湯巡りトロッコとスイッチバックの旅


急行みよし5号(三次駅)


三次のお好み焼き


1730D(三次駅)


上下駅で


270M(府中駅)

福塩線

 三次では、広島行きの急行みよし5号がすぐの接続となっている。
 この列車に乗れば、午後7時まえに新大阪に帰れる。かなり疲れていたからそういう邪念が一瞬脳裏をかすめたが、やはり当初の予定通り福塩線に初乗りしようと思う。
 今や珍しくなった2両編成の気動車急行が、盛大な騒音と淡い排煙を残してホームを出ていった。

 次の福塩線の列車までは、約1時間の待ち時間があるので、遅い昼食を摂ることにする。駅前に目ぼしい店はなく、駅構内のお好み焼き店に入った。

 テレビで、広島-ヤクルト戦が放映されている。今年は阪神が既に18年ぶりのリーグ優勝を決めているが、こんな消化試合が中継されるとは、ここは確かに広島なのだと思う。
 お好み焼きが広島風であることは言うまでもない。
 全部の具を混ぜて一気に焼き上げる関西風と違い、当地のお好み焼きは、調理に手間と時間がかかる。注文から完成品が運ばれるまで20分近くを要した。長く待ったせいか、供されたお好み焼きはなかなか旨い。

 しかし、いかに美味であろうとも、かように時間がかかるどんくさい料理は、関西では決して受け入れられないだろう。

 16時16分発の福塩線府中行きは、やはりキハ120形1両編成であった。最近のJR西日本の非電化ローカル線は、どこに行ってもこの車両ばかりで、あまり面白みがない。

 さっききた線路を引き返し、塩町から福塩線に乗り入れる。

 JRの路線を初乗りするのは久しぶりだが、期待に反して、その車窓は概して平凡であった。列車は典型的な中国山地の農村風景のなかを進んでいく。交換設備が剥がされた小駅に停まるごとに、数人ずつの下車客が現れる。運賃箱に投入されるのは、大半が三次駅か広島駅からの乗車券で、現金を支払っているのは、通学定期で乗り越しをする高校生だけであった。

 福塩線の全通は、1938(昭和13)年で、戦前に開業した最後の鉄道路線にあたる。すでに戦争の影が忍び寄りつつあった時代で、駅舎やホーム、トンネル等の造りもどことなく粗末な感じだ。

 けれども、備後三川駅を出ると、その様相が一変する。
 線路はコンクリートマクラギの立派なものとなり、程なくトンネルに入る。『かーっ』というスラブ軌道特有の騒音がこだまする。相当に長いトンネルのようで、一向に出口に到着しない。

 あとで調べてみたら、全長6,123mの八田原トンネルで、1989年にダム建設に伴って新設されたものらしい。ローカル線のトンネルとしては、只見線の六十里越トンネル(6,359m)につぐ長さとのことである。

 府中からは、3両編成の電車に乗り継ぐ。JR西日本最新の223系電車並みに改装された115系電車であった。

 福塩線の福山-府中間は、両備軽便鉄道という私鉄が1914年に開業させたもので、1927年には電化が完成した。1933年に国有化され、1935年に1,067mmに改軌されるという興味深い歴史(---と言うことは、ナローゲージの電車が走る国営鉄道が存在したということだ!)があるが、あたりはすっかり暗くなっていて、その車窓観察は次回までお預けである。

 18時50分、福山に着く。在来線と新幹線が重なった2層構造の高架駅で、新幹線乗り換え改札からホームへのエスカレータは、在来線ホームを突ききって一気に昇る構造である。ちょっと面白い。

 のぞみ66号は、事前に指定席特急券を準備してあった。新大阪までたったの1時間とは言え、最後の最後に立つのは辛い。
 さきのダイヤ改正で新設されたのぞみ号の自由席は予想通りの大混雑で、私が乗る4号車にまで客が溢れてきた。

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2003年10月16日 制作 2003年10月20日 修正