1961年9月 青森駅

 昭和30年代は、国鉄の姿が大きく変化した10年間であった。その間の主な出来事を年表にしてみた。

 東海道本線の全線電化完成から新幹線開業まで、たったの8年(!)であるが、この間に東京を起点とした幹線の電化が毎年のように伸び、新しい技術が次々と実用化され、新系列車両が投入されていったことがわかる。
 その後、1987年3月31日までの国有鉄道の歴史は、この10年で開発された技術や車両を全国に配備する歴史であり、これを超える画期的な技術や車両の登場は皆無であったと言っても過言ではない。(注1)

 これらの新技術は、経済活動がおう盛な太平洋ベルト地帯に優先的に投入された。北海道や北東北、南九州に鉄道の技術革新が及ぶのは昭和40年代に入ってからで、昭和30年代半ばにあっても、これらの地域には旧態依然とした鉄道の姿があった。

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 ここに掲げたのは、1961年9月の青森駅の発車時刻表である。

 1960(昭和35)年に登場したディーゼル特急"はつかり"と2往復の気動車準急が国鉄近代化の黎明を告げてはいるが、それ以外は旧来の鉄道がそのまま残っていると考えて良い。(なお、この翌月、大阪-青森間日着可能な気動車特急"白鳥"が登場する。)

 さて、この時刻表を見てまず目に付くのは、長距離鈍行の多さである。

 青森をたつ東北線の上り普通列車は1日10本だが、そのうち実に半数にあたる5本が上野行きである。終着までの所要時間は約22時間だから、必然的にどの列車も夜行列車となる区間がある。奥羽線系はもっとすごくて、日本海縦貫線を走破する大阪行きの鈍行列車が2本もある。その所要時間は約30時間。夜11時50分に青森を出る第514列車は、ふた晩走り、終点大阪到着は"あさって"なのだ。無論、これらの長距離鈍行には、すべて1等車(現在のグリーン車)が連結されていた。
 当時、こうした長距離鈍行で首都圏や関西に向かう人がどの位いたのか、私にはわからない。ただ、伝え聞くところによると、この頃、特急や急行を利用するのは最低でも数百Kmの旅行をする時で、それ以下の距離では鈍行に乗るのがあたりまえだったらしいから、中〜短距離の乗客が徐々に入れ替わりながら、終着まで走り通していたのだろう。これらの列車には、荷物車や郵便車が連結されていたことは言うまでもない。

 次に気がつくのは、青函連絡船(定期の旅客便)が1日たったの4便しかないことで、これはちょっと意外に思える。

 連絡船の各便には、次のような連絡ダイヤが組まれていたが、いずれにせよ札幌-上野間は。2回の乗り換えとまる1日の時間を要したわけだ。今の感覚からすると、あまりに乏しい輸送力のようにも思えるが、当時の北海道は、それほど遠いところであったと言えるかも知れない。

旭川1510-(2列車・急行大雪(札幌1757発)-2325青森2355-(12便)-0435青森0500-(2列車・特急はつかり)-1545上野

網走1310-(510列車・準急はまなす(札幌2213発))-0615函館0815-(10便)-1255青森1338-(1210列車・急行いわて)-0530上野

釧路2050-(8列車・急行まりも(札幌0743発))-1315函館1430-(18便)-1910青森1935-(208列車・急行北斗)-0905上野

旭川0920-(4列車・急行アカシヤ(札幌1206発))-1735函館1755-(14便)-2235青森2300-(204列車・急行北上)-1255上野

※この当時、東京-札幌間には、1日14往復の定期航空便(所要約2時間)が設定されている。まだまだ一般的とは言えないまでも、相当数の旅客が航空機を利用していた可能性がある。

 もうひとつ気になるのは、いわゆるローカル輸送を担う列車の少なさである。

 奥羽線系は、当地の経済・文化の中心であった弘前行きの短距離普通列車が相当数運転されているが、東北本線系は3時間近く普通列車がない時間帯がある。
 時刻表には掲載されていない貨物列車が今より遥かに多く運転されていたから、区間旅客列車を増発しようにも出来なかった可能性が高いが、いずれにせよ、"汽車"は人間の都合に合わせていつでも気軽に利用できる乗り物ではなく、あらかじめ"汽車"の時刻に合わせて人間が行動する時代であったことは疑いがない。

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 青森駅に鉄道近代化の大波が及ぶのは、言うまでもなく1968年の"ヨンサントオ"のダイヤ改正である。東北本線の全線電化・複線化が完成し、特急"はつかり"が電車に置き換えられた。
 1982年、東北新幹線(大宮-盛岡)暫定開業。1988年、青函トンネル開通。そして、2002年12月、東北新幹線が八戸に達した。
 今日、青森始発の上り特急(5:52発つがる2号)に乗れば、9時51分に東京駅に到着する。また、"その日のうち"に青森に帰れる最終列車は、東京発20時04分である(青森着00:02)。
 東京-青森間は、完全な日帰り圏内に入った訳だが、その反面、1891年の全通以来、東京と青森、北海道の交通を支えてきた東北本線(在来線)は、盛岡-八戸間の経営が地元の第三セクターにゆだねられて、首都圏と青森・北海道を結ぶ旅客輸送機関としての使命を終えた。

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制作:2003年8月31日 最終修正:2003年9月6日