大井川OFF参加記

 単語をクリックすると写真がみられます。
 写真のページからは、ブラウザの『戻る』ポタンを使ってください。

新装京都駅

 4時45分起床、旅装をととのえて尼ケ辻駅へ。上り始発電車で西大寺に向かい、京都行きの急行で6時15分、京都着。

 しばらく時間があるので、先月完成したばかりの新駅舎を見物することにする。新しく設けられた自由通路を通って烏丸口へ向かう。

 烏丸口のコンコースは、黒を基調とした現代的なデザインで、天井は気が遠くなるくらいに高い。売店やら宿泊案内所の類は見当たらず、どこかの現代美術館のようでもある。駅が奇麗になるのは良いことではあるが、個人的には上野や天王寺のようなやや猥雑な雰囲気のほうが好ましいと思う。

 7時15分、新幹線ホームに『ひかり100号』が到着。JR西日本のV編成。さっそく8号車に向かう。V編成の食堂車はX編成に較べて更にきらびやかな内装で、食堂というよりバーのような雰囲気でもある。朝早い時間に食事をするのは初めてなのだけれど、それほど場違いな感じはしなかった。

 メニューは朝食用で、私は洋朝定食を注文。料理が運ばれる頃には、列車は近江平野を快走していて、朝日に輝く水田を眺めながらのゆったりした休日の朝食となる。

 名古屋からは、『こだま446号』に乗り継ぐ。0系16両編成。一部の車両は0系オリジナルの転換クロスシートのままであった。9時19分頃、掛川到着。地下道を通って在来線ホームへ。程なく2996Mが入線。車内は予想以上に混んでいる。9時38分頃、金谷着。

SL列車に乗る(1)

 下車印を捺してもらって改札を出たら、Gパンをはき、カメラを手にした人が数人集まっていて、名簿らしい紙を覗き込んでいる。帽子を被った小柄な女性もいる。声をかけようと思うがいまいち自信がない。鉄道SIGと言うからには、みんな、大きな三脚と絵入りヘッドマークのシールを貼った銀箱を持っていると想像していたのだが、そんな人は見当たらぬ。少しばかり心細くなった頃に『あ、マスターさんいらっしゃいましたね』の声。よく見ると、やや大柄な男性の腰に『PC−VAN』の名札がついている。少し細身の男性に『えー、ふくいですけどオ...』とお声がけした。幹事役のかずまささんで、とりあえずは無事合流することができた。

 チェックインを済ませた人は駅前で待機してください、とのことで炎天下の駅前に出る。夏休み中の休日、人出はさすがに多く、改札の行列はなかなか前に進まない。押されるようにホームに入ると、後押しの電機が見える。その前には青い客車が延々と連なり、肝心の蒸機は煙すら見えない。我々の席は最後尾に近い2号車のあとよりで、蒸機の音も聞こえない。まあ、蒸機を見るのなら、沿線で見物したほうがいいに決まっているから、今日はひさしぶりに乗る旧客の感触と蒸機の煤煙の匂いを愉しもうと思う。

SL列車に乗る(2)

 定刻を少し過ぎたところで、ボオッという汽笛が聞こえ、列車がゆっくりと動きだした。旧型客車に乗るのは何年ぶりであろうか? 我々の乗る客車はブルーの塗装、つまりはいわゆる近代化の改造を受けた車両で、内装はデコラ張り、床はリノリウムとなっている。

 さっそく、名物車掌さん(?)の車内放送が始まる。歌まで唄う熱演なのだけれど、多少うるさい感じがしないでもない。

 金谷を出ると列車は大きく左にカーブする。左の窓から先頭の機関車がわずかに見える。程なく新金谷着。ここからもたくさんの家族連れが乗り込んで、列車はほぼ満席となった。

 車内では弁当が配られ、新浅川鉄道さんからはPC−VANの小冊子や例の猿のイラストが入ったハンカチやカレンダーを頂戴した。東京にいた頃は、いろいろな催しに参加してこの種の品物をよく貰ってきたが、奈良に帰ってからはとんとご無沙汰である。インターネットで瞬時に情報が駆け巡る時代になっても、首都圏とそれ以外の地域とでは、やはり厳然とした格差があると思う。

 列車はすでに茶畑の中を縫うように走っている。汽笛が鳴って、列車はトンネルに進入。窓を閉じる人はなく、どうなることかと心配したが、上質の石炭を使っているのか、車内に侵入する煙は少なく、かすかな煤煙の匂いが鼻をついただけであった。

 大井川の川幅がだんだんと狭くなり、山の傾斜が急になってくる頃、列車は終点千頭に到着する。到着直前、大井川鉄道バスの車庫が見え、我々のいる一角だけが時ならぬ歓声に包まれる。何だか珍しいバスが見えたかららしいが、MPナンタラと言われてもさっぱりわからない私は、もちろん話題の外である。バスの車庫とは反対側に目をやると、今度は近鉄特急が止まっている。再び興奮の声が沸き起こる。網棚から荷物を下ろし始めている一般客には到底理解できない騒ぎであったに違いない。

 列車をバックに集合写真を撮り、櫛形のプラットホームを改札口に向かう。先頭の機関車はC11 312で、キャブには子供たちの長い列ができて、父親たちがビデオを回していた。改札口を出たところで一旦解散となる。

千頭の近鉄特急

 関西から来た私は、異境の地に運ばれた近鉄特急が気になるので、井川線の踏切を渡って見物に出かける。車両は元南大阪線の16000系。南大阪線初の特急車で、最初に製造された2編成が大井川鉄道に運ばれたことは知っていたが、まさか千頭にいるとは思わなかった。『日本制輪子工業(株)所有』という張り紙が掲示されている。貫通幌枠などが撤去されているところを見ると、単なる展示物ではなく、今後営業車として使用するつもりだと思うが、そもそも日本制輪子工業なる会社が何物なのか、詳細はわからない。

 千頭駅付近の大井川は下市口あたりの吉野川と同じくらいの川幅で、一瞬六田車庫あたりにいるような錯覚に陥る。しかし、蒸気列車が並び、となりでC11が給水をしているのを見ると、やはりかなりの違和感があった。

井川線のトロッコ列車(1)

 13時すぎに再集合し、今度は井川線の乗り場に向かう。

 井川線は軌間こそ1067ミリであるが、車両限界は黒部のトロッコ並みである。車体のわりに軌間が大きいから、ぱっと見ると標準軌の列車のようにも見える。先頭は運転台のついた制御客車、そのあと4両の客車が連なって最後尾がディーゼル機関車となっている。

 アプト式機関車の増結作業が見やすいという理由で、我々は最後尾の客車に乗ることにする。早速、車内設備の点検を始める人がいる。小さな車掌台に置かれた放送用マイクは、手巻きオルゴールのついた国鉄気動車標準装備タイプのもの。拡声アンプには、なぜか『JNR』のロゴがついていた。車両の銘板によれば、平成になってからの新造車のようで、どうしてこんなものがついているのか、不思議ではある。

 定刻を5分ばかり過ぎて千頭を出発。すぐ後ろの機関車のエンジンが唸り、思いのほか速度が出る。もっとも、その俊足ぶりも車両基地がある川根両国までのひと区間だけで、ここをすぎるととたんに速度が落ちる。大井川の川幅は更に狭まり、列車は急な斜面を這うように走る。途中、いくつかの小さな駅があるが、奥泉を除けばまるで信号場のような駅ばかりで、民家はほとんどない。

 進行方向右側に放棄されたトンネルが見えて、新線区間に入ると、すぐにアプトいちしろ駅に着く。ここから先、接岨峡温泉駅手前までは長島ダムの建設に伴って付け替えられた区間で、隣の長島ダム駅までの1Km強でダム堰堤相当の高度を稼ぐために90パーミルという急勾配となっている。全車電動車方式ならともかく、機関車牽引列車ではこれ程の勾配は登れない。そこで、かつて碓氷峠で用いられていたのと同じアプト方式が採用され、専用のアプト式電機が列車を押し上げることになっている。

 列車が止まると、我々が乗った車両はもちろん、他の車両からもカメラを手にした観光客が多数降りきて、機関車の増結作業を見物する。短いホイッスルが鳴り、千頭方から赤と白に塗りわけられた電機が近づいてきた。自動連結器が噛み合い、2本のジャンパとBP管を連結して作業終了。

 この電機、幅こそDLと同じだが、高さはかなり高い。2軸の台車には、大きなモーターが3つついているのが見える。真ん中の1基はラックレールに噛み合う歯車を回すものなのだろう。

 車掌が客車のドアを締めて回り、出発。いよいよ日本最急勾配を登ることになる。

 列車がトンネルに入ると、後方からはこれまでのディーゼルエンジンの轟音にかわって、モーターの唸りが聞こえてきた。EL・DLの協調運転がなされているかは不明だけれど、たぶん、そんなことはしてないと思う。

 トンネルを抜けると、右手に建設中のダム本体とこれから登る線路が見えてくる。線路は山肌を縫うような高架橋で、その勾配は尋常ではない。新鋭電機はぐいぐいと列車を押し上げ、ほんの数分くらいで長島ダム駅に到着したように思えた。

 長島ダム駅では、行き違いとなる上り(千頭行き)列車が停車中である。我々の列車を押し上げた電機はすぐにに千頭方に引き上げられ、上り線に転線する。我々の客車の目の前が連結位置であったため、皆身を乗りだしてカメラを構えていたのだが、電機が近づいてきたところで無情にも発車。車内にため息が漏れた。

 長島ダム駅構内は、井川方がトンネル内にかかっている。このためこのトンネルは、入口こそ電機の車両限界に合わせた複線断面だが、途中から単線になり、更には天井の低い従来型の断面となって出口に続く竜頭蛇尾型となっている。

井川線のトロッコ列車(2)

 トンネルを抜けると、やや広い資材置場見えてくる。このあたり、ダム建設が始まる前までは小さな集落が点在していたそうだが、ダム工事が始まると、水没する家はもちろん、ダム湖の水面より上にある世帯までもが集団で移転してしまった。小さなトロッコ鉄道を主たる交通手段としていた集落が消え、以降、井川線は観光鉄道として生き残りをかけることになる。

 列車は目もくらむような高いトラス橋で大井川を左岸に渡り、奥大井湖上駅に停車したあと再びトラス橋で右岸に戻る。来年3月にダムが完成すると、深いV字谷は湖に変わり、奥大井湖上駅はその名のとおり湖上に浮かぶ観光駅になるらしい。

 右岸に沿って断崖を縫うように走る旧線に較べ、何とも贅沢な線形である。これら一連の工事は、ダムを建設するほうが全額負担したのであろうが、転んでもタダでは起きず、貰えるものは何でも貰おうという地方民鉄の意地を見たような気がした。

 もっとも、下津井電鉄のように新車を投入しながらたったの数年で廃止となった地方民鉄も存在するから、もっと温かい目で見守らねばならないのかも知れないけれど。

 接岨峡温泉駅をすぎると、列車は美しい森林の中を走る区間が多くなり、森林鉄道の趣を呈してくる。尾盛駅をすぎ、銀色に塗られた高いトラス橋で関の沢川を渡る。振り返ると橋のたもとに妖しげな引き込み線がチラと見え、黒い無蓋貨車が止まっている。その向こうに発電所のような建物が見えるから、おそらく、資材運搬用の線路であろう。断崖の上から井川ダムを見て、14時58分、井川着。

 井川駅のホームは、本線から分岐した引き込み線という風情である。『本線』のほうは、そのまままっすぐトンネルの中に消えている。レールは真っ赤に錆びているが、この線路からの出発信号機にも停止現示が出ていたから、まったく死んでいるわけではなさそうである。

 井川線の末端区間は、50年代に井川ダムの建設にあたって資材運搬手段として建設されたときいている。現在の井川駅は貨物の積み下ろしにはやや狭いような気もするから、当時はこの先に資材積み下ろし用の貨物駅があったのかも知れない。

 日帰り組の皆さんと分かれたあと、我々宿泊組は井川ダムを目指す。ダムの堰堤には、『昭和32年竣工』の銘板がついている。日本の高度成長前夜に建設され、静岡・清水の工業地帯に電力を供給してきたダムなのだろう。

井川の里(1)

 ここから宿までは、無料の渡船で行くことになっている。乗り場の案内には、『定員17名先着順』とある。グループ全員何とか乗れるな、などとと話しあっていたところ、案の定先客がいて、全員の乗船は不可能なことが判明した。

 一瞬、目の前が真っ暗になったのだけれど、宿に電話をしたら、あとで無料のマイクロバスが来るとのこと。結局、渡船組とバス組の二手にわかれることになり、私は幸いにも船に乗せて貰えることになった。

 静岡市営の無料渡船は、ちょっと大きめのボートにテントを張っただけの簡易な構造で、サングラスのおじさんがキーをひねると、とんでもなく大きな音をたててエンジンが始動した。定刻には達していないけれど、来ても乗れないという理由で数分の早発。定員ちょうどの乗客を乗せた渡船がダム湖に漕ぎだす。

 先日の台風の影響か、ダムの水は灰色に濁っている。定員ちょうどと言っても、私を含めて重量級の人たちが多く乗っているから、過積載になっていることは間違いなかろう。喫水線が上がっていて、素人目には今にも沈没しそうである。舵を握ったおじさんが、『救命胴衣はここにあるからねえ』などと心細いことを言う。乗船無料であるから沈没しても補償はないのかも知れぬと心配する私に、我が同行者は『密航中国人はこうして日本に来るんだから大丈夫よ』と言った。

 15分ばかりで井川集落(井川本村)の船着き場に着く。

 もとの村役場であったらしい静岡市井川支所の建物を目指して歩くと、程なく今夜の宿に着いた。

 U君さんとひとあし先に風呂に入り、扇風機で涼をとっている頃にバス組の皆さんが到着。静岡市内のバス路線図で話が盛り上がったあと、広間で夕食となる。

 アルコールも入って気分がよくなったところで、再び部屋に戻って鉄道談義。折しもテレビでは特急白山をテーマにしたサスペンスドラマが放映中。皆さん、ドラマの筋書きより画面に登場する電車のほうが気になる様子。話は延々続いたのだけれど、ほとんど徹夜状態で参加した私は睡魔に勝てず、お先に眠らせていただいた。

井川の里(2)

 朝は7時すぎに目が覚めた。

 昨夜は多少寝苦しい感じがしないでもなかったけれど、今朝は空気もひんやりとしている。

 朝食のあと、朝市を見物。近所の農家の人たちが、わさびやしいたけ、お茶、花の鉢植えなどを売っている。函館や輪島の観光化された朝市と違って、非常に素朴な市であった。

 渡船の時刻までしばらく時間があるので、『えほんの郷』を見物。入館料300円。フローリングの館内には、絵本や積み木などが置かれている。なぜ、井川に絵本なのかというのはわからない。女の子たちには大きな縫いぐるみが人気であったが、私は井川ダムができる前の集落の写真が興味深かった。

 井川発10時50分の上り列車で千頭に向かう。

 今日の列車も、ディーゼル機関車のあとに客車を5両連ねた編成。客車のうち1両は、オープンデッキの古いものであったので、これに試乗することにする。

 車内はロングシートがあるだけの簡素な造り。デッキには小さなテールランプがあるが、これは使われておらず、真新しいジャンパ栓受けが取り付けられている。製造銘板を見ると『昭和28年 帝国車輌』とあるから、井川線が全通したときに増備された客車かも知れない。

 定刻、井川発。乗り心地自体は往路の客車と大差はないようである。12時41分、千頭着。

 寸又峡温泉方面の廃線跡めぐりをするU君さん・すーちゃんとお別れし、駅前の食堂で昼食。13時45分発の普通電車で金谷に向かう。電車は旧南海の21000系ズームカー2両編成、エアコンつき。

 転換クロスシートの車内はほぼ満席。車内はワンマン運転のために乗務員室の扉が改造されている以外は、南海時代とかわらない。天井一列と網棚の下に蛍光灯が並ぶ特徴的な照明器具もそのままである。

 列車は木柱が並ぶいかにもローカル線らしい風景の中を走る。途中、京阪テレビカーや元西武の車両とすれちがう。鉄道に興味がある者には楽しいけれど、列車を運転する人、車両の保守をする皆さんはたいへんではないだろうか。

 金谷からは113系の普通電車で浜松へ。浜松からは117系。113系からみると、まるで特急列車みたいな室内・乗り心地である。

パノラマカー初乗車

 このまま名古屋まで行ってもいいのだけれど、今回は名鉄特急に試乗してみようと思う。

 豊橋で下車し、3番線へ。ほどなく赤と白に塗りわけられた特急電車が到着。『パノラマSUPER』という列車名が書いてある。近鉄以外の私鉄車両の知識はないに等しいが、たぶん、もっとも新しい特急車両なのだろう。

 新名古屋までの特急料金は350円。安いなあ、と思っていたら、特急列車そのものは乗車券だけでも乗れることがわかった。350円は速さに対する料金ではなく、快適な車両で旅行するための対価というわけである。

 私が子供の頃の絵本には、私鉄特急の代表として小田急NSE車・名鉄パノラマカー・近鉄ビスタカーが描かれるのが定石であった。NSEは在京の頃何度か乗ったが、パノラマカーは初めてで、今日はあこがれの特急電車に初めて乗せてもらう小学生のような気分である。

 特急券に指定された席は2号車であったが、検札が済むなり最後尾のパノラマ席に移動してみた。せっかくの特等席なのに先客は皆無である。せずりの低いシートに腰掛けると、大きな窓ガラスから、過ぎ去る景色が見える。東海道線と違って適度にカーブがあるから、非常にダイナミックな眺めであった。

 1時間足らずで新名古屋に到着。どっしりした旧国鉄の名古屋駅舎は姿を消し、高層駅ビルの建設工事が進んでいた。

 コンコースでお茶をしてから、弁当を買い、近鉄名古屋駅へ。通勤電車はふだん見慣れる形式が多いけれど、何だかほっとする気分である。

 18時30分発の名阪乙特急に乗る。22000系6連。八木で京都行きに乗り換え。指定された席はビスタカーの2階席。近鉄特急は幾度となく乗っているけれど、特に指定しないのにビスタカーに乗れたのは今回が初めてであった。

 西大寺から普通電車で尼ケ辻に引き返し、22時まえに帰宅。2日間窓を閉め切っていたアパートは、夜になってもサウナのように暑かった。

戻る