近江鉄道試乗記(2)


モハ220形(高宮駅)


高宮駅で


高宮駅の駅名標

多賀大社前にて

多賀大社前 駅前の鳥居

多賀大社に奉納された絵馬

八日市〜高宮〜多賀大社前

 八日市駅の上りホームには、だいだい色のボディに淡いグレーの帯を巻いた旧型車が待っていた。2両目のパンタグラフのついた車両に乗り込む。
 乗車を促す電子音が鳴って、出発。"ぶひゅー"という今どきのブレーキ排気音に続き、床下の釣掛けモーターが高らかに唸る。大都市圏では、数十年前に消えた懐かしいサウンドである。
 やがて、進行左手に城壁のような新幹線の線路が近づく。電車は70Km/h弱で懸命に走るが、あちらは270Km/h。全長400mの新幹線は、一瞬にして我が近江鉄道を抜き去り、赤い尾灯の点となって視界から消えた。
 しばらくの間、新幹線と並走し、高宮着。

 高宮駅は、多賀線の分岐駅である。本線に連絡して、支線の多賀線にも1時間に2本の列車が運転されており、連絡は良い。構内踏切を渡って、多賀線のホームに行くと、今乗ってきたのと同じ型の車両が乗り継ぎ客を待っていた。
 1898年、彦根-愛知川間で営業を開始した近江鉄道は、1900年に貴生川に達したのち、1914年に高宮-多賀(現:多賀大社前)間が開通。1923年には、彦根-多賀間の電化を完成させている。高宮以西の電化は1928年だから、当時の近江鉄道にとって、多賀大社への参宮輸送はドル箱的存在だったのだろう。
 けれども、自動車万能となった現在、正月などを除けば、このローカル電車で多賀大社に参る人はほとんどいない。程なく到着した下り電車からの乗り継ぎ客も皆無で、我々専用の"貸し切り電車"は、ゆっくりと動き出した。

 カブリツキで前方展望を見物。新幹線の高架をくぐって、少し加速したと思ったら、もう、終点・多賀大社前に到着。
 車内でカメラをかばんに閉まっていたら、運転士が『乗車券を頂きます。』とたった一組の乗客に歩み寄ってきた。

多賀大社参拝

 多賀大社前駅は、寂れたとは言え、かつては観光客で賑わった門前駅だから、凝った意匠の駅舎を期待していたが、現物は鉄骨平屋の質素な建物であった。
 だだっ広い駅前広場に人影はなく、花崗岩の巨大な鳥居がたった一人で参拝客を迎えているようである。

 そのまま折り返してもいいのだけれど、意外に立派な石畳の参道があったので、多賀大社に行ってみることにした。

 参道の両側には、古めかしい商店が並んでいる。文房具店や食料品店など、参拝客にはおおよそ縁のない店がわずかに営業しているのみで、土産物店や茶店には、決まったようにカーテンが引かれている。それが、みな、すっかり日焼けしているので、余計に侘びしい感じがする。

 物音ひとつしない参道を歩いていくと、右手に数軒、営業中の土産物店兼茶店があり、数人の客がいる。"名物 糸切餅"というノボリが立っていたのでのぞき込んでみる。あまり美味そうな感じはしなかったので踵を返したら、そこが多賀大社の正面であった。

 鳥居の向こうに異様に反った太鼓橋があり、その奥に立派な神殿が見える。私の宗教に関する知識は皆無に等しいが、そのへんのお社とは格が違うことは何となくわかる。

 多賀大社は、天照大神の両親(?)である伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみおおかみ)を祀った神社で、延命長寿のご利益があるという。
 従って、参拝者は高齢者が多いと思いきや、案外若い人が多い。『○○高校に合格しますように』とか、『就職がうまくいきますように』という絵馬がたくさん奉納されているが、『お父さんの病気が治りますように』などという深刻なものは少ない。

 現代医療の実態を身近に知る高齢者は、無理な延命長寿などまっぴらご免だと思ってるのかも知れない。

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2001年4月15日 制作