富山ライトレール:奥田中学校前→岩瀬浜


車内の様子


城川原で


岩瀬浜で

 ひととおりの写真を撮ったあと、奥田中学校前から岩瀬浜行きの電車に乗ってみようと思う。車内はご覧のとおりの混雑だが、超満員というほどではない。一見して鉄道ファンとわかる客はわずかで、大半は中高年の人たちとその孫とおぼしき子供たちであった。

 前述のとおり、富山ライトレールの車両は万葉線と基本的に同じものなので、その乗り心地も似ている。しかし、ついふた月前までJRの大型電車が走っていた専用軌道は線形もよく、電車は鋭い加速でぐんぐんスピードを上げる。車内は静かで、ほとんど揺れない。旧来のチンチン電車ではない、LRV(Light Rail Vehicle)の面目躍如といったところである。

 旧富山港線を路面電車化するにあたっては、停留所間隔が600m程度となるよう、奥田中学校前、粟島(大阪屋ショップ前)、犬島新町の3つの新駅が設けられたのだという。旧富山港線からの各駅も、一部を除いて古い駅舎やホームが撤去され、低床電車用の新しい乗り場が造られている。
 車内から見る限り、架線柱や信号機も新しいものに取り替えられていて、かつての富山港線の面影を残すのは、雑草の生えた線路だけだ。

 旧富山港線時代、線内の交換可能駅は城川原だけであった。路面電車化に際しては、奥田中学校前・粟島(大阪屋ショップ前)・大広田の4駅にも交換設備が新設され、ラッシュ時には10分毎の運転を行うこととなっている。単線鉄道としては驚異的な高密度運転だが、停留所の間隔が完全に均一でないので、すれ違いの際には多少の待ち時間が生じているようだ。

 かつて、電車区が置かれていた城川原には、新たに車両基地が造られた。出番のない車両が休んでいるのが見える。
 富山ライトレール(株)はまったく新しい鉄道会社だが、電車の運転・保守は、現に富山市内で路面電車を走らせている富山地方鉄道が請け負うことになっているという。JRのローカル線を路面電車に転換するという前代未聞の試みが実現できた背景には、豊富なノウハウを持つ地元私鉄の存在があったことは疑いなかろう。

 蓮町を過ぎたあたりからは、線路の周囲がやや開けてくる。一戸建ての住宅が多いが、駅の周りには真新しいマンションやアパートもある。そこに住む人たちが毎日のようにこの電車に乗ってくれれば、富山ライトレールの将来は明るいだろうと思う。

 競輪場前を出た電車は、小さな運河を越えて、終点岩瀬浜に着く。

 

富山ライトレール:岩瀬浜→東岩瀬→富山駅北


競輪場前-岩瀬浜間で


競輪場前-岩瀬浜間で


東岩瀬で

 富山港線というと、殺風景な工場地帯を走る産業鉄道という印象が強いが、終点の岩瀬は、幕末から明治にかけて北前船の寄港地として栄えた港町である。

 今でも古い町並みが残り、地元では新たな観光地として売り出し中だ。しかし、岩瀬浜の駅前にあるのはしもたやふうの商店数軒だけで、観光客を迎える雰囲気ではない。昨日までは人の姿を見ることも稀であったであろう駅前広場に、帰りの電車を待つ長い行列が出来ている。

 歩いてすぐのところにある岩瀬カナル会館では、おおがかりな路面電車開業記念イベントが行われていた。たくさんの人が集まっている。駐車場に曳山が展示され、仮設の舞台では若い男女が何やら踊りを踊っている。
 たいへんな賑わいだが、連休が終わったあと、ここに来た人たちの何%が電車に乗るのであろうか。

 運河に架かる橋からは、立山連峰をバックに快走する電車が見えた。富山ライトレールを象徴する風景のひとつである。赤かオレンジの電車が来るといい写真になると思う。

 富山市中心部に向かう道路を10分ほど歩くと、東岩瀬電停に出る。歩道橋に隠れるように、古い駅舎が残されている。
 JR時代の遺物がことごとく撤去された富山ライトレールだが、東岩瀬に限っては、昔の駅がそのまま保存されている。何らかの意図があってのことではあろうが、特にイベントなどは行われていないようであった。

 程なく岩瀬浜行きの電車がやって来た。古い鉄道のホームに並ぶと、新しい電車の低床ぶりがよくわかる。しかし、車体の背丈そのものは思いのほか高くて、新型電車の天井は旧ホーム旅客上屋の庇よりもまだ上にある。通常、床下に吊り下げられる機器類は、新型低床電車では屋根上に置かれているのだそうだ。

 5分ほどで、さっきの電車が岩瀬浜がら折り返してくるので乗車する。つり革が全部塞がる程度の乗車率で、楽に富山駅に戻ることができた。


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制作:2006年4月30日 修正:2006年6月12日