急行『たかやま』−−最後の急行グリーン車の旅(4)


富山地方鉄道市内線(富山駅前)
右が私が乗った電車。女性運転士が乗務している。

■富山地方鉄道市内線

 富山では時間にかなりの余裕がある。

 まずは駅ビルの中を見学。
 富山駅本屋は、地方の拠点駅でよく見かける『ステーションデパート』を併設した四角い建物である。かつてJRが国有鉄道と呼ばれていた頃、駅の建物は当然国有財産であって、その中で商業活動を営むことはできなかった。1950年代になり、駅舎の改築費用にこと欠くようになった国鉄と駅の集客能力に目をつけた小売業者の利害が一致して誕生したのが"民衆駅"と呼ばれるこの種の駅舎である。民間が駅舎の建築費用を持つ代わり、その中で商売を営む形態である。
 東京駅(八重洲口)や広島駅、大阪の天王寺駅などは皆この制度で建築された建物である。その多くは築後30〜40年を経て改装の時期にあたっている。この富山駅も外観は現代的になっているけれど、広い待合室や駅事務室に鉄道が陸上交通の主役であった頃の面影を忍ぶことができる。

 駅ビル2階で巨大な蒲鉾が見つけた。たて20cm、よこ10cmはゆうにあろうかと思われる大きさで、紅白セットになっており、"福"とか"壽"などおめでたい文字が書かれている。鶴や亀、鯛などのかたちをしたものもある。
 細工蒲鉾といい、当地では結婚式の披露宴や棟上げの宴席で配る習慣があるという。値段は数千円程度、もちろん、観光客相手の品物ではないから、値札には『要予約』と書かれていた。

細工蒲鉾

富山駅本屋

富山地方鉄道 電鉄富山駅にて

 富山地方鉄道・電鉄富山駅横の喫茶店でひと息入れたあと、今度は路面電車に乗ってみることにする。富山地方鉄道市内線である。
 駅前の電停で待っていると、程なく南富山行きがやってきた。運転席の窓の下にひとつ目玉の典型的路面電車スタイルの車両である。マスコンハンドルを持つ白い手袋が妙に優しいと思ったら、運転しているのは女性であった。心なしか加減速のショックが少ないようである。
 道路は比較的空いていて、電車は快調に走る。途中、『西町』というあたりがいちばん賑やかそうであったが、人手はそれほどでもない。クルマ社会のいま、休日に人々が集まるのは郊外のバイパス沿いの店舗であって、都心の商店街が地盤沈下しているのは全国共通の現象かも知れない。

 南富山駅は、鉄道線との接続駅で、路面電車の車庫がある。くだんの女性運転士に代って、こんどは初老のおっさんが運転する電車で富山駅に戻った。

富山地方鉄道市内線の車内

南富山駅

 駅ビル2階のすし屋に入り、少しお酒を呑むことにした。
 客の大半は列車に乗る人たちで、時計を見ながらちらし寿司などを掻き込んでいるが、私が乗ろうと決めている『雷鳥44号』まではまだかなりの時間があるので、日本シリーズの中継を見ながら適当に握ってもらった。
 ネタはありきたりのものしかなかったけれど、地元産という甘えびだけは厚くねっとりとした身がついていて非常に旨かった。

富山駅ビルで食べた甘えびの造り
ねっとりとした身が旨かった。

485系3000番台(富山駅)

 19時すぎ、京都までの自由席特急券を買って入場する。
 富山駅のホームは暗く、名物ます寿司を売る売店だけが妙に明るい。自動放送のあと、越後湯沢発金沢行きの『はくたか14号』が到着。JR東日本所属の485系3000番台で、先頭車両はまるで新車のようだ。もっとも、それ以外はあまり手を加えられていないようで、車体幕板は凹凸が目立つ。

 『雷鳥44号』は、ボンネット型の先頭車であった。国鉄時代そのままのクリーム色とマルーンの塗りわけである。
 7号車には、私のほかに数人の客しかいない。電車は再び神通川を渡って、ぐんぐん加速する。北陸線は、JR西日本の在来線ではもっとも手入れの行き届いた路線のひとつであるから、乗り心地はすこぶる良い。
 高岡、金沢、小松...。予想通り、下車する客はほとんどおらず、敦賀を出たときには自由席車はほぼ80%位の乗車率となった。
 22時19分、京都着。

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