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■近鉄アーバンライナー■へそ曲がり行路 大阪から富山に行くには、北陸線の特急列車に乗るのが常識である。 休日のターミナル駅は、いつもと違う表情をしている。 近鉄アーバンライナーは、大阪難波と名古屋間を2時間強で結ぶ私鉄最速の特急電車である。幾多の有料特急列車を走らせる近鉄でも格別の存在で、21000系という専用車両が使われている。 数人の客を乗せて、定刻、近鉄難波発。かつてのターミナル駅である上本町を過ぎると、列車は地上に出て、鶴橋に着く。高架下は大阪でも有名な焼き肉屋の密集地であり、常にその匂いが漂っている駅である。が、さすがに午前9時すぎとあっては何の臭気もない。 布施を通過するところで、添乗の女性車販員が紙おしぼりを配って歩く。 車窓には、大阪近郊の住宅地が続いている。車両基地がある高安付近までは、文化住宅と呼ばれる木造モルタルの古いアパートが目に付く。そこから先は、私が小学生の頃は一面の田畑であったところで、今は小奇麗な一戸建てやしゃれたマンションなど多い。都心から郊外に行くに従って、ここ数十年の住宅建築の進歩を学ぶことができる。 右手にJR関西本線が寄り添ってしばらく走ると、ガーター橋で大和川を渡る。近鉄電車の有名な撮影ポイントで、雑誌などで繰り返し作品が紹介されている。1960年代の写真を見ると、緑豊かな郊外といった趣の場所だが、今では住宅に埋め尽くされた感がある。 家並みが途切れたと思ったら、列車は大阪と奈良を隔てる生駒葛城山脈をトンネルで越える。奈良県側も大阪と同じような近郊住宅地が延々と続く。畝傍山や耳成山は、家並みの向こうにかくれそうになっている。なお、大和三山の残りひとつである香久山は、背後に山地が迫っているので、車窓から一見したところでは判別が難しいと思う。 ■急勾配を駆け抜ける 大和朝倉を過ぎると、列車は33.3パーミルの急勾配にさしかかる。一部の例外を除けば、日本の鉄道で許される最もきつい勾配である。かぶりつきに立って前方を眺めていると、少し大げさに言えば、急坂が壁のようにそそり立っているようにも見えた。けれども、アーバンライナーは意に介することなく、120Km/hの高速でぐんぐん勾配を駆け上っていく。 榛原を過ぎると、列車はアップダウンを繰り返しながら奈良-三重の県境を超える。上本町からここまで、通勤電車ならば約1時間弱。やはり宅地開発が進んでいて、同じような一戸建て住宅が整然と並んでいる。ただ、土地に余裕があるせいか、どの家の敷地も、こころなしかゆったりしている。1975年に付け替えられた新線トンネルで布引山地を越え、列車は伊勢平野に向かって急勾配を駆け降りる。 私はふたたびカブリツキに陣取った。走行中の運転士交代を見るためである。 ■伊勢平野を快走運転士が交代したあと、列車は名古屋に向けて伊勢平野を快走する。 江戸橋から先、桑名までは昭和初期に伊勢電という私鉄が伊勢神宮を目指して敷設した線路である。桜井-宇治山田間と同じ背景で建設された訳だが、こちらは沿線の町や村での集客を考慮したためか、駅の前後に速度制限のある急カーブが目立つ。 鉄道という事業は、投下した資本の回収に数十年を要する事業である。そして、一度建設したインフラは、そう簡単には改良できない宿命になっている。 長良川・木曾川を長大な橋りょうで乗り越え、列車は名古屋市内る。右手にJR名古屋工場を見ながら、定刻、近鉄名古屋着。 近鉄名古屋駅は、JR名古屋駅の東京方にある地下駅である。1938年の開業当初から地下構造であったが、戦後、大幅に拡張されている。 アーバンライナーから降り立った乗客のうち、相当数がJR乗り換え改札に進んだ。 |
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2001年10月2日 制作
2001年10月3日 訂補