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■謎多きひと区間--紀勢本線紀和-和歌山市■歴史 1898年、紀和鉄道によって和歌山に最初の鉄道が開通する。和歌山駅(当時、現在の紀和駅)と船戸駅(仮駅)間を結ぶ、現在のJR和歌山線の一部である。1903年、南海鉄道(現南海電鉄)・難波-和歌山市間が開業。この際、和歌山駅(当時)と和歌山市駅の間に線路を敷設し、南海鉄道-紀和鉄道間の連絡をはかることになった。和歌山市駅寄りの2/3は南海、和歌山駅(当時)側1/3は紀和が建設を担当することになり、和歌山市-和歌山(当時)間に分界点ができた。 和歌山市-紀和-和歌山間は、戦前から、難波と南紀を結ぶ直通列車が通過していた。当初は南紀に直通する客車を南海の電車が牽引していたが、1959年に南海が気動車を新製、準急きのくに号として難波と南紀を直結した。 ■線路観察和歌山市駅の東側は、小さなバーや一杯呑み屋が集まった一角であった。ネオンが灯るにはまだ明るすぎる時間帯で、その筋の事務所前では、見事な彫り物の若い衆が、腫れ物に触るような手つきで独製高級車を磨いていたりする。 場末の繁華街は程なく尽き、古めかしい陸橋の下をくぐると、左手に3本の線路が見えてきた。手前がJR紀勢本線---と言うか、前述の歴史に従えば、南海電車が走らない南海の線路、奥の2線が南海本線の上下線である。手前の1線から奥の線路につながる渡り線は、レールが真っ赤に錆びている。 更に歩くと、色灯式の信号機が林立している。そこで撮影したのが、冒頭の写真。向かって左が紀和方から和歌山市駅に進入する線路の場内信号機だが、やや低い位置に副本線用の信号機があるとこに注目願いたい。実はこれ、ふだんは南海が使用している和歌山市駅3〜7番線への進入を許可する信号機である。直通列車の廃止後17年が経過しているが、現在もなお、南海-JR間の乗り入れが可能な施設が維持されているのである。 紀和-和歌山市間には、下町の路線らしく多くの踏切がある。架線柱に取り付けられた標識を見ると、『和歌山市2号踏切』となっていた。 この区間、少なくとも現在はJR西日本の保守管理下にあることは間違いなさそうだが、踏切名称などにその歴史的経緯を色濃く残していることは興味深い。 線路に沿って更に歩くと、『和歌山市n号踏切』はn=5で尽きる。最近拡幅されたらしい新しい踏切には、JR式の固有名称がついている。この踏切と和歌山市5号踏切の間には旧南海-旧紀和鉄道の分界点があると推定されるが、あいにくこの間は線路が道路から少しく離れており、詳細不明のままに終わった。 もう少し分界点付近の観察をすれば良かったのだけれど、私は発作的に線路を離れてしまった。『和歌山のラーメン』に紹介されたラーメン店を目指すためである。 お目当ての店はすぐにわかった。 |
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2002年5月25日 制作 2002年6月5日 修正