近江鉄道試乗記(1)


モハ505(八日市駅)

 京都を発った上り新幹線は、新東山隧道を抜けて近江国に入る。瀬田川を渡っても新しい家並みが続くが、栗東保守基地を過ぎると、大阪の通勤圏を脱出して、一面の水田の中を疾走するようになる。
 日本的な近江平野の風景を眺めているうちに、やがて、進行左手に細い単線のレールが寄り添っているのに気づく。このへろへろの線路こそ、日本でも屈指の歴史を持つ私鉄---近江鉄道である。
 幾度となく乗った新幹線の、いつも気になっていた車窓風景だが、今回、やっとのことで、このローカル私鉄に試乗する機会を得たのでレポートしたい。

旅程(2001年3月18日)

吹田-(東海道線緩行電車)-高槻0800-(3200M)-0813京都0850-(716T)-0912草津0920-(5332M)-貴生川0949-(近江鉄道)-八日市1030-(湖国バス)-1045湖東町役場前-<探検の殿堂>-湖東町役場1311-(近江鉄道バス)-1331八日市1357-(近江鉄道)-高宮1427-(近江鉄道)-多賀大社前-<多賀大社>-多賀大社前1512-(近江鉄道)-高宮1518-(近江鉄道)-米原1556-(3221M)-1646京都

資料編

 近江鉄道の歴史、釣掛け電車の走行音などはこちら


113系(草津駅)


貴生川駅で

発車を待つ近江鉄道の列車(貴生川駅)

カブリツキの眺め(長谷野駅)
単線区間に閉塞信号機がある!

近江鉄道バス

西堀榮三郎記念
探検の殿堂

吹田〜草津〜貴生川

 午前7時すぎにアパートを出て、吹田機関区沿いの道を岸辺駅に向かう。東海道線緩行電車で高槻。223系新快速に乗り換えて、京都着8:13。駅ビル内でコーヒーとサンドイッチの朝食を摂る。京都観光のガイドブックを睨んでいる若者の姿が目立った。東京を朝一番の新幹線に乗れば、もう、京都に降り立てる時刻である。
 京都からは、221系普通電車で草津へ。ここから、草津線に乗り換えて貴生川に向かう。
 草津線は、現在は東海道線にぶら下がる枝線のような格好だが、本来は関西本線の支線である。従って、これから乗る列車は上り列車。全列車が電車化されているので、柘植から先の関西線への乗り入れはないが、かつては京阪神から伊勢への直通列車が多数運転される"幹線"であった。単線ではあるけれど、各駅構内の有効長の大きさは、かつての栄華を物語っているようである。
 今日は日曜日であるが、駅のホームには、下り列車を待つ人垣ができている。草津や京都に遊びに行く人たちであろう。駅ごとに下り列車と交換して、9:44、貴生川着。

貴生川〜八日市
 橋上駅舎の自動改札を抜けて左に行くと、すぐに近江鉄道の乗り場がある。同じく貴生川に乗り入れている信楽高原鐵道はラッチ内の連絡で、その生い立ちの違いが分かって面白い。
 階段を降りると、ホーム上に小さな出札窓口あって、係員がいる。硬券の切符を買って、2両編成の黄色い電車に乗り込む。
 近江鉄道の車両については知識がないのだけれど、どうやら親会社の西武鉄道をお払い箱になった中古電車らしい。国鉄の101系に似た黄色いボディはかつて東京に住んでいたので見覚えがある。乗客は数十人ほど。予想を上回る盛況ぶりだ。

 定刻、ドアが閉まって、発車。右手に腕木式信号機の残がいがポツンと建っているのが見える。
 急カーブが続く、いかにもローカル私鉄らしい細い線路だが、場所によってはコンクリートマクラギが使用されていて、将来に向けての設備投資も行っているようではある。けれども、経営者の願いとはうらはらに、駅ごとに乗客が減って、水口を出る頃には、空気輸送同然となってしまった。水口-日野間は、同社の路線の中でも最も輸送密度が低い区間らしい。
 しかし、多くの場合、輸送密度が低い路線ほど、車窓の眺望は味わい深いものとなる。水田と里山。冬枯れの景色の中を、わずかな乗客を乗せた電車は淡々と進む。大手私鉄ではまず見かけなくなった第四種踏切(遮断機も警報器もない踏切)が随所にあって、電車は盛んに警笛を鳴らす。

 レンガ造りの古めかしいトンネルを抜け、列車は日野駅に着く。

 関西の私鉄の多くは、路面電車から発展したか、あるいは昭和初期に都市間旅客輸送を目的として敷設されたものである。阪神・京阪は前者、阪急や近鉄は後者にあたるが、いずれにせよ、国鉄(鉄道省)と連携した貨物輸送は眼中になく、従って、当初から広軌の電化路線として建設されている。
 近江鉄道の歴史は、これら大手私鉄より更に古く、明治時代に遡る。開業当初は非電化で、蒸機が活躍していた。無論、貨物輸送も盛んで、主要駅には貨物列車用の中線・側線があるのが特徴である。規模こそこぶりだけれど、構内配線や駅舎の造りなどは旧国鉄のそれに通じるものがある。日野駅にも何本かの側線があって、500系電車が昼寝していた。

 八日市でいったん下車して、路線バスで『西堀榮三郎記念探検の殿堂』に向かう。西堀氏は、第一次南極越冬隊長をつとめた人物で、零下25℃の南極体験がウリの記念館である。
 近江鉄道バスはライオンズカラーの新しい車両だが、我々以外に乗客はいない。実は、事前に『探検の殿堂』にアクセス方法を問い合わせたのだが、『クルマが便利です。八日市の駅からなら、タクシーでどうぞ。バスはあるんですけど、1日3本位です。』との返事。大都市圏を除けば、鉄道とバスを乗り継いで旅行することなどは、もはや人々の選択肢の中には入っていないのだろう。

 湖東町役場前で下車して、『探検の殿堂』を見物。氏愛用のピッケルなどを見たあと、防寒着を着て体験室に入る。入室した当初はあまり寒い感じはしなかったが、オーロラを紹介する映画を見ているうちに、ズボンの裾から冷気が侵入し、下肢の感覚がなくなってきた。北海道で使われる『しばれる』という言葉を思い出した。

 見物は30分足らずで終わり、近くの食堂で昼食。今日は、昼間から大手を振ってお酒が呑める。瓶ビールを注文したら、大ビンがデンとテーブルに置かれた。白昼の酒は五臓六腑に滲みわたり、すぐにほろ酔い気分になる。列車旅行の特権である。
 もっとも、クルマで訪れたらしい客の中にも、グラスを傾けている人が多い。都会に住む人が見れば眉をしかめそうな光景だが、日本の大部分の地方では、もはやクルマなしの生活は考えられなくなっているのだ。通勤・買い物、レジャー...、もちろん、一杯やるのもクルマである。飲酒運転撲滅を唱えるのは当然だが、公共交通機関を利用して気軽に呑める場所がなければ、今後も酒酔い運転はなくならないであろう。

 1時間弱の退屈な待ち時間を過ごして、来たときと同じバスで八日市に戻った。

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2001年4月15日 制作