惜別! 食堂車


"グランドひかり"の食堂車内

 この春、1974年から四半世紀にわたって営業を続けてきた新幹線の食堂車が消えました。廃止をまえに、最後の食堂車の旅を楽しんできましたので、その様子をレポートします。

旅程(2000年3月5日)

 新大阪0917-(ひかり100号)-1016名古屋

資料編

 最後の食堂車メニュー、営業案内の車内アナウンスはこちら

食堂車のこと

 わたしが生まれて初めて"食堂車"に行ったのは、確か小学校4年生の頃だったと思う。家族旅行で秋吉台・広島に行った帰り、母親にせがんで食堂車に連れていって貰った。
 この旅行のハイライトであったはずの秋芳洞や萩はちっとも記憶にないが、高い天井の食堂車(たぶん、581系だろう)でハムエッグを食べたことだけははっきりと覚えている。余程嬉しかったのだろう。(→当時のスナップ)

 その後、東京で学生生活を送っている間は、帰省のときに新幹線の食堂車を何度も利用した。お金がなかったから、メニューはカレーライスと決まっていたけれど、相席になったオジサンの話相手をしてビールを飲ませてもらったこともあるし、米国人の老夫婦からうなぎご飯を御馳走になったこともある。

 学生時代の『乗り鉄』は、もっぱら周遊券利用だったから、別に料金が必要であった特急列車はあまり乗らなかった。
 それでも、函館本線小樽経由の特急『北海』の食堂車から見た新雪輝く羊蹄山の姿は網膜に焼き付いているし、特急『白鳥』で昼食を摂りながら眺めた鉛色の日本海は今でも忘れられない。

 うつろいゆく車窓を眺めながら、本格的な食事を楽しめる食堂車は、鉄道旅行の魅力を高める大きなわき役であったと言える。

 ところが、私にとってかくも思い出深い食堂車が、2000年3月のダイヤ改正で事実上消えることになった。東京-博多間で1日4往復、辛うじて残っていた新幹線食堂車の営業が廃止されることになったからである。

※今後、日本の鉄路で営業を続ける食堂車は、上野-札幌間の『カシオペア』・『北斗星』、大阪-札幌間の『トワイライトエクスプレス』のみとなった。これらは、乗ること自体が目的の特殊な列車であるから、列車が存続する限り食堂車の営業は続けられるであろうが、誰もがいつでも気軽に乗車できる列車ではない。

競争の果てに

 食堂車が衰退した最大の理由は、列車の高速化とそれに伴う乗車時間の短縮であろうと思う。
 一般的に、都市間輸送において鉄道が航空機に比べて優位に立てるのは、乗車時間が数時間までと言われる。新幹線なら東京-大阪、あるいは大阪-博多に相当する距離で、それ以上はあまり勝ち目はない。鉄道各社はこの『数時間』の距離の輸送において、所要時間と運賃で他の交通機関と熾烈な競争をしており、この分野に経営資源の多くを投じている。

 今回のダイヤ改正の目玉は、JR西日本が新大阪-博多間に投入した『ひかりRail Star』である。『ひかりRail Star』に用いられる700系は、JR東海が『のぞみ』として走らせている、最高速度285Km/hの最新鋭車両だ。JR西日本は、この車両に横4人のゆったりとしたシートを取り付け、割り増し料金がいらない『ひかり』として走らせるのである。
 新大阪-博多間の所要時間は2時間45分。航空機とまともに競合する距離である。航空業界の規制緩和によって、大阪-福岡間の航空運賃が大幅に低下し、JR西日本の屋台骨とも言える山陽新幹線の乗客は減少傾向にある。今回登場する『ひかりRail Star』は、航空機からの旅客奪回を目指すJR西日本の、社運をかけた新商品なのである。

 この『ひかりRail Star』登場の余波を受けて運転本数を大幅に減らしたのが東京-博多間運転の『ひかり』だ。16両フル編成の巨大な収容力は、もはや増発の余地がない東海道新幹線では必須の条件であるが、山陽区間では明らかに輸送力過剰である。しかも、最高速度は230Km/hしか出ない。高速運転が売り物の『のぞみ』、目玉商品の『ひかりRail Star』のほかに、東京からの鈍足列車を走らせる意義は少なく、かくて、これまで食堂車を営業していた東京-博多間直通の『ひかり』は、一部を除いて廃止されることになった。

 『ひかりRail Star』の運転時間は3時間足らずと短いため、食堂車はもちろん、ビュフェすら設けられていない。『ひかりRail Star』のウリは、快適な座席や個室であり、人手を要する付加サービスは一切ない。その車内の様子は、航空機とほとんど変わらない。

 食堂車は、航空機では決して真似のできない鉄道独自のサービスだ。殊に100系新幹線の二階建て食堂車は、大きな車両限界を活かした余裕のある構造で、その『ゆとり』や『楽しさ』は高く評価されている。
 けれども、新幹線は航空機と熾烈な競争の果てに、JRは鉄道だけが持ちうるこのサービスを切り捨ててしまった。あとに残ったものは、所要時間と運賃という無機質な数字の比較だけである。

最後の食堂車

 新幹線の食堂車が全廃されるというニュースを聞いた私は、"最後の食堂車の旅"をすることにした。

 3月5日、日曜日。休日朝の新大阪駅はどこかのんびりとした雰囲気が漂っている。
 ウイークデーなら、アタッシュケースを抱えたビジネスマンが足早に往来するであろうコンコースは、中年女性のグループが目に付く。
 私が目指すのは、ひかり100号東京行き。博多発の始発列車で、もちろん食堂車を連結している。

 名古屋までの自由席特急券を買って26番ホームに上がると、9号車博多方の乗車位置に5〜6人の行列があった。
 一見、ごく普通の旅行者で、『私は9号車の指定券を持っているのだ』という顔をしているけれど、実は皆、食堂車目当ての"隠れ食堂車ファン"であることは私には容易に察しがついている。

 9時15分、精悍な100N系V編成が到着。若干の降車客と入れ違いにくだんの行列は全員食堂車に向かった。

 予想に反し、食堂車には数人の先客しかいなかった。
 ウエイトレスに案内されて、4人掛けのテーブルに着く。営業末期で、貧弱なメニューしかないのではないかという危惧は杞憂に終わり、ビーフシチューや海老フライなど、おなじみの献立が揃っていた。その中から、食堂車開業当時の人気メニューであったというハンバーグセットを注文。程なくベーコンが載った熱いハンバーグが運ばれてきた。
 料理の味そのものは、正直言って特別に旨いというわけではない。けれども、大きな車窓に広がる景色と適度な揺れが、それを補って余りある。布製のテーブルクロス、陶器の皿と金属製の食器。いずれも一般の食堂と変わらぬ什器類である。一時期、食堂車で飲み物を注文すると、使い捨てのコップが出てきたことがあったが、いつもと同じビールなのに、ひどく不味い感じがした。食堂車の魅力は、料理そのものではなく、その雰囲気や舞台装置にあるのだと思う。

 東寺の五重塔が見えたころで、隣のテーブルでコーヒーを飲んでいた男性がそさくさと席を立つ。さっき、新大阪で一緒に乗り込んだ客であった。たった15分のお別れ乗車だったのだろう。

 京都を出て、女性従業員によるアナウンスが流れると、家族連れなどがどっとやってきた。親子で写真に収まる家族連れ、ビデオを回す鉄道ファンなど、車内は大変な混雑である。
 おじさん(中高年男性)の姿も案外多い。現役を引退したビジネスマンであろうか。ひとりビールを呑み、流れる車窓に目を向けている。
 新幹線食堂車の全盛期、夕刻に東京を発つ列車の食堂は、出張帰りのサラリーマンで常に満員であった。時間に追われ、走り続ける日々のなかで、3時間余りの食堂車の旅は、彼らにとって格好の息抜きであったのだろう。
 『どん』という軽い衝撃とともに、『500系のぞみ』がすれ違う。時速270Km/h。全長400mにも及ぶ列車が、一瞬にして視界から消え去る。時代はスピードを追い求め、ある種のゆとりや余裕を亡くしてしまいつつあるのかも知れない。

 列車は米原をすぎ、関ヶ原を越えようとしている。今年は例年になく雪が多く、沿線のスプリンクラーが勢い良く水を撒いていた。
 セットのコーヒーがなくなり、車窓から雪が消えると名古屋も近い。会計を済ませて、最後の食堂車の旅が終わった。

後日談

 3月10日金曜日。食堂車が消える日である。
 この日のテレビ・新聞は、食堂車が消えることを繰り返し報じていた。テレ朝系のニュースステーションでは、スタジオにセットまで造って、久米宏がカレーを食べて見せたりした。私の予想を遥かに超える大々的な扱いであった。

 この騒ぎを見ていると、鉄道ファンのみならず、一般の人も食堂車というか、列車内での食事には大きな関心があるように思える。鉄道事業者は、こうした潜在的なニーズを忘れないで欲しいと思う。

 現在のような食堂車が新幹線に再度登場する可能性は少ないと思うが、いつの日にか、鉄道旅行の魅力を倍加させる新しいタイプの食堂車が登場することを願ってやまない。

 

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