29D 特急いそかぜ (下関駅)


津和野駅に進入する1043D・特急おき3号


益田駅


キハ181の車内


キハ180にあった冷水器
絶滅寸前の旧国鉄型特急車両のアイテムのひとつ。


日本海の眺め


うに丼 2,000円!

津和野〜益田〜下関

 駅前食堂で昼食をとったあと、駅のはずれにあるSLやまぐち号専用のピットを見学。2時間弱の時間はあっという間に過ぎた。(→詳細はこちら)

 このまま、上りのSLやまぐち号に乗りたい衝動に駆られるが、予定どおり益田に出て、残り少なくなったキハ181系気動車特急に乗ろうと思う。

 14時22分頃、3両編成のキハ181系・特急おき3号が到着。
 キハ181系気動車は、山岳非電化路線の特急用として製造された車両である。かつては食堂車やグリーン車も擁した系列だが、いま、山陰西部を走っているのは、普通車だけの最短編成となったローカル特急車両である。目を覆わんばかりの凋落ぶりだが、それでも名車キハ82型の流れを汲む顔つきには、凛とした美しさを感じる。この7月のダイヤ改正で、新鋭気動車に置き換えられることが決まっており、マイテ49との並びは今年が最後になるはずである。

 おき3号の到着と入れ替わりに、私の乗った単行気動車が益田に向けて発車。乗客は全部で十数人。ローカル線の置かれた厳しい現実を感じざるを得ない。

 15時05分、益田着。

 この駅に来るのは、2年ぶりである。7月からの新型特急運転開始に備えてホームが嵩上げされ、信号の改良工事が進んでいる。けれども、駅前商店のいくつかがまた店じまいしており、高速列車運転開始を祝福する雰囲気はない。

 15時45分、キハ181系3両編成の特急いそかぜが到着。
 特急いそかぜは、1961年、キハ82系気動車を使って走り始めた特急まつかぜのなれの果てである。新設時の運転区間は京都-博多間(福知山・山陰線経由)であったが、その後運転区間は徐々に短縮され、現在は米子-小倉間になっている。山陰線は、京都と幡生を結ぶ本線だが、現実はローカル路線の集合体で、全線を通し運転する列車が1本もないことがその現実を物語っている。

 山陰本線の凋落の歴史の生き証人的列車に、益田からの乗車はわずかに2人であった。そのほかに、『下関総合鉄道部』の名札をつけた係員5〜6名が乗り込む。客より便乗する職員のほうが多いという、国鉄末期によく見かけたわびしい光景である。

 2号車の自由席には、10人あまりのお客がいただけだった。進行右側、日本海を望む席を確保する。

 この区間は、2年前にも乗っている。あの時は、非力な単行気動車であった。今日は、強力なエンジンを積んだ特急車両だから、加速や乗り心地はまったく違う。けれども、カーブが続くせいか、特急と言えどもスピードはあまり出ない。70〜80Km/h程度と思われる。山陰から九州方面へのメインルートは、山口線を経由して小郡から新幹線に乗る経路にとって代わられてが、その理由も理解できたような気がした。

 けれども、そんな閑散路線ほど、車窓の眺めは魅力的だ。小さな入り江に瓦葺きの民家が寄り添い、駅がある。今日の日本海は穏やかだが、冬の季節風が吹く頃は、もっと寂寥感溢れる風情になるのではないかと思う。
 2号車後ろよりの車掌室に行くと、さっき益田で乗った係員が、『米子車掌区』の名札をつけた車掌から、機器の取り扱いについて何やら説明を受けている。7月から、いそかぜの運転区間は更に短縮されて、益田-小倉間になる。列車の受け持ちが変更になるので、その講習なのであろう。

 東萩では、観光客らしいグループ十数人が指定席車に乗り込んだ。これで、車内は少し特急らしくなる。とにかく、これまでがあまりに惨憺たる乗車率だったのだから。

 長門市、滝部、川棚温泉と停車するごとに、今度は自由席の乗客が増えていく。客が席につくたびに、車掌が検札に現れる。客の告げる行き先はほとんどが小倉であった。

 18時27分、下関着。
 ホームが堂々としているものだから、3両編成の特急は余計に短く見える。4分後、JR西日本の運転士が乗務したままのキハ181系は、関門トンネルに向けてホームをあとにした。

下関〜新下関〜小郡〜新大阪

 夏至が近く、かつ、本州最西端にいる関係で、あたりはまだ真昼のように明るい。しかし、時刻はすでに6時半をまわっている。
 新幹線の威力で、まだまだ余裕で大阪に帰りつけるので、ここで夕食をとることにした。盛り場まで行く余裕はないので、駅前の商業ビルに入ると、すし屋があった。『夏の味覚 うに丼 2,000円』のお品書に目がくらみ、ビールとともに注文。しばらくして運ばれてきた料理は、すし飯の上に無数の薄いウニが乗ったもの。ウニの甘味は感じられず、少しがっかりした。

 下関からは、山陽線の普通電車で新下関に向かう。
 山陽新幹線は、急カーブを避けるため、少し大回りをして関門海峡を潜っている。だから、下関と門司には、駅は造られなかった。
 下関の代替として設置されたのが新下関駅であるが、在来線と新幹線はほぼ直角に交差するかたちになっているため、乗り換えにはかなり長い距離を歩かねばならない。その通路は予想外に長く、新幹線ホームに上がると同時に、0系6両のこだま号が入線してきた。

 昨年新設された厚狭で、後続ののぞみ500号をやりすごす。
 厚狭は一昨年新設されたばかりの駅である。ホームは16両対応だが、屋根のある部分はごくわずかで、かなり質素な感じだ。
 いっぽう、国鉄時代、山陽新幹線の開業と同時に開設された駅は、全駅、16両対応のホーム上屋が設けられている。将来を見越して十分な投資をするのが国鉄流だったのかも知れないけれど、結局、過剰設備は使われないままに放置されている。
 親方日の丸の経済観念の欠落は、現場職員のみならず、経営幹部にもどっぷり染み渡っていたのだと思う。

 今回の旅行で3回目の小郡で下車。後続のひかり386号に乗り換える。新大阪までの今夜の最終列車である。
 指定された6号車に乗り込むと、座席は全部ふさがっている。唯一、ぽっかりと空いていたところが、私に割り当てられた座席であった。


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2001年6月18日 制作 
2003年8月5日 訂補