みなみ九州 蒸機とスイッチバックの旅

SLあそBOY


立野駅で


宮地駅で


宮地駅で


阿蘇駅本屋


バス車内から
阿蘇山頂はルームミラーに隠れている

宮地の入換作業

 折り返し列車の発車までしばらく時間があるので、蒸機の入換えの様子を見物することにした。

 12時38分の豊後竹田行きが発車すると、『SLあそBOY』は一旦大分方に引き上げる。客車を留置線に押し込んだあと、今度は機関車だけがバック運転で転車台のほうに進んで来た。

 入換えの誘導を担当するのは、カウボーイ姿の車掌氏である。手旗と無線機を持って機関車を誘導するのだが、どこに準備してあったのか、カウボーイハットに代えて、長いつばのついた、米国風の赤いヘルメットを着けていたのには驚かされた。『SLあそBOY』は、どこまでもイメージに忠実なのだ。

 転車台で少し向きを変え、給水線に入線。Gパン赤ヘルの車掌が、給水を始める。ナッパ服姿の機関助士は、足回りの点検に余念がない。

 整備作業が行われている傍らで、弁当を広げている家族連れがひと組。今日は天気がいいし、停車中も蒸気を吹き上げる生きた機関車を眺めながら、ゆったりすごすのも悪くない。
 けれども、こんなことをされては、地元は商売上がったり、ではないかとも思う。SLで来て、持参の弁当を食べ、列車で引き返す。JRは儲かっても、地元にな1円のカネも落ちない。『SLやまぐち』号が津和野に着くと、団体客が大挙して町の観光に向かったことを思い出した。

 13時ちょうどの気動車で、阿蘇駅へと引き返す。
 『SLあそBOY』で宮地まで来た客のうち、半分くらいが私と同じ上り列車に乗った。

阿蘇山見物

 今日午後の日程は、決まっていない。

 天気が悪ければ、阿蘇山麓に無数に湧き出す温泉にでもつかろうと考えていたのだが、雲ひとつない快晴だったので、阿蘇山に登ってようと思う。

 阿蘇駅は、もとは坊中といった。登山道路が完成し、阿蘇観光の玄関口となった1961年に現在の駅名に改称している。

 駅前には、立派な土産物屋があるけれど、閉店して久しいらしい。鉄筋造りの路線バス営業所も、かつては観光客が溢れたのであろうが、今は数人の係員がいるだけで、売店すらない。鉄道と路線バスを乗り継ぐ観光客なぞ、もはや皆無に等しいのだろう。

 それでも、時刻表どおりにバスが来た。わずかな観光客を乗せた大型バスは、阿蘇山麓の観光道路の登り始める。高度が上がるに従って、広大な火口原が一望できるようになる。その一角が大きく削り取られているが、これは火口原一帯の雨水を一手に集めて有明海に注ぐ白川が作った峡谷である。豊肥本線は、その谷を利用して火口原に入り、更に大分に向かっているわけだ。その先に、雲仙普賢岳の山頂が、霞の中から浮かび上がるように見えている。

 昔、地学の授業で習ったことが、そのまま体感できるような光景であった。

 バスの終点から、ロープウエイを乗り継いで、山頂に向かう。
 阿蘇山は現在も噴煙を吹き上げる活きた火山である。その火口を直接見られるのは、極めて興味のあることだが、果たして、私が火口を覗き込むと同時に、大音量の放送が響き渡った。
 火山性の有毒ガス濃度が危険な値となったので、直ちに下山せよとの警告である。私は高い運賃を払ってはるばるやって来たのであるから、もうちょっと火口を眺めていたい-----と思ってたら、血相を変えた警戒員が駆け寄り、半ば強制的にロープウエイ駅に収容されてしまった。
 ロープウエイも下山のための"緊急運転"で、定員一杯の観光客を詰め込んで、山麓に向かう。搬器の中は少々殺気立った雰囲気である。ただならぬ状況に幼児が泣き出し、母親らしい女性が叱っている。

『そんなに泣くんだったら、ここで下ろしますよっ!!!』

 乗客の誰かが、ぼそっと言う。

『ここで下ろしちゃ、子供さん、タダの怪我じゃ済まないと思うけど...』

 満員の搬器に笑いが漏れた。確かに、空中を行くロープウエイからの"途中下車"は、危険に満ちている。

続く

この項先頭に戻る


Copyright by Heian Software Engineering (C)H.S.E. 2002 Allrights reserved.
2002年11月30日 制作 2002年12月19日 修正