急行『たかやま』−−最後の急行グリーン車の旅(1)


大阪駅11番ホームて出発を待つ急行『たかやま』

 99年12月のダイヤ改正で、またひとつ、伝統ある急行列車が消えることになりました。
 急行『たかやま』、大阪と飛騨地方を結ぶ唯一の直通列車です。12月からは、JR東海の新型気動車キハ85系『ワイドビューひだ』となるので、その特異な運転系統自体がなくなるわけではないのですが、グリーン車を連結した往時の亜幹線優等列車の姿は過去のものとなります。
 ダイヤ改正をまえに、グリーン料金を奮発して、最後の急行グリーン車に試乗してきました。

●旅程(1999年10月24日)

大阪0802-(4711D・急行たかやま)-1309飛騨古川1339-(827D)-1530富山--<富山地鉄市内線>--富山1916-(4044M・特急雷鳥44号)-2219京都

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■急行『たかやま』(大阪〜岐阜)

 大阪駅の11番ホームに上がると、4両編成のややくたびれたディーゼルカーが停車中であった。4711D、急行『たかやま』飛騨古川行きである。
 乗車口には長い行列ができているが、これは次に出発する『雷鳥5号』の自由席を目指す人たちで、オンボロ急行の自由席はそれそれ10人足らずの乗客しかいない。最後尾の指定席車だけは2/3程度が埋まっていて、伝統の行楽列車の面目を辛うじて保っているようであった。
 朝食の弁当と缶ビールを買い、2号車に乗り込む。キロ28 6002、JRグループ最後の急行型全室グリーン車である。
 かつての気動車急行全盛期には、大半の列車にこのグリーン車が連結されていた。当時の普通車(キハ58/28)は、ボックスシートで冷房のない車両も多かった。その中にあって、うす緑の帯を巻き、冷房を完備したグリーン車・キロ28は、編成中に燦然と輝く宝石(少し過大な表現かな?)のような存在であったような気がする。
 じゅうたんが敷かれた車内でくつろぐ乗客は、かっぷくのいい紳士や品の良さそうな婦人が多く、その車掌室にはダブルの制服を着た年配の車掌長が乗務していることが多かったような気がする。もちろん、周遊券を持った私には無縁の存在で、精々清潔な洗面所をこっそり使い、冷水器の水を失敬する程度のかかわりしかなかった。
 あれから20年近い歳月が過ぎた。中途半端な急行列車は、あるものは特急に格上げされ、またあるものは快速に格下げされて、いまは数えるほどしか残っていない。そして、特急ですらグリーン車を連結しない列車があるいま、急行のグリーン車は、国宝級の貴重品なのである。今回は、その"最後の急行グリーン車"試乗の旅である。

キロ26 6001車内

グリーン車の表示

 さて、辛くも残った急行『たかやま』のグリーン車であるが、普通車がオリジナルのボックスシートからリクライニングシートに取り換えられているので、見た目の差異は少ない。しかし、グリーン車であるから、当然のことながらグリーン料金が必要である。特急・急行用グリーン料金は思いのほか高価で、終点飛騨古川までだと400キロまで4,000円である。(ちなみに、急行料金は1,260円) 私は、途中の美濃太田までのグリーン券を買った。これなら200キロまでの料金区分となり、2,670円で済む。
 さて。この日急行『たかやま』のグリーン車に乗っているのは、一見して鉄ちゃんとわかる男5人程度で、かっぷくのいい紳士や品の良さそうな婦人はいない。鉄ちゃんたちは、カメラやビデオを持って車内をウロウロしている。グリーン車の"売り"は、その落ち着いた雰囲気でもあるのだが、この『たかやま』に関して言えば、編成中でもっとも落ち着きのない乗客が集まった車両になっている。もっとも、私の乗車目的も彼らと大差ないから、偉そうなことは言えない。
 私に指定されたのは、2号車A席。進行方向左側の席である。せっかく高い料金を払ったのだからと、シートを思いっきり倒し、フットレストに脚を投げ出す。やはり楽ちんである。8時02分、床下のエンジンが唸り、列車はホームを離れた。

 大阪を出た『たかやま』は、複々線の外側線を走る。車窓から差し込む朝日が遮られたと思ったら、内側線を走る最新鋭の207系普通電車が徐々に我が『たかやま』を追い抜いていく。淀川に架かる鉄橋で完全に追い越され、新大阪で一旦追いついたが、スタートダッシュで再び敗北。もっとも、相手は東淀川に止まるためにすぐに減速して、以降、二度とこの俊足の普通電車の姿を見ることはなかった。
 草ぼうぼうの吹田操車場跡を見ながら、列車は更に加速する。最高速度は95Km/h。130Km/hで突っ走る223系とは大差があるが、この老朽気動車がこれほどスピードを出す線区はほかにないであろう。

検札

普通車の車内

 ほどなく、JR東海の制服を着た車掌が検札にやってきた。乗車券と急行券をチラと見て手持ちの座席表にチェックするだけである。切符には検印すら捺さない。なんだかちょっと拍子抜けである。
 けれども、彼はこの列車のたったひとりの車掌のようで、検札のほか、車内放送やドアの開け閉めなどに忙しい。
 車掌の業務は、検札や車内放送などの乗客への対応だけではない。信号機が青になっていることを確認してのドアの開け閉めであるとか、万一事故が起こった時の列車防護(他の列車が更に衝突しないように非常停止させるための手配)など、列車の運転・安全確保にも重要な役目を担っている。かつての優等列車には、こうした運転業務を兼任する車掌(運転担当車掌)と、もっぱら旅客への対応を行う車掌(専務車掌)が車掌長(扱い=カレチ)とともに乗務していたけれど、近ごろの亜幹線優等列車では、すべてを兼任する車掌が一人しか乗務していないのが通例である。

 きらびやかな京都駅1番ホームで更に乗客を乗せた『たかやま』は、逢坂山のトンネルを抜けて近江路に入る。大津、石山、近江八幡...。どの駅でも必ず数人の乗客が乗り込む。大阪発飛騨古川行き急行『たかやま』。首都東京に住む人たちにはまったく無縁の経路をたどる急行列車だが、今日まで走り続けたのはそれなりの需要があったのだろうと思った。

"場内進行!!"

岐阜駅にて

 京都から、在来線の南側を走ってきた東海道新幹線が近づいてくると、米原が近い。米原操車場跡地では、大手機械メーカーの真新しい研究所が新築中であった。1984年2月の貨物ヤード全廃から15年を経て、各地でその跡地再利用が活発化しているようである。
 東海道線下りホームが移動した米原でしばらく停車したあと、列車はJR東海の領地に乗り入れる。
 床下のエンジンがひときわ高く唸って、ディーゼル急行は関ヶ原越えに挑む....というシーンを想像していたのだけれど、2エンジンのキハ58を2両も連結した『たかやま』は、十数パーミル程度の勾配は大した障害にはならないようで、列車はあっさりと関ヶ原駅を通過、濃尾平野に向かって勾配を駆け降りる。大規模な電車区を右手に見ながら大垣に停車。長良川を渡って真新しい高架橋に駆け上がり、岐阜に到着。

続く


(C)Heian Software Engineering 1999.11.4
1999.11.8 改訂 2003.9.19一部修正