京都→園部


京都駅で


嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車


千代川駅で

 京都駅の山陰線のりばは、巨大な駅ビルの真下にある。2面4線の行き止まり式ホームで、まるで私鉄のターミナルのようだ。

 休日とは言え、午前9時すぎに発車する下り列車は、きっと空いているに違いないと予想していたのだが、現実はそうではなかった。座席は全部ふさがり、立ち客もいる盛況ぶりである。おかげで、京都駅で買い込んだ朝食代わりの駅弁は、しばらくお預けだ。

 東海道本線に沿って、真西に向かって京都駅を出た電車は、梅小路蒸気機関車館を見ながら右に急カーブし、直角方向に向きを変える。
 山陰本線の京都-嵯峨(現在の嵯峨嵐山)間が開業したのは1897年のことだが、千数百年の都の歴史のなかでは、それはつい昨日のことだ。新参者の鉄道は、碁盤目状の市街地に身の丈をあわせ、このような線形で線路を敷設せざるを得なかったのだろうと思う。

 しばらくの間、ビルが目立つ京都の市街地を眺めて走った列車は、二条駅を発つと、今度は左にほぼ90度カーブして、再び真西に向かった。
 立派な連続高架となった今では偲ぶべくもないけれど、かつての天神踏切があったのはこのあたりである。
 1969年6月24日未明、この踏切で、20歳の女子学生が貨物列車に身を投げた。彼女が遺した清冽な日記は、のちにベストセラーとなる。高野悦子著 二十歳の原点----青春の一時期、私が何度も読み返した思い出多い一冊である。

 嵯峨嵐山を出た列車は、立派な複線型のトンネルに入る。1989年3月に切り換えられた新線区間で、蛇行する桂川とは何の関係もない---とばかりに、トンネルと鉄橋で、一気にこの難所を越えてしまう。
 旧線は、保津峡を望む美しい車窓風景で知られていた。この景観まで失うのはあまりに惜しいという声が上がり、JR西日本の子会社である嵯峨野観光鉄道の手によって、トロッコ列車が運転されている。
 大都市近郊の景勝地という特別な好条件があるとは言え、近代化で廃棄された路線が鉄道として蘇った希有な例である。

 馬堀駅で新線区間が終わる。山陰本線の線路は単線に戻るが、その両側には新しい一戸建て住宅が目立つ。民営化後の列車の増発・スピードアップで、鄙びた田舎であった亀岡は、今や完全に京都市のベッドタウンとなっている。

 千代川駅で特急きのさき2号と行き違い、9時49分、園部着。

園部→綾部→西舞鶴


福知山行き235M(園部駅)


235M車内で


東舞鶴行き329M(綾部駅)


西舞鶴進入!!(329Mカブリツキで)

 園部駅では10分間停車して、うしろ4両を切り離す。福知山まで行くのは、前よりの2両である。

 京都の通勤圏、言い換えれば、JRにとって普通列車が商売になる区間はここまでだ。これまでの肉声に代わって、テープによる乾いた車内放送が、この列車がワンマン列車であることを繰り返し告げている。

 定刻よりやや遅れて園部発。

 列車は、丹波の山里を縫うように走る。稲が頭を垂れはじめた水田の向こうには、これまでの新築一戸建てに代わって、どっしりとした構えの農家が目に付くようになった。

 けれども、私はその車窓を十分に堪能することはできなかった。園部を過ぎても列車は空かず、つり革につかまったままだったからである。青春18きっぷのシーズンだからかどうかはわからないが、車内は、京都を出たときより更に混んでいる。

 船岡、日吉、鍼灸大学前、胡麻...。どの駅でも、思いのほか多くの下車客がいる。料金箱に投げ入れられる切符の多くは京都駅からのものだが、長距離の青い切符を運転士に直接手渡す人も少なくない。そして、ホームで出迎える人を見つけて、にこやかに挨拶を交わす。今日は8月14日。お盆休みの真っ最中である。

 10時46分、綾部着。

 かつての舞鶴市は、日本海軍鎮守府が置かれた軍事都市であって、その地位は今より遥かに高かった。山陰本線から舞鶴への乗換駅となる綾部駅も同様で、以前は幅の広い立派なプラットホームを持つ駅であったと記憶している。
 けれども、1999年に完成したという現在の橋上駅は、そんな歴史のすべてを消し去ってしまったかのようだ。
 一般に駅の改築にあたっては、移設の困難なホームはそのまま手付かずで残されることが少なくない。たとえば、斬新かつ巨大な駅舎となった京都駅も、プラットホームに目を転じると、戦前からの旅客上屋がそのまま残っていたりする。
 しかし、綾部駅は何もかもが新しくなったとみえ、あっけない程狭いホームから、機能的ではあるけれど、いかにも安っぽい造りの跨線橋(と言うか、駅舎そのもの)を上下して、東舞鶴行き普通列車に乗り換えた。

 東舞鶴行きは、特急リレー号という愛称がついているので、何か特別な車両ではないかと期待したが、普通のワンマン改造近郊型電車の2両編成であった。

 11時12分、西舞鶴着。


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制作:2005年8月18日 修正:2005年8月18日