急行みよし5号(三次駅)
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■福塩線 三次では、広島行きの急行みよし5号がすぐの接続となっている。 次の福塩線の列車までは、約1時間の待ち時間があるので、遅い昼食を摂ることにする。駅前に目ぼしい店はなく、駅構内のお好み焼き店に入った。 テレビで、広島-ヤクルト戦が放映されている。今年は阪神が既に18年ぶりのリーグ優勝を決めているが、こんな消化試合が中継されるとは、ここは確かに広島なのだと思う。 16時16分発の福塩線府中行きは、やはりキハ120形1両編成であった。最近のJR西日本の非電化ローカル線は、どこに行ってもこの車両ばかりで、あまり面白みがない。 さっききた線路を引き返し、塩町から福塩線に乗り入れる。 JRの路線を初乗りするのは久しぶりだが、期待に反して、その車窓は概して平凡であった。列車は典型的な中国山地の農村風景のなかを進んでいく。交換設備が剥がされた小駅に停まるごとに、数人ずつの下車客が現れる。運賃箱に投入されるのは、大半が三次駅か広島駅からの乗車券で、現金を支払っているのは、通学定期で乗り越しをする高校生だけであった。 福塩線の全通は、1938(昭和13)年で、戦前に開業した最後の鉄道路線にあたる。すでに戦争の影が忍び寄りつつあった時代で、駅舎やホーム、トンネル等の造りもどことなく粗末な感じだ。 けれども、備後三川駅を出ると、その様相が一変する。 あとで調べてみたら、全長6,123mの八田原トンネルで、1989年にダム建設に伴って新設されたものらしい。ローカル線のトンネルとしては、只見線の六十里越トンネル(6,359m)につぐ長さとのことである。 府中からは、3両編成の電車に乗り継ぐ。JR西日本最新の223系電車並みに改装された115系電車であった。 福塩線の福山-府中間は、両備軽便鉄道という私鉄が1914年に開業させたもので、1927年には電化が完成した。1933年に国有化され、1935年に1,067mmに改軌されるという興味深い歴史(---と言うことは、ナローゲージの電車が走る国営鉄道が存在したということだ!)があるが、あたりはすっかり暗くなっていて、その車窓観察は次回までお預けである。 18時50分、福山に着く。在来線と新幹線が重なった2層構造の高架駅で、新幹線乗り換え改札からホームへのエスカレータは、在来線ホームを突ききって一気に昇る構造である。ちょっと面白い。 のぞみ66号は、事前に指定席特急券を準備してあった。新大阪までたったの1時間とは言え、最後の最後に立つのは辛い。 |
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2003年10月16日 制作 2003年10月20日 修正