急行だいせんと山陰最果て鈍行旅行(6)


がらんとした下関駅のプラットホーム

■特急あさかぜ"ヒルネ"乗車

 下関では、一旦改札を出て、駅右手のデパートの喫茶店でひと息入れる。
 好天が続けば、関門トンネルを渡って九州に一歩を記すか、あるいは宇部線・小野田線の試乗を考えていたのだが、あいにく、強い雨はおさまらない。結局、下関16時50分発の東京行き上り寝台特急あさかぜに"ヒルネ"乗車してみることにした。

 下関駅のみどりの窓口で、小郡までの立席特急券を購入。マルスから吐き出された特急券は、大型の券片で、『立席特急券』と記され、乗るべき列車の名前と発時刻・着時刻が示されている。料金は自由席特急券と同じ1150円。ただし、新幹線乗継割引の対象にはならない。

 6番ホームに上がると、青い車体を連ねた特急あさかぜ号が出発を待っていた。
 がらんとした広いホームに人影はなく、構内放送があさかぜ号には車内販売がない旨、繰り返し告げている。私は小郡で下車するから関係ないが、東京まで乗り通す乗客は、今夜の夕食とアルコールを確保しないと、あまりに寂しい寝台列車の一夜となることは間違いない。

あさかぜ号の"ヒルネ"特急券

 『立席特急券のかたは、3号車ラウンジカーにご乗車ください。』というアナウンスに従って、3号車に陣取る。
 本日の上り8列車の3号車は、パンタグラフのついたスハ25303である。トワイライトエキスプレス増発用に24系電源車が召し上げられた際、その代替として製造された電源車である。重いディーゼル発電機の変わりに、半導体を駆使したSIV装置が搭載され、編成全体の電源をまかなっている。改造当時、この編成は東京-下関間のあさかぜ号、東京-高松間の瀬戸号に充当されることになっていた。いずれも、直流の架線下のみを走るだけである点に目をつけたJR西日本のアイデア作である。
 電源装置に可動部分はないから、室内はすこぶる静かである。今晩の"ヒルネ"客は全部で4人。いずれも鉄ちゃんっぽい若い男性であった。
 12系客車を改造したスハ25には、"海側"を向いたカウンターのような席と、"山側"を向いたソファ席が設けられている。冷蔵ショーケースや電子レンジを備えたカウンターはシャッターが閉じられたまま。シンクにはうっすらと埃がたまり、営業をやめて久しいことを示している。アルコールやおつまみの販売があれば、優雅なひとときを過ごせるのであろうが、ほとんどゼロに等しい乗車率では商売としてペイしないのであろう。

スハ25のパンタグラフ

スハ25の車内

 列車は既に下関をあとにしており、車内アナウンスが始まっている。EF200が登場するまで、日本最大の出力を誇ったEF66の加速は鋭く、さっき見た幡生操車場をあっという間に通過してしまった。

 ラウンジカーの広い車窓には、相変わらず大きな雨粒がたたきつけている。程なく、今春新幹線の新駅が開設された厚狭をフルスピードで通過。特急あさかぜ号は、東海道山陽線をひと晩かけて走り、明朝7時08分に東京に到着するが、いま、厚狭から新幹線に乗れば、その日のうちに余裕で東京に到達するのだ。特急あさかぜ号の主たるターゲットは、新幹線が通らない各駅からの乗客である。私は小郡で下車してしまうけれど、特急あさかぜ号は、この先、防府・光・柳井・西条といった新幹線から見放された都市にきめ細かに停車して、一路東京を目指す。

 厚狭を過ぎると、線路の北側に一条の廃線跡が見える。架線柱が立ち、コンクリートマクラギが連なる堂々たる廃線跡だ。厚狭-宇部間を結ぶ貨物専用線の残骸である。かつて、美祢線沿線で採掘された石灰石は、ホッパ車を連ねた専用貨物列車によって、昼夜たがわず宇部のセメント工場にピストン輸送されていた。太平洋ベルト地帯を結ぶ山陽本線に、重くてのろい石灰石列車が割り込む間隙はない。当時の国鉄は、専用の線路を造ってまでも国土建設の材料となるセメント原料を運び続けたのである。

 17時46分、小郡着。特急あさかぜ号から降り立ったのは、もちろん私たちだけである。

■100系ひかり128号

 小郡では、長く広い跨線橋を渡って、新幹線乗り場に移動する。新大阪までの自由席特急券を購入。改札を受けて新幹線乗り場に入る。

 それにしても、この乗り換え改札は何という効率的な構造なのであろう。
 在来線構内←→ラッチ外、ラッチ外←→新幹線構内、新幹線構内←→在来線構内の"関所の番人"を、たったひとりの改札係がこなせる配置になっている。国鉄時代であれば、少なくとも3人の改札掛が行っていた業務をたった一人の職員にやらせている。民営JRの神髄を見る思いだ。小郡駅は、山陽新幹線、山陽本線、山口線、宇部線が離合する交通の要衝であから、恐ろしく頭の回転が早い駅員でなければ、この改札の業務は遂行できないであろうと思う。

"スーパー改札係"が担当する(?)小郡駅新幹線乗り換え口

のぞみを退避するR編成。0系4両編成。(小郡駅)

 新幹線ホームに上がって、自由席の行列に加わる。
 2面2線のプラットホームの間に、待避線と本線、あわせて4本もの線路が敷かれているから、その眺めはすこぶる良い。薄暮の博多方に目をやると、光の点がぽつんと見えた。それはやがて2つに分かれてみるみる近づき、『びゅーん』という音をたてて目の前を飛び去った。博多発17時27分、東京行きの700系のぞみ28号である。
 程なく今度は新大阪方から、4両編成の0系が入線する。広島発博多行きのこだま587号である。16両編成の新幹線がっひっきりなしに行き交うする東海道区間では想像もつかない、『ローカル新幹線』の姿である。
 やがて、その後方に、やはり光の点が現れる。東京発13時56分、博多行きの500系のぞみ17号だ。カーッという音をたてて、やはり飛ぶように通過する。500系独特の円筒形の車体は、激しくたたきつける雨粒をはじいて、まるで水煙に包まれた弾丸のようであった。

 18時14分、博多方から、100系ひかり128号が入線する。東京行きの最終ひかりは、予想以上に混雑していて、4号車のB席、つまりは3人掛けの真ん中しか確保できなかった。

 

100'系カフェテリア

100'系普通車B席の眺め

 揺れる通路を歩いて、8号車階下のカフェテリアを目指す。
 私が東京で研修医をしていた頃は、この100'系が最新鋭の車両であった。夕方17時から19時にかかて、踵を接して東京駅をあとにするひかり号はすべてこの100'系で、弁当・サンドイッチのほか、アルコールやつまみを満載したこのカフェテリアには、出張帰りのサラリーマンの人だかりができたものだ。
 あれから10年近い歳月が流れ、いま、東海道山陽新幹線の主役は270Km/h運転可能な300系である。食堂はもちろん、カフェテリアを営業する列車も、ごくわずかになった。このひかり128号も、カフェテリア営業とのマークはついているものの、ショーケースに並んだ商品は、幕の内弁当とうなぎご飯、サンドイッチと焼売というありふれたものだけである。
 仕方なく、缶ビールと焼売をトレーに取り、精算する。たった一人で店番をしているJダイナー東海のおっさんが、焼売を電子レンジに放り込む。1分後、湯気でふやけた紙箱が、ポリ袋に収められて私に手渡された。

 18時55分、広島着。案外多くの乗客が降車する。隣のDE席がぽっかり空いたのでそちらに移動。岡山、新神戸と乗客を増やしながら、20時41分、新大阪着。

 大量の乗客が下車し、それより更に多い乗客が上り最終ひかりに乗り込む。
 残暑厳しいプラットホームでは、じっと目と目を見つめあうカップルや、大胆にもべったり抱きあって熱いくちづけを交わす男女の姿が目につく。20時43分。最終上りひかりが新大阪駅を発つ時刻である。

 『はーい、お客さま、黄色い線まで下がってくださいっ!!、危険です。黄色い線まで下がって、はい、列車から離れてくださいっ!!』

 ヒステリックな肉声の放送が新大阪駅構内にこだまする。長い長い発車の合図が終わると、白い車体はゆっくりと動き出した。

最初に戻る My Railwayへ


このページに掲載した写真は、すべて旅行中にKODAKのディジタルカメラ・DC-260で私自身が撮影したものです。
無断転載はかたくお断りします。


(C)Heian Software Engineering  1999.9.12制作・2000.1.2改変