みなみ九州 蒸機とスイッチバックの旅

寝台特急 なは


『なは』(新大阪駅)


新大阪駅で


テールサイン


大阪駅で


車内放送をする乗務員


デュエット室内(奇数番号=1階の部屋)


車内で


『なは』の最後尾車両から

寝台特急 なは

序章

 新大阪駅夜8時。コンコースをサラリーマンたちが忙しく行き交っている。東京行き・博多行きともに、終発まであと数本の列車が残っているから、大阪出張を終えて、今日のうちに首都圏や九州の我が家に帰り着ける時刻である。
 他方、東京からの下り新幹線が到着するたびに、おびただしい数の乗客が在来線乗り場へと向う。北陸方面への特急電車を待つ人も多く、大阪の鉄道の玄関は活気に溢れている。

 そんな新大阪駅にあって、ひっそりと静まり返っているのが、東海道線下り列車のりばである17・18番ホームである。

 1970年代、このホームからは、多くの夜行列車が九州各地へと旅立っていった。当時は、関西から九州に向かう客だけでなく、新幹線からの乗り継ぎも多かったらしい。
 東京始発の伝統的な寝台特急は、九州内の終着が翌日午後になる。新大阪まで新幹線を利用して夜行列車に乗り継げば、目的地到達は翌朝であるから、半日ぶんの時間を節約できたわけだ。

 けれども、新幹線が博多まで延伸され、航空機の利用が一般化するにつれて、九州に行くために夜行列車を利用する必然性は極めて小さくなった。夜行列車も年々削減されて、現在、関西から九州に向かう定期夜行列車はわずかに2本となっている。

 これから乗車するのは、西鹿児島行きの寝台特急『なは』号である。

 丸いヘッドマークを掲げたEF65が牽く寝台特急は、二十数年前、当時の少年ファンが憧れた正当派(?)ブルートレインの姿であるが、この日、この列車にカメラを向けていたのは、私と中年のおっさんひとりだけであった。

 定刻、新大阪駅を出た列車は、上淀川橋梁上を加速する。西鹿児島まで、約14時間、1,000Kmに及ばんとする旅が始まるのだ。昨秋、『日本海』に乗って以来の本格的鉄道旅行に私の胸は高鳴るけれど、しかし、これはある種の肩透かしで、『なは』はつぎの大阪駅で6分間も停車するのである。姫路行きの新快速列車を退避するためだ。
 『なは』が停車する3・4番ホームには、新快速を待つ人だかりができている。私は再び現実に引き戻されてしまった。

 けれども、大量の通勤客を飲み込んだ新快速列車が走り去ると、ホームには長距離夜行の出発にふさわしい静寂が訪れた。長い発車合図が終り、列車はゆっりと走り始める。今度こそ、本当の旅立ちである。

個室寝台で乾杯

 夜行列車特有のゆったりとした放送が流れるなか、通勤電車群が行き交う複々線を列車はゆるやかに速度を上げていく。

 今夜の私の寝室は、7号車5番個室。デュエットと称する2人用B寝台個室である。
 料金は通常のB寝台2人ぶんと同じ。それでいて、扉を閉めてしまえば、他人の視線を気にせずゆっくりとくつろげる、JRにすれば破格の大サービス車両だ。寝台特急の全盛期、輸送力がひっ迫していた時代には、こんな贅沢な空間の使い方は許されなかった。列車に余裕が出来たからこそ出来るサービスとも言えるが、今夜の『なは』は、余裕どころか、気味が悪いほどの低乗車率である。

 出発早々、車掌の検札が済むと、あとは明朝西鹿児島到着まで、まったく自由で気ままな時間が持てる。待ちに待ったこの至福のひと夜の始まりである。
 食堂車かビュフェでもあれば言うことはないが、現在、JRで営業している食堂車は、札幌行きの豪華夜行列車だけとなってしまった。ビュフェも、JR九州の『つばめ』の一部のみである。一鉄道ファンとすれば寂しい限りだけれど、そういうサービスが"商売"として成り立たない以上は、仕方がない。

 私は、リュックからワインを取り出した。実は、アパートを出るとき、冷蔵庫から1本の冷えた白ワインを忍ばせてきたのである。もちろん、ナチュラルチーズも一緒に。

 駅で買った紙コップにワインを注いで、流れゆく沿線の明かりに、乾杯! この旅が、いい旅行でありますように。

 たった4日の休みを捻出するために、ここ10日程は、恐ろしい過密勤務であった。先週は月曜から土曜まで通常勤務をしたあと、日曜当直。つまり、日曜朝9時に出勤したら、月曜夕方(実際には、残業があったので、夜10時)までの37時間ぶっ続け勤務。翌火曜日はまたまた当直で、朝8時半の出勤から、今日夕方5時すぎまで、約33時間の連続勤務。

 他人に"健康"を売るはずの医者自らが、かような不健康そのものの勤務をしてることに大いなる矛盾を感じざるを得ないが、けれども、医療でもっとも大切な医療者と患者の信頼関係は、これくらいの努力をしないと勝ち取れないのかも知れないとも思う。

 適当に酔いがまわってきたところで、明石海峡大橋の案内が流れた。夜行列車でこの種の放送を聴くのは、はじめてである。

 あいにくデュエット個室の窓は、山側である。そこで、扉を開けると、国道2号線の渋滞の向こうに、イルミネーションを灯した巨大なつり橋が見えてきた。
 明石海峡大橋の夜景は幾度となく見ているけれど、大阪を離れゆく夜行列車からの眺めは、また格別であった。

 ライトアップされた天守閣を望みながら、姫路着。広い構内には、大阪・神戸からの通勤客を運び終えた221系や223系が、ほっとした表情で休んでいる。

 大阪から姫路までの車窓は、常に賑やかであった。コンビニやファミレス、ラブホテルの電照看板が次々と現れては消える。けれども、姫路から先は、闇のなかに街灯や民家の明かりがポツリポツリと見えるだけになる。
 JR西日本は、東海道本線と山陽本線の大阪-姫路間を"JR神戸線"と称している。夜行列車の車窓を眺める限り、これはなかなか的を得た命名であるとも思う。いま、私が乗る『なは』は、"JR神戸線"から、国有鉄道以来の"汽車"の面影を残す山陽本線に乗り入れ、ひたすら西を目指して走っている。

 とっておきのワインが空になったので、今度は水割りウイスキーの缶を開ける。次は缶チューハイ。『個室寝台でワイン』なんて格好をつけたけれど、結局、最後はオカキをつまみに缶ビールを呑むという、いつものパターンになってしまった。

 22時52分、岡山着。そのあと、倉敷、福山、尾道と小刻みな停車を繰り返した列車は、0時08分発の三原を最後に、"夜行区間"に入る。実際には、いくつかの駅で機関士交代のための運転停車を行うのだが、時刻表の上では、5時31分着の博多まで、どの駅にも停まらないことになっている。

 私も、相当に酔いがまわったようなので、このへんで寝ることにする。

 前日の、徹夜に近い勤務の疲れとアルコール、それに、列車の適当な揺れが、私を忽ちのうちに眠らせてしまったようだ。

続く

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2002年11月30日 制作 2004年7月16日 修正