大阪→長岡 急行きたぐに : 米原駅

 一旦寝台にもぐりこんだものの、やはりなかなか眠れない。

 『ガタン、ゴトンというレールの音を子守唄代わりに...』というのは遠い昔の話で、現代の急行きたぐに号は、ロングレールの上をすべるように走っている。単調な走行音に次第に意識が遠のくが、たまにポイントを通過する不規則なジョイント音が聞こえると、『ここはどこの駅かな』ととたんに目が冴えてしまう。

 やがて、列車はいくつものポイントを渡って、ゆっくり速度を落とし始めた。大駅に到着するとき特有の挙動で、狭い寝台車のベッドの中にいても列車が米原に着くと理解できる。

 もう、眠気も完全に吹き飛んでしまったので、思い切って深夜のホームに降りてみた。

 大阪から新潟まで、夜を徹して走り続ける車両たちは、古びたホームに身を横たえて、いっときの休息をとっているかのように見える。
 減光されたグリーン車は真っ暗で、車内の様子は伺えないけれど、明るいままの普通車の窓には、思い思いの姿で一夜を過ごす旅行者の姿があった。

 古レールを組み上げた旅客上屋と、もう使われることのない洗面所。少なくとも半世紀前からここにある蒸機時代の遺物は、今日まで幾本の夜行列車を見送ってきたのだろうか。
 ひとけのないホームに、電照式の駅名標だけが眩く輝いている。

 乗客の姿がない駅にも、列車を動かす人たちはいる。
 列車の先頭では、短い言葉と敬礼を交わして運転士の交代が行われる。ホーム中程では、駅の運転係が腕時計を睨む。グリーン車の窓から上半身を乗り出した車掌は、何度もホームの様子を監視する。
 あの事故があったからかどうかはわからないけれど、深夜の米原駅で急行きたぐにの運転に携わる鉄道員の顔つきは、皆、真剣そのものであった。

 いくら自動化が進んだとは言え、鉄道業というのは、結局、普通の、そして多くの現場職員が黙々と働いてこそ成り立つ産業なのだと思う。たった一人のちょっとしたひらめきや思いつきが巨額の富をもたらすIT産業とは、訳が違うのだ。

 否、鉄道だけではないだろう。現実の社会というのは、今でも、無数の名もない人たちが、黙々と働いているがゆえに成り立っていると信じている。もし、こうした人たちの多くが、『まじめに働くのが阿呆らしい』と感じ始めたら、この国はあっさりと崩壊してしまうに違いない。

 残念ながら、そういう時代は、つい目の前まで来ているような気がするが。

大阪→長岡 急行きたぐに : 夜行列車の朝


B寝台中段ベッドのなかから

 米原駅を出たところで、私はいきなり深い眠りに落ちたようである。

 次に目が覚めたときは、小窓に朝の陽光が眩しく差し込んでいた。見れば、列車は一面黄金色に染まった水田の中を快走している。列車は、どのあたりを走っているのであろうか。

 寝台列車の朝、通路の腰掛けを引き出して、車窓をぼんやり眺めて過ごすのはいいものだ。
 見知らぬ土地の、まだ見たことのない朝の風景。ひとつ、ふたつと小駅を通過するうちに、記憶に残る駅名が現れて、自分の居場所がわかってくる。

 けれども、寝台電車は通路の両側がベッドになっているので眺望はきかない。車内はまだ夜が続いているかのように暗いままである。洗面道具を手にデッキに出たら、突然朝がきたようであった。

 洗面所で歯磨きをし、身支度を整えていたら、はやくも長岡到着の放送が流れ始めた。

 7時17分、長岡着。

 雪国新潟の朝の空気はひんやりしていて、縦じま半そでの制服でホームに立つJR西日本の車掌の姿が、どこか場違いに見えた。


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制作:2005年10月20日 修正:2005年11月2日