みなみ九州 蒸機とスイッチバックの旅

寝台特急 なは


『なは』(西鹿児島駅)


熊本駅にて


東シナ海(『なは』車内から)


レガートシートの車内(八代-水俣間で)


ワゴンサービス


"九州新幹線"の高架(『なは』車内から)


西鹿児島駅にて

レガートシート

 6時45分、個室備え付けの時計で目が覚めた。列車は、どんよりとした曇り空の下を走り続けている。

 ポータブルMDを取り出し、個室内のスピーカーにマイクを向ける。熊本到着前に流れる"おはよう放送"を録音するためだ。マルチメディア指向の鉄道旅行記を仕上げるのは、かように手間がかかるのである。

 7時09分、熊本着。相当数の客が下車する。
 多客期には、ここで編成の後ろ2両を切り離すことになっているが、今日は最初から連結されていない。したがって、5分間の停車中、車掌は手持ちぶさたにホームに立っているだけである。

 熊本からは、車内販売員が乗務することになっている。程なくそのアナウンスが流れた。昨日はしこたま呑んだから、今朝の朝食は、脳細胞を刺激する香り高いコーヒーとサンドイッチにしたい。

 けれども、7時41分発の八代を過ぎても、車内販売はいっこうにやって来なかった。もしかしたら、わずかな弁当が売り切れ、開店休業状態になったのかも知れない。このまま西鹿児島まで飲まず食わずは辛いから、ワゴンンサービスを迎えに行こうと思う。

 隣のレガートシート車に移ったとたん、なかなか来ない車販のなぞが解けた。昨夜、数人の客しかいなかった座席が、見事に埋まっているではないか。
 そこに陣取るのは、大半が背広をを来たサラリーマンであった。その多くが、朝食のコーヒーやサンドイッチを注文するから、ワゴンはなかなか前進しないのである。

 レガートシート車は、安価な夜行高速バスに対抗する目的で連結された座席車で、グリーン車並みの立派なシートがついている。けれども、昨夜の惨状を見れば、JRの目論みは見事に外れたと言っても過言ではない。

 他方、熊本から鹿児島方面に向かう始発特急は、『なは』の約1時間後、8時20分の『つばめ1号』だ。俊足電車特急と言えども、線形の悪い熊本-西鹿児島間ではスピードが出ず、西鹿児島着は『なは』の約30分後。
 多くの寝台特急がそうであるように、この『なは』も、末端の熊本以遠は、立席特急券で利用できる。けれども、他人が使った寝床に座るのは、あまり快適とは言いがたい。

 そこで、勝手を知った常連客が、熊本からのレガートシート指定席特急券を買い求めているのであろう。

 大阪から遠路はるばるやってきた列車に九州内のビジネス客が乗っているのも妙な話だが、しかし、これもJRにすれば有り難いお客様であることには違いない。

九州新幹線

 自室に戻り、やっと来た車販嬢から、朝食を購入。熱いコーヒーをすすりながら、流れゆく車窓の景色を眺める。

 列車は、短いトンネルを抜け、小さな入り江をかすめる。急カーブがおおく、スピードは出ない。東シナ海は思った以上にたおやかで、海面は、まるで湖のようでもある。明るいうちにこの区間の列車に乗るのははじめてだけれど、○○本線と名がつくJRの幹線の中では、ベスト10に入るであろうと思う車窓風景であった。

 しかし、かような魅力的な線区であればあるほど、高速列車の運転に支障する。新八代-西鹿児島間では、2004年春の開業をめざし、九州新幹線の建設が着々と進んでいるのだ。

 さっきから『なは』の車窓の右左に、時折真新しい高架が見える。高い防音壁と架線柱から、それが新幹線であることは容易にわかる。

 この九州新幹線は、過去に例のない特異な形態での開業となる。つまり、大都市に直通しない、孤立した新幹線なのだ。
 福岡から在来線特急に乗った乗客は、旅程の半分以上が終わったところで新幹線に乗り換え、鹿児島に着く。"山形新幹線"・"秋田新幹線"の人気の秘密は、乗り換えなしの東京直通にあると言うが、果たして、乗り換えの手間までかけて得られる時間に、人々は魅力を感じるであろうか。東京、大阪、福岡に直通しない新幹線に、どれほどの意味があるのであろうかとも思う。
 計画では、九州新幹線博多-西鹿児島間の全通は、2014年頃。それは、東海道新幹線が開業してから、じつに50年後にあたる。
 半世紀の間に社会情勢は大きく変化しているから、南九州の人たちが、九州新幹線の開業を東海道のそれと同一視しているならば、それは大きな思い違いであるように思えなくもない。

 新幹線開業後、現在の鹿児島本線は、廃線にこそならないものの、JRの経営から切り離される。おそらくは、運命を共にするであろう『なは』の個室で、私は少し複雑な思いにかられた。

 特急『なは』は、小さな駅にこまめに停まりながら、終着・西鹿児島を目指す。
 このあたりは、部分的に複線化がなされていて、上下線がまるで別路線のように大きく離れているところがある。長い橋梁があったり、トンネルがあったりするのは、必ずと言っていい程、複線化のためにあとから増設された側だ。現在の鹿児島本線の全通は1927年のことらしいが、当時、架橋やトンネル建設は、極力避けたいことであったのだと思う。

 最後の停車駅・伊集院を出ると、列車はちょっとした山あいに入っていく。上り線がぐんぐん離れていったかと思うと、列車はトンネルに入った。たぶん、こちらが新線なのだろう。

 シラス台地を穿つ長いトンネルを抜けると西鹿児島はすぐで、終着を告げる車内アナウンスが始まった。

続く

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2002年11月30日 制作 2003年6月25日 修正