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■寝台特急 なは■序章 新大阪駅夜8時。コンコースをサラリーマンたちが忙しく行き交っている。東京行き・博多行きともに、終発まであと数本の列車が残っているから、大阪出張を終えて、今日のうちに首都圏や九州の我が家に帰り着ける時刻である。 そんな新大阪駅にあって、ひっそりと静まり返っているのが、東海道線下り列車のりばである17・18番ホームである。 1970年代、このホームからは、多くの夜行列車が九州各地へと旅立っていった。当時は、関西から九州に向かう客だけでなく、新幹線からの乗り継ぎも多かったらしい。 けれども、新幹線が博多まで延伸され、航空機の利用が一般化するにつれて、九州に行くために夜行列車を利用する必然性は極めて小さくなった。夜行列車も年々削減されて、現在、関西から九州に向かう定期夜行列車はわずかに2本となっている。 これから乗車するのは、西鹿児島行きの寝台特急『なは』号である。 丸いヘッドマークを掲げたEF65が牽く寝台特急は、二十数年前、当時の少年ファンが憧れた正当派(?)ブルートレインの姿であるが、この日、この列車にカメラを向けていたのは、私と中年のおっさんひとりだけであった。 定刻、新大阪駅を出た列車は、上淀川橋梁上を加速する。西鹿児島まで、約14時間、1,000Kmに及ばんとする旅が始まるのだ。昨秋、『日本海』に乗って以来の本格的鉄道旅行に私の胸は高鳴るけれど、しかし、これはある種の肩透かしで、『なは』はつぎの大阪駅で6分間も停車するのである。姫路行きの新快速列車を退避するためだ。 けれども、大量の通勤客を飲み込んだ新快速列車が走り去ると、ホームには長距離夜行の出発にふさわしい静寂が訪れた。長い発車合図が終り、列車はゆっりと走り始める。今度こそ、本当の旅立ちである。 ■個室寝台で乾杯夜行列車特有のゆったりとした放送が流れるなか、通勤電車群が行き交う複々線を列車はゆるやかに速度を上げていく。 今夜の私の寝室は、7号車5番個室。デュエットと称する2人用B寝台個室である。 出発早々、車掌の検札が済むと、あとは明朝西鹿児島到着まで、まったく自由で気ままな時間が持てる。待ちに待ったこの至福のひと夜の始まりである。 私は、リュックからワインを取り出した。実は、アパートを出るとき、冷蔵庫から1本の冷えた白ワインを忍ばせてきたのである。もちろん、ナチュラルチーズも一緒に。 駅で買った紙コップにワインを注いで、流れゆく沿線の明かりに、乾杯! この旅が、いい旅行でありますように。 たった4日の休みを捻出するために、ここ10日程は、恐ろしい過密勤務であった。先週は月曜から土曜まで通常勤務をしたあと、日曜当直。つまり、日曜朝9時に出勤したら、月曜夕方(実際には、残業があったので、夜10時)までの37時間ぶっ続け勤務。翌火曜日はまたまた当直で、朝8時半の出勤から、今日夕方5時すぎまで、約33時間の連続勤務。 他人に"健康"を売るはずの医者自らが、かような不健康そのものの勤務をしてることに大いなる矛盾を感じざるを得ないが、けれども、医療でもっとも大切な医療者と患者の信頼関係は、これくらいの努力をしないと勝ち取れないのかも知れないとも思う。 適当に酔いがまわってきたところで、明石海峡大橋の案内が流れた。夜行列車でこの種の放送を聴くのは、はじめてである。 あいにくデュエット個室の窓は、山側である。そこで、扉を開けると、国道2号線の渋滞の向こうに、イルミネーションを灯した巨大なつり橋が見えてきた。 ライトアップされた天守閣を望みながら、姫路着。広い構内には、大阪・神戸からの通勤客を運び終えた221系や223系が、ほっとした表情で休んでいる。 大阪から姫路までの車窓は、常に賑やかであった。コンビニやファミレス、ラブホテルの電照看板が次々と現れては消える。けれども、姫路から先は、闇のなかに街灯や民家の明かりがポツリポツリと見えるだけになる。 とっておきのワインが空になったので、今度は水割りウイスキーの缶を開ける。次は缶チューハイ。『個室寝台でワイン』なんて格好をつけたけれど、結局、最後はオカキをつまみに缶ビールを呑むという、いつものパターンになってしまった。 22時52分、岡山着。そのあと、倉敷、福山、尾道と小刻みな停車を繰り返した列車は、0時08分発の三原を最後に、"夜行区間"に入る。実際には、いくつかの駅で機関士交代のための運転停車を行うのだが、時刻表の上では、5時31分着の博多まで、どの駅にも停まらないことになっている。 私も、相当に酔いがまわったようなので、このへんで寝ることにする。 前日の、徹夜に近い勤務の疲れとアルコール、それに、列車の適当な揺れが、私を忽ちのうちに眠らせてしまったようだ。 |
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2002年11月30日 制作 2004年7月16日 修正