片町線の快速電車(京橋駅)
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■片町線■片町線のこと 片町線は、関西本線の木津と京橋を結ぶ44.8Kmの路線だ。 1998年、それまで地味な存在であった片町線が突然脚光を浴びる。大阪都心を地下で貫くJR東西線の開業だ。車両はすべて最新鋭の207系に置き換えられて、東海道山陽線や福知山線への直通運転が行われることになった。 けれども、鉄道業は、恐ろしく巨額の投資を何十年もかけて回収する産業でもあるから、古いインフラをすべて捨て去るという訳にはいかない。新型電車が停車するプラットホームに古風な旅客上屋があったりする。現在の片町線の面白さは、こうしたある種のミスマッチにあるのではないかと思う。 ■京橋→木津→加茂 2003年8月10日朝6時30分。予定の時刻に目が覚めた。ここ半月あまり、私の仕事は多忙を極め、じつに半月ぶりの休日である。もし寝過ごしたら、丸一日完全休養日にしようと思っていたのだが、そうはならなかった。 午前8時まえ、平日ならば通勤ラッシュのピークを迎える時刻だが、休日の今日、京橋駅片町線ホームは閑散としている。沿線に目ぼしい観光地もないから、こんな時間に片町線に乗って出かけようとする人は多くない。 私が乗った京橋発木津行き快速電車は、アパートや町工場の密集地帯を走り始めた。しばらくすると、左手から単線の線路が合流する。いわゆる城東貨物線である。急カーブの鴫野駅ホームを高速で通過。高架から地上に降りたところが放出で、城東貨物線の旅客線化に備えて、目下構内の改良工事中である。鉄道車両工場がある徳庵をすぎると、電車ふたたび真新しい高架に駈け上がる。 カーブが思いのほか多く、かつ、地上と高架を目まぐるしく行き来する線形だが、最新鋭電車は大胆な加速と減速を繰り返す。カブリツキで前方展望を楽しんでいた私は、本当に目が回りそうになった。 目前に生駒山が迫ってきた。木津と大阪を結ぶ国道163号線は、急勾配で峠を越えるが、明治生まれの片町線は、あっさり北に針路をとって、この山塊を敬遠してしまう。朝日が右側の車窓から射し込むようになると四条畷。何の変哲もない橋上駅だが、下りホームは地層のような層状構造なしており、この線が"汽車"時代からの歴史を持っていることを伺い知ることができる。 四条畷を過ぎると、線路際に田んぼが見られるようになる。強い日差しを浴びた緑が目に鮮やかだが、始発駅からたったの20分でかような車窓風景に出会えるとは、他の在阪私鉄では考えられないことである。 旧国鉄は、副業としての宅地開発はご法度であった。それ故、沿線には未開発の土地が多く残されている。民営化されたJRはもちろんそれに着目していて、通勤需要を誘発すべく盛んに新駅を造っている。松井山手もその一つで、かつてトンネルがあった場所を切り開き、まるで私鉄のような造りの駅ができている。 松井山手を過ぎると線路は単線になり、四角い遠方信号機も現れる。この地方特有の天井川を古めかしい煉瓦積みのトンネルでくぐる部分もあり、ローカル色が濃くなってくる。 最近、新装なった京田辺駅で、後ろ3両を切り離す。この先、線路際に短いホームがあるだけの無人駅があって、7両編成は停車できないからだ。 8時44分、木津着。 木津は、四方からの線路が一点に集まるジャンクション駅である。上下ホームの間に広いスペースがあるのは、かつて、貨車を仕分けしていた名残りである。もちろん、今は貨物関連の施設はすべて撤去されている。 木津では20分弱の待ち時間があったが、構内の配線や地下道などを観察しているうちに、すぐに加茂行き電車がやってきた。 関西本線の加茂駅、木津駅付近には、100年近く前の鉄道遺構が数多く残されている(→詳細はこちらとこちら)が、その探索はまたの機会に譲ることする。 |
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2003年8月11日 制作 2003年8月19日 修正