能登の鉄道・駆け足試乗記
301D 急行能登路1号(金沢駅)
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■"金沢ステーションホテル" 『お客さん、金沢ですよ』 車掌の声で目が醒めた。列車はいままさに金沢駅に停車しようとするところであった。 午前4時04分。まだ眠りについている金沢駅5番ホームに、私一人が取り残された。列車の発車を見送った助役が、チラと私に目をやり、ホームの列車扱い詰所に消える。 午前5時15分、くだんの821Mの発車合図で目が醒めた。しかし、肝心の4番ホームには列車の姿はない。 直江津方に走り去る821Mを呆然と見送った私は、時刻表を繰った。このあと、何本かの七尾行き普通列車があるが、七尾から先の接続が悪く、8時07分発の急行能登路1号に乗ったのと同じになることがわかった。私は金沢で時間をつぶすことにして、改札口を出た。 JR金沢支社(旧金鉄局)が入っていた駅ビルは跡形もなく姿を消し、新幹線対応の新駅舎の基礎工事が始まっていた。新幹線用の高架はかなり以前に完成しているが、その後工事が進捗した様子はない。 ■急行能登路1号 輪島行き 金沢駅4番ホームに、2両編成の気動車が入線してきた。301D 急行能登路1号輪島行きである。種別表示窓に、『急行』の赤い文字。号車札やサボもきちんとセットされているのが嬉しい。 8時07分、金沢発。カラフルな特急電車が憩う車両基地を左手に眺めながら、列車は一直線に敷かれた線路を加速していく。 金沢から輪島までは、特急バスが1時間ヘッドで発車している。所要時間は2時間足らず、運賃・料金は2,300円である。能登路1号の所要時間は2時間22分、運賃・料金は3,520円もするから、所詮バスの敵ではない。私は周遊きっぷを所持しているから鉄道利用が順当だけれど、私以外の乗客はいったい何の目的でこの高価でのろい急行列車に乗っているのであろうか。 津幡で下車する客はさすがに皆無で、列車はここから七尾線に乗り入れる。しばらく北陸線と並走したあと、大きく左に進路をとって、一路輪島を目指す。 しばらくの間、列車は低い丘陵地帯を走る。勾配がそれほどでもないから、非力なキハ58系でもそこそこのスピードは出る。床下から聞こえるリズミカルなジョイント音が心地良い。幹線系の路線では継ぎ目のないロングレールが普及しており、『がたん、ごとん』という鉄道特有の音が聞ける場所も少なくなってきた。 車窓に一面の水田が広がるようになって、羽咋着。1972年に廃止された北陸鉄道能登線の廃線跡がはっきりとわかった。 七尾でのと鉄道の乗務員と交代。和倉温泉を過ぎると架線も尽きて、とたんに乗り心地が悪くなる。けれども、右手には青いたおやかな海が見え隠れするようになって、車窓の景色はいっそう楽しくなる。 JR七尾線は津幡-輪島間107.9Kmだが、和倉温泉-輪島間48.4Kmには、JRの列車は走らない。この区間は、JR西日本は線路を保有するだけの第三種鉄道事業者で、のと鉄道が他人の線路の上に自社の列車を走らせる第二種鉄道事業者となっている。 9時57分、穴水着。車内に残った多くの客が下車し、私が乗る車両には4人しかいなくなった。駅員が黄色いビニールテープを巻いたタブレットキャリアを持ってくる。この先、輪島まではスタフ閉塞となっている。 穴水を出ると、列車の速度が目立って落ちる。これから、能登半島の背骨を越えるのである。 "峠"を越えるとすぐに能登三井である。交換可能駅だが、1998年冬以降、運転業務が休止されている。一側のレールは真っ赤に錆びて、腕木式信号機から更新されたばかりの真新しい信号機が横を向いていた。 駅のすぐ近くに、穴水-輪島間の存続を訴える真新しい立て看板が見える。国鉄改革前夜、全国至る所で見かけた看板だ。もっとも、穴水-輪島間の廃止を決めたのは国ではなく、地元石川県であるから、この区間が生き残る可能性はゼロに等しいであろう。 ゆるやかな傾斜地に広がった水田。小さな鳥居がある鎮守の森。そして、これらを貫く真新しい道路。現代日本の典型的な中間山村風景の中を、急行能登路1号は終点に向かって駆けていく。 優等列車らしく、オルゴール演奏つきの車内放送が流れて、列車は輪島に到着した。 |
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