湯巡りトロッコとスイッチバックの旅


快速湯巡り山陰号(安来駅)


キハ121(倉吉駅)


大山


山陰湯巡り号の車内


スーパーまつかぜ(松江駅)


玉造温泉駅

快速湯巡り山陰号

 倉吉からは、米子行きの普通列車が連絡している。10月のダイヤ改正で登場したばかりの新型気動車が充当されていて、ちょっと食指が動くが、計画通りの列車に乗ろうと思う。

 湯巡り山陰号は、出雲市-鳥取間に1日1往復運転される臨時列車である。グリーン車を遥かに凌ぐ設備の客車3両と中間展望車1両の計4両。これを専用のDE10型ディーゼル機関車が牽く。折り返し時の機関車の付け替えを省略するために、客車の最後尾にも運転席があるのが目新しい。
 1999年、南紀熊野体験博に合わせ、"きのくにシーサイド"として紀勢本線でデビューした車両だが、この秋は紀州を遠く離れた山陰に出稼ぎに来ている。

 スーパーはくとの写真を撮影しているうちに、京都方から列車が入線してきた。

 車内は、大きなテーブルがついたボックスシートが並ぶ。窓2つがひと区画だから、1席あたりのスペースは普通の倍である。けれども、その豪華な車内に乗客は数えるほどしかいなかった。

 列車は、ところどころで右手に日本海を望みつつ、客車列車にふさわしい速度で走る。本来ならば左手に大山が見えてくるはずだが、あいにく雲が低くたれこめており、山頂を望むことはできなかった。

 途中、いくつかの駅で運転停車をしながら、約1時間で米子に到着。6分間停車する。

 米子は、JRの支社もある拠点駅である。駅舎の反対側が車両基地なっていて、さまざまな車両が留置されているのをホームから眺めることが出来る。
 足が短い蒸気機関車の時代は、主要駅で給水や機関車交換を行う必要があった。だから、拠点駅には必ず車両基地が併設されていたのだが、電車や気動車の時代になると、駅は単に乗降の場となってしまう。
 駅を中心とした都市再開発をしたい地元と、施設の更新をしたい鉄道側の思惑が一致して、最近は車両基地は郊外に移転、その跡地を新しい駅前広場とする例が多くなった。鉄道の発展には欠かせないことなのだろうが、鉄道ファンとしては面白みがなくなる。

 米子を出た列車は、次の安来で約20分停まり、後続の普通電車に道を譲る。単線区間の臨時列車だから、思い通りに走る訳にはいかないのはわかるが、それにしても停車時間が長い。停車駅数は特急並みだが、それで稼いだ時間を長時間停車で消費し、結局、鈍行よりものろい。

 16時45分、高架の松江駅に到着。

 天気がいまひとつのせいもあって、あたりはだいぶ暗くなってきた。ここで、今度は特急スーパーまつかぜ5号を退避する。わずかな停車時間に多くの客を飲み込んだ新型特急は、気動車とは思えぬ猛烈な加速で走り去っていった。

 松江を出ると、右手に宍道湖を望めるようになる。"夕日がきれいな湖"としてPR中であるが、曇天の今日は、夕日は見えない。

 17時01分、玉造温泉駅に到着。玉造温泉は、山陰屈指の規模を誇る温泉だが、私のほかに湯巡り山陰号から下車した客はいなかった。

 タクシーで温泉街に向かう。運転手によれば、景気のいい話が少ない昨今だが、さすがに今晩はどの宿も予約でいっぱいで、約6,000人が宿泊するのだそうである。

 予約してあった宿は、規模の大きな温泉旅館である。
 広い館内に、大浴場や宴会場、土産物売り場、カラオケ、バー、居酒屋とすべてが揃っている。敷地から一歩も出なくても愉しめる、一種のテーマパークみたいなもので、客を囲い込もうとする魂胆が見え見えである。
 バスやクルマで乗りつけたうえに建物から一歩も出ないのであれば、そもそも温泉はどこにあろうが関係ないことになる。これでは、"旅"の実感は湧かないのではないか。

 夕食後、私は温泉街を一回りしてみた。数軒の飲食店に明かりがともっている以外、営業中の店は皆無で、人通りはほとんどない。6,000人の宿泊客がいるとは思えないほど寂しげな温泉街の姿であった。

続く

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2003年10月16日 制作 2003年10月20日 修正