木津温泉→豊岡→城崎温泉 |
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木津温泉に進入する普通列車
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源泉掛け流しの極上湯を堪能した私は、大急ぎで木津温泉駅に戻り、14時32分発の豊岡行き普通列車に乗った。やはり単行の気動車で、車内は7割方の座席が埋まる程度の混み具合である。 木津温泉を出た列車は、松林が続く砂丘地帯を通る。このあたりでは、砂地を利用してのメロンや長芋作りが盛んなのだという。車窓からはいくつものビニールハウスが見えた。 久美浜ではしばらく停車して、対向列車の到着を待つ。 鉄道路線図を見るだけでは気づかないが、ここ10年ほどのうちに、地方の路線バス網は壊滅的とも言える整理統合が行われた。JRの幹線を大動脈とすれば、宮津線のようなローカル線は中小の動脈、そして、路線バスは毛細血管に相当する。太い血管は残っても、毛細血管がなければ血液は流れない。路線バスの廃止は、公共交通網の崩壊を意味する。それはやがて、ローカル線そのものの廃止に結びつくだろう。 15時13分、豊岡着。 一旦改札口を出て、券売機で城崎温泉までの往復乗車券を買った。私が手にしている岸辺から岸辺行きの片道切符(東海道、山陰、舞鶴、KTR、山陰、福知山、東海道線経由)では、豊岡-城崎温泉間には乗車できない。 次に乗るのは、15時31分発の城崎温泉駅行きの下り快速列車である。早く来ないかと駅の上り方を眺めていたら、列車は意外にも下り方から入線してきた。あとで調べたら、西舞鶴始発のKTRの特急で、久美浜から快速列車となって城崎温泉まで乗り入れている。シーズン中は木津温泉にも停車することになっており、最初からこの列車にしてもよかったと思う。 特急を出自とする快速列車だから、車両はもちろん特急型(KTR8000系)で、JRの普通列車の中では、恐らくもっとも設備のいい列車のひとつであろう。 JRの若い運転士が乗り込み、列車は城崎温泉に向けて動き出す。程なく右手に寄り添ってくるのは、円山川の穏やかな流れである。 対岸に黒い岩肌がチラリと見えるが、これは国の天然記念物に指定されている玄武洞。古くからの景勝地で、山陰本線の同名の駅が最寄りだ。対岸への渡し船は1999年に廃止されているが、ネット上の最新情報でも、未だに『山陰本線から渡船3分』という案内文が書かれており、その実態はどうもよくわからない。 15時44分、城崎温泉駅着。 これまでは、単に"城崎"という格調高い駅名であったが、3月1日(2005年)からは"温泉"の2文字が付くことになった。翌月1日の合併でその名が消えることを惜しんだ城崎町が、約4,600万円を負担して駅名を改めたのだという。 けれども私は、これは"熱海"駅を"熱海温泉"駅、"別府"駅を"別府温泉"駅と改称するに等しい暴挙であったと思っている。 "温泉"という即物的な普通名詞がつくことで、"城崎"という地名(---全国的に見ても、決して無名とは言えないと思うのだが...)が持つ情緒的な余韻が瞬時に消え失せてしまうではないか。 |
城崎温泉 |
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城崎温泉駅の改札口を抜けると、そこはもう温泉街である。 駅前広場には、観光地特有の華やいだ雰囲気が漂っている。お盆休みの最中ということもあるが、私の予想以上に多くの旅行者が行き交い、さすがにA級の温泉地だけのことはある。 5年連続して、『また行きたい温泉ランキング』のトップに挙げられた城崎の人気の秘密は、外湯巡りにある。温泉街には7つの温泉公衆浴場(外湯)が点在しており、宿泊客は浴衣に着替えてこれを回るのだ。 1950年代までは、温泉といえばこのスタイルがあたりまえであった。しかし、高度成長期には、各旅館は競って自前の風呂を作り(内湯旅館)、団体客の誘致に力を入れた。職場単位で温泉旅館にやってきた人達は、内湯に入り、ドンチャン騒ぎの宴会をする。翌朝のチェックアウトまで、旅館から一歩も外に出なかった---という温泉旅行も珍しくなかったのではないか。 しかし、そんな古い団体旅行が敬遠されるようになった今日、個人客を相手とした古くて新しいスタイルの温泉の楽しみかたが再び脚光を浴びているのだと思う。 駅の右手にあるさとの湯は、2000年に開業した新しい外湯で、露天風呂やサウナ、泡風呂など、都会のスーパー銭湯にも匹敵する充実した設備を誇る。今日3回目の入浴は、ここである。 重症の温泉ファンでもある私には、少なからぬ不満があるのも事実だが、ごく普通の鉄道ファンの皆さまには十分満足できる外湯ではないかと思う。 なお、施設の詳細はこちらをご覧いただきたい。
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