青春18---ステーキとスイッチバックの旅


高田駅で


近鉄電車(榛原駅)


北宇智駅に進入


バック運転


後退中のカブリツキから


南海特急りんかん(橋本駅)

桜井線・和歌山線

名張→桜井

 名張からは、近鉄の上本町行き急行電車で大阪方面に向かう。

 今日は昼食時にビールを呑んだので、明るいうちにもかかわらず、相当に酔っぱらっている。このまま冷房の効いた車内に座っていれば、1時間あまりで大阪に帰れる。そのまま電車に乗り続けたい誘惑に駆られたが、予定通り、関西に残るもう一つのスイッチバックを体験することにした。

 桜井駅で電車を降り、JRの乗り場に行く。
 JRのホームがある南側が昔からある駅前広場である。この駅も、私が子供の頃は、買い物袋を持った人たちでもっと賑わっていたような記憶があるが、今は閑散としている。

 ここ20年位のうちに、全国至る所でバイパス道路沿いに新しい商業施設が出来、クルマで買い物に行く生活習慣が定着した。旧来の駅前商店街はかつての賑わいがうそのように寂れてしまい、シャッターを下ろしたままの店舗が目立つようになっている。
 時代の流れと言えばそれまでだが、鉄道にとっては、かつて経験したことのない深刻な状況の変化であろうと思う。なぜなら、鉄道に乗って出かける目的地そのものがなくなりつつあるのだから。

 程なく王寺行きの電車がやってきた。東京でお払い箱になった車両を改造した105系電車である。

 香久山と畝傍山を左手、耳成山を右手に見つつ、電車は高田へと向かう。この区間は圧倒的な運転頻度の近鉄線が並走しているから、どの駅の乗降も、わずかに数人ずつであった。

高田→橋本

 高田で十数分の待ち合わせののち、今度は和歌山線の電車に乗る。さっきと同じ105系ワンマンカーであった。カブリツキに陣取って、見物することにする。

 国道24号線は、御所から風の森峠を越えて直接五条を目指すが、和歌山線は急勾配を避け、吉野口方面に大きく迂回して敷設されている。
 近鉄線と連絡する吉野口駅を出ると、列車は右に左にカーブしながら、急勾配を上っていく。今は電化されているから、この程度の勾配は屁でもないのだろうが、かつてはC58が力闘した区間だろうと思う。

 サミットを過ぎて左にカーブすると、近畿で唯一のスイッチバック駅として知られる北宇智駅の場内信号機が見えてきた。折り返し線、つまりは駅ホームへの進入を許可する注意信号が現示されている。急行列車はそのまま通過できる配線だが、現在、和歌山線に優等列車の設定はない。

 北宇智での列車交換はないから、わずかな停車時間ですぐに発車となる。運転士は、逆転ハンドルを後退にセットし、窓から大きく身を乗り出して、右手でマスコンを操作する。
 シザースクロスポイントを越えて引き上げ線で停車。信号が変わると、再び五条に向けて前進である。すぐに下り勾配区間に入るから、列車はどんどん加速する。やがて、線路の両側に家屋が建ち並ぶようになると、五条に着く。

 乗客の多くがこの駅で下車。車内に残る客は数える程になる。黄昏が迫り、動く電車内から車外の撮影をすることが難しくなってきた。
 このまま和歌山線に乗り続け、和歌山で阪和線に乗り換えれば、追加出費なしで大阪に帰ることができる。けれども、景色の見えない鈍行旅行は、あまり楽しいものではない。それに、さすがの私も疲れてきた。

 こんな私の心を見透かしたかのように、橋本駅では南海高野線の特急電車が待機していた。

 普通運賃に加えて料金500円を払って乗った特急電車はさすがに快適で、またまたビールを舐めているうちに紀見峠を越え、あっという間にネオン煌めく大阪難波に到着したのであった。

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2003年8月11日 制作 2003年8月19日 修正