私鉄特急乗り継いで...

立山黒部アルペンルート


黒部ダム


黒部ケーブルカー(黒部平駅)


黒部湖駅


黒部湖遊覧船『ガルベ』


ダム建設に使われたコンクリートバケット

黒部ケーブルカー(立山黒部貫光・黒部平〜黒部湖)

 黒部平からは、ケーブルカーで黒部湖駅に下る。
 黒部ケーブルカーは全線地下で、眺望は愉しめない。防災と自然保護の観点から、このような構造になっているのだろう。車両に、貫通扉があったのが珍しかった。
 約5分で、黒部湖着。黒部湖駅も駅全体が地中に設けられた構造であった。

 立山黒部アルペンルートは、立山から信濃大町まで、ほとんど歩くことなく移動することができるが、黒部湖駅から黒部ダム駅の間約800mは、徒歩連絡となっている。もっとも、この区間は黒部ダムのえん堤を歩く観光スポットのひとつでもある。

 コンクリート打っ放しのじめじめしたトンネルを歩いて、黒部湖の遊覧船乗り場に向かう。
 北アルプスの山々を水面上から見ようという趣旨の乗り物だが、乗り場が黒部湖駅から少し離れているため、人気はいまひとつのようである。昨年、『ガルベ』と称する新造船に更新されたばかりで、船はピカピカであったが、乗客は全部で9人しかいなかった。
 湖上からのダムの眺めはいっぷう変わったものであったが、ガスが低くたれこめており、山々の威容は見ることができなかった。

 遊覧船をおりたあと、再び徒歩で黒部ダムに向かう。えん堤の真ん中にある放水ゲートから、大量の水が放物線を描いて流れ出ている。黒部ダムを象徴する光景だが、あまりに巨大すぎて実感が湧かない。

 黒部ダム建設にかかわる勇ましい伝説の数々は、高度成長前夜を象徴する物語として人々に知られている。
 ここで作られた電力は、阪神工業地帯に供給され、1960年代の経済成長を支えた。人々の暮らしは一変し、皆が豊かになった。むかしの、貧しかった頃を知る人たちにとっては、このダムは変革の象徴であったのかも知れない。
 けれども、それから40年以上の時間が流れて、黒々としたダム本体はまったく自然に溶け込んでしまったかのようにも見える。深緑色の湖面は静かで、あたかも太古の昔からここに存在していたようでもある。
 自然保護意識の高まりもあって、恐らく、今後日本では、このような巨大開発計画が持ち上がることはないであろう。と言うより、巨大な土木構造物の建設が豊かさ・変革の象徴となりうる時代は、もはや終わったのではないか。携帯電話やインターネットに見られるように、これからの変革は、目に見えないものになると思う。人々が気づかぬうちに浸透し、結果的に人々の生活が一変させる変革。それが一体何であるかは、変革が終わってみないと誰もわからない。

 こんなことを考えながら(嘘!)、ダムサイトを歩いていたら、ダム建設に使ったという巨大なコンクリートバケットが展示されていた。
 一般的なダムの建設工事では、建設予定地の両岸にロープを渡し、コンクリートを満載した巨大なバケツをロープウエイよろしく移動させる。目的の場所まで来たら、バケツの底を開けてコンクリートを流し込む。これを幾度となく繰り返して巨大な構造物を作るわけだが、そのバケツの残がいである。バケットの容量は9立方mで、通常の生コンミキサー車1.5台ぶんだという。
 ダム建設に使われたコンクリートは、全部で約160万立方mという途方もない量で、このバケットで約17万8000回、約3年の歳月を要したそうだ。(コンクリートバケット脇にあった解説板による。)

続く


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2001年10月2日 制作 
2001年10月3日 訂補