■鉱山資料館 『柵原ふれあい鉱山公園』のもうひとつの目玉が、この鉱山資料館である。私は数年前に見学したが、最盛期の柵原鉱山と柵原町の様子がセットで再現されており、なかなか見ごたえがあった。 ところで、この建物、よーく見ると、トンガリ屋根のデザインは、片上鉄道の駅舎に通じるものがあると思うが、いかがであろうか。(下の柵原駅本屋の写真と見比べていただきたい。) |
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■柵原駅跡 『柵原ふれあい鉱山公園』を辞して、かつての片上鉄道の終点・柵原駅跡に行ってみた。 柵原駅も、吉ケ原駅同様のトンガリ屋根の建物だが、こちらは廃線後放置されたままになっているので、傷みが激しい。 下の写真は、旧柵原駅構内に残された鉱石の積み込み設備。 片上鉄道の廃止は1991年6月だが、これに先立つ1987年11月には、鉱石輸送が全面的にトラックに切り替えられている。 |
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■廃線敷 帰路は国道2号線を経由することにしたので、吉井川に沿って、和気に向かう。 この経路は、かつての片上鉄道の路線そのものであり、県道沿いに廃線敷が延々と続く。廃線敷は、拡幅された道路に飲み込まれたり、宅地となってしまったところもあるが、概ね現役当時の姿をよく留めていると言えよう。 1枚目は、天神山トンネル付近で鉄道特有のカーブを描く廃線敷(と私の愛車)。 2枚目は、天神山トンネル。 3枚目は、サイクリングロードになった廃線敷に残された信号機。 |
鉄道を愛するもの自らが運行する"鉄道"を見物したのは初めてであったが、10代後半とおぼしき青年から初老のおっさんに至るまで(ただし、女性は皆無のようであった)、みな、喜々として作業に従事していたのが印象的であった。
『いい年齢した大人が....』という見方だって出来なくはない。
確かにこれは、ホンモノの鉄道ではなく、あくまでも鉄道ごっこである。わずか数百m、ボロ気動車を動かすだけなのに、プロのごとく通票を授受し、指差喚呼し、旗を振る。もう、バカバカしいったらありゃしない....。鉄道ファンの私ですら最初はそう感じたほどだから、あの人たちの妻子は、いったいどういう目でこれを見ているのであろうか。
けれども、あまりに真剣に"鉄道ごっこ"をする人たちを見ているうちに、これは崇高な大人の遊びという感じがしてきた。人付き合いを兼ねたゴルフ、実益を兼ねたパチンコetc、そんなものより遥かに純粋な、正真正銘の遊びである。
幼い頃、男の子なら誰でも一度は憧れるのりものの世界。だが人は、年齢を重ね、現実社会のありようを知るのと引き換えに、幼い日の夢をいつの間にか忘れてしまう。現実を生き抜くために、仮面を被り、時には自分を偽り、演技することすら厭わない大人たち。けれども、それが人生とは、あまりに悲しいことではないか。
この日、私が中国山地の懐深くで見たのは、仮面を脱ぎ、あくまでも自分に忠実な人たちの姿であった。通票授受も、指差喚呼も、旗振りも、決して演技ではなかったからこそ、あれだけリアルな"鉄道"を見られたのだと思った。
片上鉄道----それは、自由で純粋な自分を取り戻すための、"夢の鉄道"なのだろうと思う。
.....てなことを考えながら走っているうちに、クルマは和気に到着。ここからJR山陽本線に沿って、三石、更には船越峠に向かう。
山陽本線は、華やかな旅客特急列車こそ走っていないが、名実ともに我が国第二の幹線であり、とくに貨物列車が多い。わき見運転は危険だけれど、ついつい視線が線路のほうを向いてしまうのはやむをえない。
途中、赤信号に引っ掛かった際、たまたまコンテナ列車が通りがかった。思わず振り向いて、駆け抜ける列車を見つめる私。重量感溢れるEF66に続いて、色も形も様々なコンテナを搭載したコキ104が続く。....19両、20両、21両、22両、23両、24両。1200トン牽引の高速貨物列車だ!!
ビーッ.... 突然、後続車のクラクションが鳴った。既に信号は青に変っている。
『出発進行っ!!、後部オーライ!!』
思わず指差喚呼してアクセルを踏み込んだ私は、片上鉄道保存会に入れてもらう資格十分なのかも知れない。
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制作:2002年9月2日 最終修正:2003年4月29日