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■阿蘇下田城ふれあい温泉阿蘇駅から、普通列車で立野に戻る。 指宿枕崎線で乗ったのと同じ新型気動車で、運転士は軽くブレーキをかけたまま、33.3パーミルの勾配をゆっくりと下っていく。 立野駅の転向線に列車を停めると、運転士は反対側の運転席に向かった。『SLあそBOY』では、見張り要員すら見かけなかったけれど、立野のスイッチバックでは、一旦エンド交換をするのが原則らしい。 立野からは、南阿蘇鉄道に乗り換える。JRの上り列車から乗り継いだのは私だけであったが、熊本発の接続列車からは、思いのほか多くの乗客が、たった1両のレールバスに乗り込んできた。 南阿蘇鉄道は、旧国鉄高森線を引き継いだ第三セクター鉄道である。高森線時代に一度乗ったことがあるので、"初乗り"ではない。わざわざこんな列車に乗ったのは、実は温泉に浸かるためである。 阿蘇山麓には多くの温泉がわき出ている。日帰り入浴が可能な施設はいくつもあるが、極めつけは、南阿蘇鉄道・阿蘇下田城ふれあい温泉駅にある、その名も『阿蘇下田城ふれあい温泉』であろう。駅構内に温泉がある、と言うより、公衆浴場の建物の一部を駅として使っていると言ったほうが正しい。とどのつまりが列車を降りたところが即温泉という、鉄道旅行者には願ってもない温泉なのだ。 早速、入浴。広いとは言えないものの、必要十分な浴槽に、地元の爺さんたち数人がのんびりと浸かっている。脱衣場に大きなリュックサックなぞを持ち込んだから、こちらの正体はお見通しなのであろう。さっそく、『どこから来たのか?』などとと話しかけてくる。 洗い場にシャンプーとボディソープがあったので、有り難く使わせていただく。首筋をこすったタオルは煤で灰色に変色し、髪を洗うと、ジャリジャリしたシンダが流れ落ちてきた。蒸機の煤煙は、これほどまでに浸透するものかと思う。 阿蘇下田城ふれあい温泉駅17時39分発の列車で、立野に戻る。時刻表上予想されたことではあるが、来るときの列車がそのまま高森で折り返してきたもので、同じ白髪の運転士がハンドルを握っている。 上り列車の乗客は少なく、ロングシートにぽつんと座っていたら、運転士が、『温泉はいかがでしたか?』と話しかけてきた。ほとんどタクシーのノリである。 立野からは、気動車と電車を乗り継いで熊本に向かう。 あたりはすっかり闇に包まれているが、これから、今回の旅行の最後のイベントが待っている。 ■特急つばめ・ビュフェ熊本からは『つばめ22号』に乗る。わざわざこの列車を選んだのは、日本で唯一となったビュフェの営業が行われているからである。 熊本を出発すると、自動放送に続いて、肉声によるビュフェ・車内販売の案内アナウンスが始まった。延々と商品名を連呼するあたりは、さすがに商魂逞しいとも思う。 『つばめ』のビュフェは、社外の有名デザイナーの手による近未来的な内装である。食事類はすべて冷凍食品を電子レンジで加熱して提供する仕組みだ。調理専属の従業員はいないようで、カウンターの片隅にある小部屋で、チンした食品を紙皿に盛りつけるだけのようである。什器は使い捨てであるから、洗い場も必要ない。 けれども、このビュフェも、九州新幹線の開業に伴って、廃止される運命にある。すでに、ビュフェ車を座席車両に改造する工事も始まっており、旅行の楽しみがまたひとつ減ることになる。 ビュフェは、思いのほか混んでいた。 ビールとワインを注文し、地鶏の炭火焼きを肴に、乾杯。 列車は、よく整備された鹿児島本線を、博多に向けて滑るように走っている。車窓の景色は楽しめないけれど、時折、わずかな乗客が列車を待つ小駅が、現れては消える。適度な揺れと、温泉に浸かったあとの脱水状態が相まって、アルコールはあっという間に五臓六腑に染み渡った。 20時17分、博多着。 あとは、新大阪行きの上り最終『ひかりRailstar396号』で我が家に向かうだけである。 |
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2002年11月30日 制作 2002年12月19日 修正