能登の鉄道・駆け足試乗記


大阪駅11番ホームに入線する501M 急行きたぐに

 日本海に突き出た能登半島は想像以上に奥深く、金沢からのと鉄道の終点・蛸島まで、実に150Km余あります。このうち、巨大な温泉旅館が建ち並ぶ和倉温泉までは電化され、大阪・名古屋から新型特急が乗り入れますが、そこから先は第三セクターが運営する鄙びたローカル路線。富山湾を臨む半農半漁の美しい景色の中を小さなディーゼルカーが縫うように走っています。
 夏休みに入るまえに、能登の鉄道を速足で試乗してきたので、その様子をレポートします。

■旅程(2000.7.15〜16)

大阪2326-(501M・急行きたぐに)-0402金沢0807-(301D・急行能登路1号)-1029輪島1103-(304D・急行能登路3号)-1210和倉温泉1225-(101D・急行のと恋路号)-1412珠洲〜(珠洲市内散歩)〜飯田1546-(333D)-1556蛸島1602-(336D)-1741穴水1743-(152D)-1825七尾1835-(870M)-2004金沢2039-(4048M・特急サンダーバード48号)-2312大阪

■資料編

 旅行中に録音した音声、旅行に使ったきっぷや関連リンクはこちら

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大阪駅にて


大阪駅にて


ヘッドマーク


夜道を照らす(米原駅)

■急行きたぐに 新潟行き

 土曜の夜10時を回り、大阪駅は閑散とした雰囲気だ。
 かつて、都心のターミナル駅では、遅い時間まで夜行列車で旅立つ人の姿が絶えることがなかった。けれども、ここ20年余りの間の高速交通機関の発達で、夜を徹して移動する必然性は極めて小さくなった。夜行列車は削減につぐ削減を重ね、今や数える程しか残っていない。駅構内には、一見して夜汽車の旅人らしい姿はなく、駅構内の売店も大半が店じまいしている。
 しかたがないので、JRの系列会社が経営するコンビニで今夜の食糧を調達することにした。明るい店内には、アルコールやおつまみの類はもちろん、弁当や総菜から菓子・雑貨まで、おなじみのアイテムがずらりと揃っている。結果的には、夜行列車の必需品はすべて手に入る仕掛けだが、なんだか時間に追われる日常が、晴れやかな旅立ちの序章に割り込んだような気がして、どうもすっきりしない感じがする。

 大阪駅11番ホームの神戸方には、若干の行列ができていた。急行きたぐにの自由席を目指す人たちだ。もっとも、ざっと見たところ、1列に十数人しかいないから、悠々座席を確保できることは確実である。
 23時03分、3つの前照灯を輝かせて、583系寝台電車が入線。10両編成の堂々たる『夜行列車』である。どの車両も製造後30年を経ているはずであるが、車両の手入れは良好で、薄汚い感じはまったくない。

 23時26分、定刻、大阪発。内側線を走る201系と同時発車である。家路に急ぐ人たちを乗せた通勤型電車の出足は鋭く、あっという間に抜かれてしまうが、これも長距離を走る夜汽車らしくて好ましい。
 列車は轟音をたてて上淀川橋梁を渡る。私の右手にはすでに缶ビールがあり、心地よい酩酊の中で、忙しい日々の記憶は大阪の街の明かりと共に流れ去る。夜行列車に相応しい旅の始まりだと思うが、いかがだろうか。

 新大阪を出ると、列車はぐんぐん速度を上げる。東淀川-吹田-岸辺-千里丘...。ふだん見慣れた電車区間の駅だが、こうして長距離夜行列車の車窓から眺めると、全然違って見えるから面白い。

 京都で若干の乗車があったあと、車内には『おやすみ放送』が流れる。座席車以外の車内が減光された。私も、手持ちのアルコールがなくなったので、彦根発車と同時に6号車のグリーン車に移る。
 大阪からのグリーン券を買わなかったのは、彦根からにすると料金が大幅に安くなるからである。規則上、このような乗り方は何ら差し支えないが、よほどのベテラン係員がいる窓口でない限りMARS端末が言うことを聞いてくれず、切符の入手に難儀すること請け合いである。

 米原で小休止した列車は、北陸線に乗り入れる。
 グリーン車の快適なシートに座った私を睡魔が襲い、忽ちのうちに眠ってしまった。

続く My Railwayへ


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