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■特急『日本海3号』青森行き■北への旅立ち 大阪駅9・10番線は、もっぱら福知山線の到着用に使われる。 10月31日20時07分、ローズピンクの機関車に牽かれた『日本海3号』が入線してきた。 『日本海3号』に充当される車両は、JR東日本青森運転所所属の24系客車である。青い車体にステンレスの飾り帯が入っているのが本来の姿だが、車両によっては、ペンキで白線を入れたり、金色の帯が描かれているものもある。後者は、引き戸に改造されているから、かつて『北斗星』として活躍した車両に違いない。 信号機故障の影響で、この日はたまたま東海道線の上り新快速電車が9番線着発となっている。9番線側には通勤客の行列ができているが、10番線側は人影もまばらだ。わずかな乗客を乗せて、特急『日本海3号』は大阪駅をあとにした。 淀川を渡って、新大阪着。ちょうど、西鹿児島行きの『なは』が発車するところであった。 これから『日本海3号』がたどる旅路は、通称日本海縦貫線とも呼ばれる。路線名で書くと、東海道本線-湖西線-北陸本線-信越本線-羽越本線-奥羽本線。"本線"がずらりと連なり、その重要性を伺い知ることができる。 これは、日本の新しい交通体系が、すべて東京を中心として形成されているからだと思う。日本海縦貫線のような、東京から地方という流れに無関係な路線は、未だに『新幹線以前』の状態に置かれているのである。(事実、この春まで、大阪-青森間を13時間以上かけて走る特急『白鳥』が走っていた。1961年、全国の主要幹線に設定された特急の、最後の生き残りであった。) ■通勤電車と並走 新大阪駅を出たところで、夜行列車特有の長い案内放送が始まった。 まずは缶ビールの栓を抜き、ゴクリと飲み干す。 連続4日の休暇を取ったがために、週の前半は目の回るような忙しさであった。勤務医の仕事は、かなりの部分が個人的な裁量に任されている。休みをとったからと言って、その分の仕事を同僚が代行してくれる訳ではない。自分がやるべき仕事の量は、休暇の有無にかかわらず同じであり、休暇を取れば、その前後の仕事の密度が濃くなるだけだ。 けれど、無事『日本海3号』の乗客となった今となっては、そんなことはどうでも良い。多忙な日々は、わい雑な大阪の街とともに車窓の彼方に消える。 『日本海3号』は、京都までの間、複々線の外側を走るから、時々、内側線を走る緩行電車と抜きつ抜かれつの関係になる。缶ビールが並んだ車窓の向こうから、つり革にぶらさがったサラリーマンがこちらを覗きこむ。 |
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2001年11月10日 制作
2001年11月21日 修正