晩秋の東北旅行---寝台特急日本海に乗って(3)


朝日を浴びて(酒田駅)


鳥海山


車販のおっさん(鶴岡-酒田間)


ササニシキ弁当 740円


秋田を発つ『日本海3号』

夜行列車の駅弁売り

 鶴岡手前で目が覚めた。列車は、庄内平野を淡々と走っている。
 朝もやの向こうから、北国の太陽がどこか弱々しく昇ってくるのが見える。車内におはよう放送が流れて、それまで寝ていた乗客が一斉に起きだす。

 6時33分、最初の停車駅・鶴岡に到着。ここから隣の酒田まで、車内販売が乗り込むことになっている。

 『日本海3号』の車内販売員は、初老のおっさんであった。スーパーの買い物カゴの中に、駅弁とペットボトル入りのお茶のみを入れて、車内を回っている。売れ行きは案外いいようで、相当数の客がおっさんに声をかけている。

 私は、『ササニシキ弁当』を購入した。ごく普通の幕の内弁当だが、暖かいご飯だけは旨いと思った。

 庄内平野を走る『日本海3号』の右側車窓に、美しい稜線が見えている。鳥海山であろう。東北でも珍しい、万年雪を抱く秀峰らしいが、車窓から雪は見えない。

 吹浦で運転停車して、酒田行きの上り普通電車と行き違う。車両は、東北地区に大量投入された701系と呼ばれる交流通勤電車である。

 吹浦を出ると、左側に日本海が見えるようになる。山が迫り、平地はわずかしかない。何の説明を受けなくても、県境が迫っていることがわかる車窓風景である。

 羽越本線は、急カーブと短いトンネルで、秋田県に入る。並行する道路は国道7号線。1桁の番号からもわかるように、"格"だけは高い路線である。けれども、行き交う車は思いのほか少ない。日本海側で、山形県から秋田県に抜ける交通手段は、この2つのみで、新幹線や高速道路はない。

 秋田県に入って最初の停車駅・象潟で、大量の修学旅行生が下車する。
 私の寝台は最後尾の1号車であったから、途中駅でどれ位の乗車があったのかわからなかったかれど、停車駅ごとの下車客数を見ていると、京都でかなりの客が乗ったに違いない。

 駅を出てすぐ、右側の車窓に象潟が見える。もとは、宮城県松島のような入り江にいくつもの小島が浮かぶ景勝地であったが、1804年の象潟大地震によって海底が隆起し、現在は水田の中に松の生えた丘が点在するような地形になっている。
 この地を訪れた文化人は数多く、俳人松尾芭蕉は、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ。しかし、芭蕉は17世紀の人物であるから、彼が見た象潟は現在の象潟ではない。

 由利高原鉄道の線路が右手から寄り添ってくると、列車は羽後本荘に到着する。この駅でも、修学旅行生が下車。代わりに、ネクタイを締めたビジネスマンふうの客が乗り込んでくる。

 特急『日本海3号』は、鶴岡以北で、立席特急券のみで乗車できることになっている。
 特急万能のいまにあっても、羽越本線全線を走る特急列車は思いのほか少ない。大阪発着の『日本海』2往復、上野発着の『あけぼの』、それ以外には、昼間の特急『いなほ』が3往復あるのみである。
 『日本海3号』は、3本の下り寝台特急のしんがりをつとめており、秋田着は8時43分。このあとの特急は、12時38分着の『いなほ1号』までないから、午前中の用務で秋田に向かう客にとって、『日本海3号』は貴重な存在である。

 雄物川を渡ると、右側から広狭2組の線路が近づいてくる。"秋田新幹線"と奥羽本線である。

 "秋田新幹線"の開業によって、秋田-東京間は、4時間となった。辛うじて航空機との競争ができる時間的距離であり、JRは1時間ヘッドのフリクエンシーで対抗する。
 けれども、私が住む大阪との間は、昔ながらの夜行列車で12時間。航空便も1日たったの2本しかない。

 それ以外は、鉄道も航空機も、東京経由となる。秋田にとって大阪は遠い存在である。と同時に、高速交通網のハブとしての東京の地位が、確実に上昇しているようにも思えた。

 定刻、秋田着。残っていた乗客の大半が下車。私はまるで回送列車のようになって青森に向かう『日本海3号』を見送った。
 

続く

この項先頭に戻る


Copyright by Heian Software Engineering (C)H.S.E. 2001 Allrights reserved.
2001年11月10日 制作 
2002年1月11日 修正