夢の片上鉄道(1)
--津山駅のしいたけ弁当--

 片上鉄道は、瀬戸内海に面する岡山県備前市と同県柵原(やなはら)町を結んでいた全長33.8Kmのローカル私鉄である。

 柵原鉱山で産出される鉱石を片上港に輸送するため、1931年2月に全通。戦後の一時期は活況を呈したけれど、廃鉱に伴う輸送量の低下から、1991年6月30日限りで全線廃止となった。

 鉄道が廃止されると、その施設の多くは取り壊され、車両もスクラップにされるのが通例だ。けれども、片上鉄道では、地元自治体の協力のもとに、一部の駅と線路が現役当時のままに保存され、ボランティアの手により保存車両の運転まで行われているのである。

 鉄道が、成熟した大人の趣味のひとつとして認知されているヨーロッパでは、この種の保存鉄道がいくつもあるようだが、我が国ではあまり例をみない。

 片上鉄道の保存運転は、月1回、第一日曜日に行われているらしいので、その様子を見に行くことにした。

参考リンク


 

 

津山駅

 "鉄ちゃん"ならば、鉄道を利用して柵原に向かうべきである。けれども、柵原への公共交通の便は極めて悪い。
 大阪駅午前9時の新快速---吹田市の自宅を出るのは、恐らく8時半まえであろう---に乗り、路線バスに乗り継いで、現地着は11時50分。鉄道最寄り駅(津山 or 和気)と柵原を結ぶ路線バスは、それぞれ1日数本しかないから、事実上、これが選択しうる唯一の移動手段である。

 2002年9月1日(日曜日)、私が目覚めたのは、午前9時すぎであった。鉄道での移動は、もはや不可能。私に残された手段は、マイカーで行くことだけである。

 午前10時すぎ、自宅から愛車のカリブを駆って、吹田ICから中国道へ。途中、加西SAで十二分の休憩をとったが、12時すぎには、JR津山駅に着いた。所要2時間足らずである。
 ちなみに、鉄道を利用して12時に津山駅に降り立とうとすると、吹田駅発は8時39分(津山着11時39分)。新大阪-岡山間は、最高速度285Km/hの『ひかりレールスター』を利用しての話であるから、津山線の鈍足ぶりがわかる。
 旧国鉄の遺産を死守すべく奮闘するJRには申し訳けないけれど、交通機関としてのローカル線の役目は、ほとんど消滅したと判断せざるを得ない。

 

 

 


"しいたけ弁当"の店内サンプル
エビフライなどが盛られた豪華版(右)もある。

"しいたけ弁当"

 わざわざ津山駅に立ち寄ったのは、"しいたけ弁当"を買うためである。

 昨今のローカル線の凋落ぶりは目を覆うばかりだが、鉄道に付随するサービスの衰退は、それ以上である。かつて、旅行者の胃袋の満たした供食サービス=駅弁もそのひとつで、在来線では、コンビニ弁当と同類の需要がある大都市圏の駅と県庁所在都市級の拠点駅を除けば、ほぼ壊滅状態に等しい。

 そんな時代にあって、特急の走らないローカル線で、今もなお売られている駅弁のひとつが、津山駅の"しいたけ弁当"である。

 とは言え、閑散とした津山駅の売店には、肝心の駅弁は置かれていなかった。クルマで来た私が言うのもおかしいが、"しいたけ弁当"は、"駅で売られてない駅弁"なのである。

 "しいたけ弁当"の製造販売元は、駅前右手の、ひとけのない商店街にある"吉野館"だ。
 地元の仕出料理屋 兼 食堂 兼 居酒屋 兼 土産品屋といった風情の店だが、店内に人影はない。『すみませ〜ん』と幾度か声を出したら、おばちゃんが出てきて対応してくれた。

 けれども、お目当ての弁当は、店頭には見当たらない。
 実は、"しいたけ弁当"は、注文に応じて、その場で調製するシステムなのである。売れ残りのリスク皆無の、究極の"オンデマンド駅弁"。だが、しかし、これは"駅弁"と言えるかどうか。駅前食堂の、単なるテイクアウトではないか!?。

 けれども、そんな意地悪なことは考えないでおこうと思う。むしろ、そうしてまで、わずかな鉄道旅行者のための携帯食を提供し続ける姿勢に敬意を表しておこう。

 注文してから10分後、"しいたけ弁当"が手渡された。"駅で買えないホカホカ駅弁"を携え、私は柵原に向かうことにした。

 

 

 

 左は、のちほど試食の際に撮影した"しいたけ弁当"のパッケージとその中身。

 赤いプラスチックの容器に白飯が盛られ、しいたけの煮物、錦糸卵、鶏肉のそぼろ煮がのっている。売り物のしいたけは、全部で4枚(→ん? 店頭のサンプルは、5枚だったぞ!)。肉厚で、なかなか旨かった。

 私にはちょっとボリューム不足の感じが否めなかったけれど、まあ、駅弁というのは、この程度の容量が標準的である。

続く


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2002年9月2日制作 2002年9月6日訂補