長岡→十日町


長岡駅で


小千谷-越後川口間で


魚野川を渡る(越後川口-内ケ巻間)


十日町駅で

 長岡からは、上越線で越後川口に行き、そこから飯山線に試乗する予定となっている。

 急行きたぐにが到着したホームの向かいには、1両の新型気動車が軽快なエンジン音を響かせていた。7時24分発の十日町行き普通列車で、1日1本だけ運転される上越線から飯山線への直通列車でもある。

 10人足らずの客を乗せた列車は、複雑なポイントをゆっくりすり抜けたあと、複線電化の立派なレールの上を軽やかに加速していく。まるで、電車のような乗り心地である。

 宮内で信越本線と袂を分かつと、列車は一面の水田の中を走る。越後滝谷を過ぎたあたりで右手に信濃川が寄り添ってくると、列車はしだいに丘陵地に乗り入れていく。

 このあたりは、昨年(2004年)10月に発生した新潟県中越地震の震源地付近である。
 車窓をかすめる電柱に、時折真新しいものが混じっているのは、災害復旧の跡であろうか。緑に覆われた山々にも、がけ崩れとおぼしき地肌がむき出しになった場所が点々と見える。
 けれども、屋根にブルーシートを掛けた家は1棟も見かけなかった。阪神淡路大震災では、数年経っても仮復旧のままの住宅が少なくなかったのだが...。
 この付近は日本有数の豪雪地帯でもあるので、人が住む家だけは、去年のうちに何が何でも修理したのかも知れない。

 越後川口では、列車は下り線を横断して、飯山線用のホームに入る。乗務員も交代して、ここからはワンマン運転だ。

 越後川口を出た列車は、大きく右に曲がって、魚野川を渡る。薄い道床に木製の枕木。カブリツキから見る前方風景には、架線のない青い空が広がっていた。

 列車は、いかにもローカル線らしい速度で、山あいのレールをたどっていく。どの駅もみな、新しい駅舎に建て替えられていて、ちょっと面白みがない。しかし、必ず数人ずつの乗車があって、車内は徐々に混んでくる。

 まるで新幹線のような北越急行の高架橋をくぐると終着駅の十日町。大勢の乗客が下車して、ガラガラになった車内に、列車がこのまま戸狩野沢温泉行きになる旨のアナウンスが流れる。

 20分ばかり停車することになるので、私は駅前探検に出かけることにした。

 線路の南側にあるJRの駅前は、昔ながらの商店が並んでいたが、どこもシャッターを下ろしたままであった。反対側の北越急行の駅は、高架橋と一体となっていて、まるで、新幹線の駅みたいだ。広い駅前広場は空き地ばかりで、これまた閑散としている。

 喫茶店でもあれば、目覚ましのコーヒーを...と密かに期待していたが、結局、自販機の缶コーヒーを買って帰るしかなかった。

十日町→戸狩野沢温泉


越後水沢駅で


横倉駅で


千曲川


戸狩野沢温泉駅で

 十日町を出た列車はしばらく市街地の中を走るが、並走する北越急行線は、高架橋から徐々に高度を落としたあと、今度は地下鉄のごとく地中にもぐってしまう。たいした山もないのにトンネルを掘るとは、雪害対策なのか、あるは、土地買収の関係なのか、一介の旅行者である私には知る由もないが、いずれにせよ、贅沢な線路の敷き方である。

 ささやかな市街地を抜けて、一面の田んぼの中を走った列車は、色とりどりの花が植えられた越後水沢駅を過ぎたあたりから、信濃川が造った深い谷に沿って進むようになる。

 急カーブや急勾配が目立ち、強力なエンジンを持つ気動車もそのパワーを発揮できないでいる。けれども、それは単に地形が急峻になったからだけではあるまい。

 飯山線は、信越本線豊野駅と上越線越後川口駅を結ぶ、全長96.7Kmのローカル線だが、その生い立ちは、少しく複雑である。飯山線のうち、豊野-十日町間は、私鉄であった飯山鉄道によって敷設されたもの。1944年、いわゆる戦時買収により国有化され、十日町-越後川口間の十日町線とあわせて、飯山線となったものだ。

 その気になってよく見ると、十日町を過ぎてからは、どの駅のホームも非常に短い。幅の狭い島式ホーム1面だけという駅も少なくない。国有化されて40年余、その後再びJR東日本という民間鉄道になった訳だが、その出自が今も何となく分かるかたちで残っているのが興味深い。

 9時04分、津南着。乗客の1/3くらいが下車する。津南町の中心となる駅で、真新しい駅舎には温泉浴場もあるという。ひと風呂浴びてみたい気もするが、ここで1本列車を落とすと、あとの旅程が非常に窮屈になる。

 津南駅を出た列車は、いよいよ急峻になった信濃川左岸に沿って走る。時折現れる小駅に列車は丁寧に止まっていくが、乗降客はほとんどいない。

 9時18分、森宮野原着。長野-新潟県境に位置する駅で、"森"は駅がある長野県下水内郡栄村、"宮野原"は隣接する新潟県中魚沼郡津南町の地名である。

 県境を過ぎると、寄り添う川の名前が千曲川に変わる。同じ河川が、県によって異なる名前で呼ばれることは珍しいことではないが、新潟でも"信濃川"と、長野にちなむ名前であるのは、ちょっと妙な気がする。

 9時58分、戸狩野沢温泉着。

 路線バスの連絡はないので、タクシーで野沢温泉に向かった。

参考リンク

野沢温泉


戸狩野沢温泉駅


野沢温泉 大湯


大湯の浴室

 古くからの温泉地には、必ずと言っていいほど、共同浴場がある。

 共同浴場とは、地域の住民が、自分たちが入る目的で、お金や労力を出し合って共同で管理している浴場のこと。
 銭湯と異なり、プライベートな浴場なので、基本的には構成員しか入浴できない。しかし、若干の入浴料を支払うことで、部外者でも入浴できるところがほとんどである。
 商業施設ではないから質素な造りのものがほとんどだが、歴史的経緯から、新鮮な温泉を贅沢に使っていることが多い。従って、お湯にうるさい温泉ファンには大変注目されている存在である。

 野沢温泉には、こうした共同浴場が13もある。江戸時代から続くという"湯仲間"という住民組織によって維持・管理されている浴場で、驚くべきことに、誰でも無料で入浴できるのである。
 時間の都合で全部は入りきれないので、まずは大湯と呼ばれる浴場に入ってみることにした。ちなみに、大湯とは、温泉地の中心となる浴場の、当地方での一般的な呼び名である。

 ご覧のとおり、湯屋は風格ある木造建築である。
 これだけでも温泉ファンの心を鼓舞すること間違いなしだが、その浴室は、高級温泉旅館にも負けないくらいのたいへん風情のあるもので、しかも、そこにいかにも温泉らしい硫黄臭を伴う湯がかけ流しになっているのだからたまらない。

 さっそくかけ湯をしてお湯に入ってみたが、これが恐ろしく熱くて、1分とつかってはおられない。

 普通の浴場なら、フロントに文句のひとつも言いたくなるが、ここは共同浴場。地元の人たちの風呂にタダで入れてもらっている客人が、あれこれ注文をつけるのは遠慮せねばなるまい。

 "郷に入れば郷に従え"の言葉を思い浮かべながら、30秒つかっては涼む入浴法で、この極上の温泉を楽しませてもらった。

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制作:2005年10月18日 修正:2005年10月28日