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■竜飛海底駅見学■竜飛海底駅金網が張られたロッカーに荷物を置き、"駅員"の案内で海底駅の見学が始まる。客を率いる案内担当以外の"駅員"は、持ち場に散っていった。 "駅"という名はついているものの、竜飛海底駅には改札口や出札窓口はない。正式には"竜飛定点"と言い、本来は万一列車火災が起きたときに、乗客を避難させるための設備である。 "駅員"について、武骨なコンクリートむき出しのトンネルを歩くと、長いベンチが置かかれていた。非常の際は、救護所に充てる場所だという。通路の側溝には、湧水が流れている。『やっぱり塩水なんですか?』と訊ねたら、やはりその通りらしい。試しに少し舐めてみたが、かなり塩っぱかった。 更に行くと、トンネル断面全体を覆う壁があった。トンネルを吹き抜ける風を防ぐための施設だそうで、扉を開けて中に入ると、更にその先に壁と扉がある。2枚の扉は同時には開けられない。寒風が屋内に吹き込むのを防ぐ北海道の住宅の玄関のようである。 2枚目の扉の先に、"ケーブルカー"の駅がある。財団法人青函トンネル記念館・青函トンネル竜飛斜坑線・体験坑道駅(国土交通省のホームページによる)というのが正式名称らしい。もとはと言えばトンネル保守用の設備で、1997年に正式な鉄道として認可を受けたものだ。全長778m、日本一短い鉄道でもある。 ちょうど、地上側から、"下り(?)"列車が到着したところで、地上からの見学客と入れ変わるように、武骨なだいだい色の車両に乗り込んだ。 "駅員"1人と見物客3人、車掌1人の計5人を乗せて、発車。ブザーの音がけたたましく響く。一直線のトンネルの遥か先に、地上側の記念館駅が点のように見えている。5分あまりで、地上に出た。 そのまま改札口を出るかと思われたが、軌道を締め切る扉が降りるまで、外には出られない。これも、坑道を吹き抜ける風を防止するためだという。 "駅員"が厚い引き戸を開けると、"地上"に出る。遥かな地底から、やっとの思いで這い上がってきたという感じであった。 "駅員"から聞いた話をまとめてみる。 1988年、青函トンネル開通と同時に営業を開始した海底駅だったが、地上に出られない見物コースはやはり不評で、そのテコ入れのために、本来営業用でなかった斜坑のケーブルカーにお客を乗せることになった。 もともと保守用のものだから、設備は特殊。一般的なケーブルカーは、2両の客車があり、中間地点ですれ違うが、このケーブルカーは、巻き上げ機が1両の客車を引っぱり上げる方式。ちょうど、エレベータを斜めに設置したと考えると分かりやすいかも知れない。 それでは、なぜ竜飛側を旅客転用することになったか。 トンネル自体は開業後十数年を経て、数々の設備が更新の時期を迎えている。たとえば、1基数億円する排水ポンプの寿命は10年で、本来は新品に交換しないといけない。けれども、JR北海道にはそんな余裕がないので、補修の上、使い続けているという。 "駅員"は、こうして施設の公開を続けるのは、トンネルの建設や保守に多額の税金が投じられているからだとも言う。 |
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2001年11月10日 制作
2001年11月21日 修正