『流電』−−モハ52001

吹田工場内に展示保存されている『流電』モハ52001

 『流電』とは、昭和11年に登場した流線型電車である『モハ52型』の愛称であり、昭和12年までに3編成12両が製造され、京阪神線(現東海道線)の急行(現快速)に使用された電車である。
 当時の京阪神地区では、昭和9年の鉄道省電化以前から、京阪、新京阪、阪神、阪急各私鉄の平行線同士の熾烈な競争を繰り広げていた。新参である鉄道省は、この競争に負けないために、世界的に流行となっていた『流線型』車両の投入に踏み切った。
 『流電』は、従来の常識であった車体の鋲や窓上下の帯板(ウインドシル)がなくなり、床下の機器もスカートで覆っている。また、前照灯、尾灯が砲弾型となっている。
 第二次世界大戦の勃発により、昭和17年に急行の廃止、『流電』も一般用となり、床下を覆っていたスカートも外され昭和19年には輸送力増強のため座席を撤廃するなど荒廃の道をたどった。また1両を戦災により失い、終戦を迎えた。
 その後昭和23年に2両が整備され、湘南型電車の制作の基礎資料を得るため、高速走行試験を行った。翌年、急行が復活し、『流電』はこれに使用されたが、新型車両の進出により昭和26年には阪和線、昭和32年には飯田線へと都落ちの経路をたどった。

 吹田工場に展示の車両は、昭和53年11月に飯田線を最後に現役を退き、昭和56年吹田工場にて製造時の姿に復元し、準鉄道記念物として保存している『モハ52001』号車である。

(工場一般公開で配布されたリーフレットより抜粋・一部改変)

車内

美しく整備されたニス塗りの内装。昔の電車の匂いがした。

運転席

案外シンプルな運転台。ATSも列車無線もない。大きめの速度計が印象的。


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