京都を発った上り新幹線は、新東山隧道を抜けて近江国に入る。瀬田川を渡っても新しい家並みが続くが、栗東保守基地を過ぎると、大阪の通勤圏を脱出して、一面の水田の中を疾走するようになる。
日本的な近江平野の風景を眺めているうちに、やがて、進行左手に細い単線のレールが寄り添っているのに気づく。このへろへろの線路こそ、日本でも屈指の歴史を持つ私鉄---近江鉄道である。
幾度となく乗った新幹線の、いつも気になっていた車窓風景だが、今回、やっとのことで、このローカル私鉄に試乗する機会を得たのでレポートしたい。
■旅程(2001年3月18日)
吹田-(東海道線緩行電車)-高槻0800-(3200M)-0813京都0850-(716T)-0912草津0920-(5332M)-貴生川0949-(近江鉄道)-八日市1030-(湖国バス)-1045湖東町役場前-<探検の殿堂>-湖東町役場1311-(近江鉄道バス)-1331八日市1357-(近江鉄道)-高宮1427-(近江鉄道)-多賀大社前-<多賀大社>-多賀大社前1512-(近江鉄道)-高宮1518-(近江鉄道)-米原1556-(3221M)-1646京都
■資料編
近江鉄道の歴史、釣掛け電車の走行音などはこちら。
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■吹田〜草津〜貴生川 午前7時すぎにアパートを出て、吹田機関区沿いの道を岸辺駅に向かう。東海道線緩行電車で高槻。223系新快速に乗り換えて、京都着8:13。駅ビル内でコーヒーとサンドイッチの朝食を摂る。京都観光のガイドブックを睨んでいる若者の姿が目立った。東京を朝一番の新幹線に乗れば、もう、京都に降り立てる時刻である。 ■貴生川〜八日市 定刻、ドアが閉まって、発車。右手に腕木式信号機の残がいがポツンと建っているのが見える。 レンガ造りの古めかしいトンネルを抜け、列車は日野駅に着く。 関西の私鉄の多くは、路面電車から発展したか、あるいは昭和初期に都市間旅客輸送を目的として敷設されたものである。阪神・京阪は前者、阪急や近鉄は後者にあたるが、いずれにせよ、国鉄(鉄道省)と連携した貨物輸送は眼中になく、従って、当初から広軌の電化路線として建設されている。 八日市でいったん下車して、路線バスで『西堀榮三郎記念探検の殿堂』に向かう。西堀氏は、第一次南極越冬隊長をつとめた人物で、零下25℃の南極体験がウリの記念館である。 湖東町役場前で下車して、『探検の殿堂』を見物。氏愛用のピッケルなどを見たあと、防寒着を着て体験室に入る。入室した当初はあまり寒い感じはしなかったが、オーロラを紹介する映画を見ているうちに、ズボンの裾から冷気が侵入し、下肢の感覚がなくなってきた。北海道で使われる『しばれる』という言葉を思い出した。 見物は30分足らずで終わり、近くの食堂で昼食。今日は、昼間から大手を振ってお酒が呑める。瓶ビールを注文したら、大ビンがデンとテーブルに置かれた。白昼の酒は五臓六腑に滲みわたり、すぐにほろ酔い気分になる。列車旅行の特権である。 1時間弱の退屈な待ち時間を過ごして、来たときと同じバスで八日市に戻った。 |
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2001年4月15日 制作