建っている。 ■クモハ42001:本山支線雀田駅で小休止のあと、電車は通称本山支線に乗り入れる。運転時刻表によれば、線区の最高速度は45Km/h。水田と民家が入り交じった平凡な風景のなかを、単行旧型国電は淡々と走る。もう、40年近く走り続けた路線である。 浜河内でファン1名が下車。切り通しを抜けると、雑誌などで幾度も見た長門本山に到着した。乗降客ゼロ。電車は程なく折り返す。さっきの男性がカメラを構えているのが見える。 2度目の雀田に到着。しかし、乗降はない。再び下り列車となったクモハ42001は、私と運転士だけを乗せて、長門本山に向けて出発した。 1面1線の短いホームがあるだけの浜河内で下車。クモハ42が走る様子を撮影しながら、長門本山まで歩く。 長門本山は、どの本にも書かれているとおり、周囲には商店ひとつないところである。駅から、周防灘が見える。かつては、海底炭坑から石炭を掘りだしていたらしいが、いま、その面影を残すものは何もない。 折り返し時間が30分ほどあるので、クモハ42をじっくり観察する。 出発間際になって、若い女性が駆け込んできた。 ■雀田〜宇部新川〜小郡 雀田から、105系ワンマンカーで小郡に向かう。 居能を出た電車は、化学コンビナートを眺めながら路地裏のようなところを走る。右に左にカーブする妙な線形だと思ったが、あとで調べてみたら、雀田-宇部新川間は、戦後、貨物輸送を効率化するために急ごしらえで敷設された区間だとわかった。 宇部新川駅からは、車掌が乗務して小郡に向かう。旧私鉄電車らしく、駅の間隔は極めて短い。沿線風景は田んぼと住宅が入り交じった平凡なものであったが、赤レンガのサイフォンが多数残されているのが目についた。今は田植えのシーズンであるが、これらの古典的なインフラは今でも活躍しているのであろうか。 ローカル線の乗客は、駅員が勤務する拠点駅と無人のローカル駅との間を乗車するパターンが圧倒的である。従って、列車は徐々に空いていくか、しだいに混んでくるかのどちらかなのだが、宇部線に限って言えば、無人駅から無人駅までの乗車がかなりある。つまり、乗客の顔ぶれは変わっても総数に変化はない。 少し居眠りをするうちに、小郡着。 |
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2001年6月18日 制作
2003年8月5日 訂補