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■紀和(旧和歌山)駅紀和駅に至る通りには、時計屋、洋服屋、肉屋、本屋など、懐かしい感じがする木造商店が建ち並んでいる。"駅前商店街"が活況を呈した1950〜60年代がそのまま残っているかのような眺めだが、通りを歩く人の姿はほとんど見られず、大半の店はシャッターを下ろしたままだ。 寂れたを通り越して、死んでしまったかのような"駅前商店街"の突き当たりが紀和駅、1968年までは、和歌山駅であった建物である。 一般に、西日本では、駅を無人化しても、古い駅舎をそのまま残す例が多いようである。私のごとき旅行者にとっては、線区の歴史を垣間見ることができて、楽しい。けれども、使い込まれた出札窓口が安っぽいベニヤ板で塞がれ、そこに心無い落書きがあったりするのを見ると、長い駅舎の一生の最期が汚されたようで、悲しくなる。 午後6時をまわり、だいだいいろの太陽が、団地の建物の向こうに隠れようとしている。その光を正面に浴びながら、2両編成の和歌山市駅行きがやってくる。 私のほかに、この駅での乗降はなかった。 ■南海特急サザン■和歌山市駅→難波今日4度目の和歌山市駅に到着。電車の時刻まで多少の余裕があるので、由緒ありそうなこの駅のホームを観察することにする。 和歌山市駅の本屋は、大手百貨店が入居する"駅ビル"である。自動改札機が並ぶ改札口はいかにも現代風だけれど、ホームに下りると、あちこちに"戦前"の匂いを嗅ぐことができる。 和歌山市駅は、開設時から駅全体が南海の管理下にあるので、JR線のホームも他と同じデザインの優美な上屋をもっている。しかし、かつては、紀勢本線の終着駅として長距離客車列車が着発したであろうホームは、1本はレールが剥がされ、もう1本も有効長は大幅に短縮されていて、残りは駐車場になっていた。化粧タイル張りの旅客上屋の下には、乗客に代わって乗用車が並んでいる。 クラシックな和歌山市駅のホームに、特急サザン22号が入線してきた。新造後15年以上を経た車両が、まるで最新の車両のようにも見える。女性乗務員に迎えられて、指定席券に示された席に座る。 発車時刻になっても、乗客の数はまばらである。こんな時刻の上り列車に8両編成を充てるのは、恐らくは回送を兼ねているからであろう。この列車の難波到着は19時59分。折り返し列車は、残業を終えたサラリーマンで満席になるのだろうと思う。 和歌山市駅を出た列車は、今日3回目の紀ノ川を渡り、難波に向けて快走する。 南海本線は、明治時代に敷設された路線である。その後、施設の建て替えなどが進んで、拠点駅は皆新しくなっているが、改修の手が回らない小駅には、一見に値する施設が数多く残っているという。もう、すっかり日も落ちたので今日は見ることができないけれど、たとえば浜寺公園駅の本屋は国の登録文化財となっているし、蛸地蔵駅の本屋は、その駅名同様、小規模ながら愛嬌ある建物らしい。また日を改めて、各駅を見物したいと思う。 岸里玉出から高野線と並走し、通天閣を右手にみながら、難波着。 |
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2002年5月25日 制作 2002年6月5日 修正