みなみ九州 蒸機とスイッチバックの旅

最南端の鉄路---指宿枕崎線


枕崎駅で


とんこつ弁当(870円)


開聞岳


西大山駅で


枕崎駅


山川駅で

最南端の鉄路

 西鹿児島からは、指宿枕崎線の気動車で、終点・枕崎を極める予定になっている。『とんこつ弁当』を買い、2両編成の列車に乗り込む。列車は、遅れて来た『つばめ3号』との接続をとってから出発。車内は立ち客もいる混雑ぶりで、昼食はしばらくお預けである。

 列車は、住宅の建ち並ぶ市街地を走る。数分おきに小さな駅に停車し、相当数の客が下車する。単線非電化ながら、指宿枕崎線は鹿児島市内交通の一翼を担っている。

 五位野を出ると、列車は海岸に沿う線路を走るようになる。シラス台地が錦江湾に迫り、国道226号線と指宿枕崎線の線路以外に、もはや人工物を作る余地はない。車内にも空席が目立ち、都市の近郊路線から一変して地方のローカル路線の雰囲気になる。

 ボックス席を確保できたので、昼食を摂ることにした。巨大な肉塊が3〜4個も入った『とんこつ弁当』はボリウムたっぷりではあったが、その脂はややしつこい感じがしないでもない。

 喜入では、残り少なくなった乗客の半分くらいが下車する。更にその先の指宿でほとんどすべての客が下りてしまい、2両の気動車に残るのは、わずか7〜8名だけとなった。13時24分、山川着。

 五位野までは、20分毎に列車が走る指宿枕崎線も、喜入から先は1時間毎となり、更に山川-枕崎間は1日7往復となっている。私が乗っている列車の1本まえは、朝6時29分発である。

 わずかな乗客を乗せて山川を出た気動車は、車体を震わせながらトンネルに入った。相当な上り勾配のようで、速度はなかなか上がらない。あとで調べてみたら、全長1060mの山川トンネルといい、日本最南端の鉄道トンネルだそうである。

 山川トンネルを抜けると、ぱっと視界が拡がった。見渡す限りの畑の向こうに、開聞岳が見える。私の好きな鉄道車窓のひとつである。もう、11月も下旬であるが、畑に植えられた作物はみずみずしい新芽を吹いている。暖かいのだなあと思う。

 山川から2つ目の西大山は、日本最南端の駅として知られている。一面の畑の中にホームだけがある駅で、最南端の駅を示す標識が立っている。かくの如く、指宿枕崎線は、『日本最南端の○○』の宝庫だ。
 けれども、2003年には、沖縄にモノレールが開業するらしいから、そのあかつきには、その大半がタイトルは返上することになろう。

 開聞岳の麓をかすめた列車は、今度は丘陵地帯を淡々と走る。小さな駅にも丁寧に停車していくが、乗降客は皆無である。山川-枕崎間は、1960〜1963年にかけて開業した路線で、どの駅にも古レールを使った小さな上屋がある。戦前に開業した線区とは異なった、ある種の郷愁を感じるのは私だけではあるまい。

 14時27分、枕崎着。
 駅員はもちろん、信号機すらない駅で、西鹿児島から細々と続いてきた線路が、そのまま果てている感じだ。ドアが開くと、わずかな乗客は、皆、ホームから思い思いの方向に歩いていってしまう。

 旧国鉄の線路が枕崎に達したのは1963年10月。けれども、枕崎駅自体は、それより30年以上もまえの1931年3月に、南薩鉄道(のちの鹿児島交通)の駅として開業しているから、立派な"駅舎"がある。しかし、実質的には鹿児島交通の営業所兼待合室であって、その改札口に向かう人は皆無であった。

 わずか9分の停留ののち、列車は山川に向けて折り返す。上り列車の乗客は、高校生が10人程。下校時刻には早すぎると思うのだが...。

 西頴娃では、10分余り停車して、8331Dと交換。一度遠ざかった開聞岳が、再び視界に飛び込んでくる。15時47分、山川着。

 山川からは、新しい快速型の気動車で指宿に向かう。キハ200型という民営化後に登場した車両で、まるで電車のような乗り心地である。座席は、半分ほどが地元の高校生で埋まっていた。

 16時14分、指宿着。高校生に混じって下車する。
 指宿は、古くからのA級観光地であり、駅舎も鉄筋造である。けれども、ローカル線を乗り継いで指宿を訪れる人は少ないようで、高校生が足早に散ってしまうと、とたんにひっそりとした雰囲気になってしまう。

 駅前で客待ちをしていたタクシーに乗って、宿に向かった。

続く

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2002年11月30日 制作 2003年6月25日 修正