湯巡りトロッコとスイッチバックの旅


三次行き361D(備後落合駅)


比婆山温泉 熊野湯


備後落合駅本屋


木次線の1447D(備後落合駅)


新見からの435D(備後落合駅)


極端な速度制限(20Km/h)


361Dの車内(塩町駅付近で)

比婆山温泉

 備後落合からは、予約してあったタクシーで比婆山温泉に向かった。

 いま乗ってきた木次線に沿って約10分戻ると、その建物が見えてくる。料金500円を払って、さっそく入浴。

 コンクリート造りの浴室に3〜4人程度が入浴できる岩風呂がある。格別風情がある訳ではないが、その湯は滑らかで、吹きっさらしのトロッコで冷えきった身体が芯から温まったような気がした。

 風呂から上がると、休憩を勧められた。仏壇とこたつがある6帖間である。普段は、経営者家族の居間として使っている部屋なのだろう。しばらく微睡んでいるうちに、迎えのタクシーがやってきた。

備後落合駅

 かつての備後落合は、ちょっとしたジャンクション駅であった。

 1968年10月号の時刻表を見ると、当時の備後落合駅には、夜行3本を含む1日11本の急行列車が着発している。芸備線と木次線の列車併結もある。更に驚くべきことには、駅弁マークすら付されている。
 もとより"本線"の駅ではないから、乗り継ぎ客といってもたかが知れた数ではあったのだろうが、少なくとも35年前には、山あいのこの駅に、駅弁屋の商売が成り立つだけの往来があったのである。

 道路交通の発達とその後の備後落合駅の歴史は、もう何回も書いた全国のローカル線の歴史と共通である。この駅から駅員の姿が消えて久しいけれど、やや大ぶりな駅本屋や古レールで造られたホーム上屋が、かつての賑わいぶりを今に伝えている。

 13時50分、三次からの356Dが到着。13時58分には、宍道からの木次線1447Dが着く。更に14時ちょうど頃、定刻より数分遅れて、新見からの435Dが入駅してきた。どの列車も、キハ120型気動車1両編成。そして、備後落合で折り返してそれぞれ始発駅に引き返すダイヤになっている。

 わずかな乗り換え客が構内を往来したあと、私が乗る三次行きが真っ先に出発した。

芸備線

 備後落合を出た芸備線の下り列車は、しばらく西城川の渓谷に沿って進む。

 突然、列車が減速した。見ると、時速15Km制限を指示する真新しい標識が建っている。本線上で恒常的にこれほど極端な速度制限が行われるのは、そうあることではない。
 けれども、その後も芸備線や福塩線の随所でこのような速度制限を見かけた。どこも、見通しの悪い崖っぷちというのは共通しているようだ。

 線路に障害物があっても、列車は急に止まれない。ハンドルを切ってこれを避けるわけにもいかない。
 だから、鉄道事業者は線路の保守点検に万全を期して、列車の安全運行を保証するわけだが、この時速15Kmというのは、要するにその保証ができないから、列車はいつでも止まれる速度まで減速し、毎回安全を確認してから通りなさいという意味ではないのだろうか。

 勝手な憶測は慎まねばならないが、もし、そうだとしたら、ローカル線の合理化は、もはやある一線を超えてしまったと判断せざるを得ない。

 備後庄原を出た列車は、低い山々と水田がいり混じった中国山地の農村地域を走るようになる。

 大半の民家は、艶のある瓦葺きで、屋根のかたちが複雑だ。鬼瓦が載る位置には、鳥のしっぽをかたどったような装飾つきの瓦が置かれている。ただそれだけで、どの家も豊かなように見える。雪の多い山陰では、もっと単純な屋根の家が多かった。

 たった1両の列車だが、車内は徐々に混み始め、座れない客も出始めた。
 塩町では福塩線が合流する。本来ならばここで乗り換えだが、接続列車がないので、一旦三次まで行くことにする。

続く

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2003年10月16日 制作 2003年10月20日 修正