大阪mini trip

 この春、仕事の都合で大阪・吹田に転居した。
 吹田と言えば、かつて新鶴見や稲沢と並ぶ大操車場があった鉄道の町だ。広大な操車場は草ぼうぼうの空き地となっているが、今でもJR貨物の機関区やJR西日本の工場が置かれている。
 ただ、奈良の住人にとっては、北摂地区というのは馴染みの薄い場所である。東京に行くときは京都もしくは名古屋から新幹線だし、九州方面へは新大阪から乗るのが普通だからである。
 一方、私が東京で住んでいた間にモノレールやリニアモーターを使った地下鉄(但し、淀川以南の門真や守口は『河内』あるので念のため)などの新しい交通機関も開業した。

 引っ越し荷物の整理も一段落した休日(1998年4月26日)、こうした新旧の鉄道施設を見物することにした。

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 11時すぎにアパートを出て歩いて吹田機関区へ向かう。
 ほんの数分で到着。正門が開け放たれ、東海道・山陽線や日本海縦貫線を夜を徹して走り続けた機関車たちが休んでいる。構内に職員の姿は少なく、古ぼけた事務所の建物はがらんとしていた。

JR貨物吹田機関区。
EF66, EF200, EF65, そしてEF81がお昼寝中。

城東貨物線用のDD51もいた。

 線路に沿って岸辺駅まで歩く。新緑が鮮やかな土手の上をカラフルな列車がひっきりなしに往来している。一番よく見るのは青い201系の普通電車。つぎは221系。223系も案外多い。281系や681系が軽やかに駆けていく。ブロアの音も高らかに走り去るのは古参の485系。両端にボンネット型のクハを連結した編成が美しい。旧ヤード跡地の向こうのから貨物列車が出発していくのが見えた。先頭のEF200が見えなくなってもカラフルなコンテナを載せたコキが延々と連なっている。

 このあたり(京都−西明石間)は、戦前から電化されていた区間でもあるので、架線柱には様々なバリエーションがある。高度成長期以降に電化された線区は同一規格の電柱が単調に並んでいるだけだけれど、こちらはL型鋼を組みあわせたもの、コン柱といろいろだ。一番多い細めのコンクリート柱には『昭31』という年号が記されている。昭和31年は、東海道線の全線電化が完成した年である。黒々とした複々線用の信号柱も健在だ。C62牽引の『つばめ』、151系『こだま』など、東海道線を行き来する歴代の花形列車を見続けてきたやぐらである。もっとも、信号機自体はLED使用の最新鋭のものに取り換えられていたが。

 岸辺駅では、三脚を立てた鉄ちゃんが10人ばかり、お目当ての列車を待っている。複々線区間で線路がゆるやかに曲がっているから、望遠レンズを使えば迫力ある写真が撮れるのだろう。

JR岸辺駅にて。
思いどおりの写真は撮れましたか?

阪急正雀工場にあった古い電車。

 数百メートル歩くと、右手に阪急正雀工場が見えてくる。道路との間には低い柵があるだけなので、工場内は一目瞭然だ。
 ふだんは修繕作業中の電車が並んでいるが、黄金週間まえのためかがらんとしており、代りに古い電車が置かれていた。5月5日に工場の一般開放があるので、その準備らしい。私の阪急車両に関する知識はゼロに等しいのだけれど、その昔、京阪間で東海道線とスピードを競った時代の名車なのかなとも思う。
 構内には怪しげな3線区間があったが、狭軌のレールはどこにもつながっていない。道路の一部の舗装が真新しいから、かつてはここにJRとの連絡線があったのだろう。

 12時まえに千里丘でそばの昼食。更に線路に沿って歩く。複々線区間にある広い踏切を渡って大阪モノレールの宇野辺駅へ。
 程なく4両編成の列車が到着した。新型車両で、中間の2両は転換クロスシートである。運転席の真後ろに陣取って、前方展望を楽しむことにした。

宇野辺駅に入線してきた列車。

モノレールの車窓から鳥飼基地を見る。

 平行する近畿道から眺めると、モノレールは一直線に走っているように見えるが、こうして運転席から見ると案外カーブが多く、アップダウンもきつい。架線などの障害物がないから、遠くまで見通しがきき、余計にそう見えるのかも知れない。
 運転台のATC指示速度は最高でも75Km/hで、案外鈍足である。東京モノレールは結構スピードを出すので、ジェットコースターみたいな乗り心地だが、こちらは遊園地の乗り物程度であった。
 摂津を過ぎ、左手に新幹線鳥飼基地が見えてきた。モノレールは新幹線の高架の更に上を跨いでいるので、広い基地の中が手に取るようにわかる。全長400m・16両編成の新幹線電車が模型のようだ。留置車両の大半は100系もしくは300系で、0系はわずかであった。

 淀川を渡って『Panasonic』や『National』の看板が多くなると、終点門真市である。
 乗客を降ろした列車は一旦引き上げ線に入り、反対側のホームに入線するようなので、転線の様子を眺めることにした。
 通常の鉄道と違って、跨座式モノレールの転てつ機は大掛かりだ。可動部分は、いくつかの短い軌道がジョイントでつながった構造になっている。音もなく黄色いシャフトが回りだし、竹製のへびのおもちゃのように太い軌道がにょろりと動いた。

転換中の両開きポイント。

京橋駅にて。

 門真市からは京阪電車で京橋に向かう。
 守口市を過ぎて大阪市内に入ると、駅間距離は極端に短くなる。線路は複々線なので、隣の駅どころか、3つ先の駅のホームが見える。ノッチオフしたかと思うとすぐにブレーキがかかる。惰行時間はほとんどない。ダブルデッカーを組み込んだテレビカーが物凄いスピードで私の普通電車を追い抜いていった。

 京橋からは地下鉄長堀鶴見緑地線に乗り換える。
 大阪市交では最も新しい線区で、トンネル断面を小さくするため、リニアモーターで走る地下鉄となっている。ホーム高さが低いので、リアクションプレートが置かれた線路がすぐ近くに見える。
 テープによる放送が行われるのは他線と同じだが、こちらはワンマン運転であるから後部の乗務員室は無人である。車内の幅・高さが小さく、やや狭苦しい感じがした。

長堀鶴見緑地線のリニアモーター電車。

小断面の単線シールドトンネル。

 長堀橋から堺筋線に乗り換えて、15時まえに恵美須町。日本橋の電気街へ。どの店も、ひとり暮らしを始めた人向けの家電製品をところ狭しと並べていた。
 私はMacintosh専門店を数店徘徊。そろそろ処理速度の遅さが気になってきた我がMacであるが、G3マシンに買い替えるか、あるいはG3ボードの追加に留めるか思案のしどころである。今日のところは見物のみ。

堺筋線の電車。
阪急との相互乗り入れを前提とした車両だ。

ご存知通天閣。

 このまま地下鉄で戻ってもいいのだが、今日は天気がいいので天王寺まで歩こうと思う。
 阪神高速の高架をくぐると、通天閣がひときわ高くそびえているのが見える。『新世界』である。このあたりは東京・山谷と並ぶ肉体労働者の街で、ひと昔まえまではややコワイ場所という印象があった。遠来のお客さんが通天閣見物を希望しても、案内をためらうことが多かったが、市電の車庫あとに市の第三セクターがレジャー施設を造ってからは、ずいぶんと明るい雰囲気の街になった。とは言え、主役はやっぱり労務者のおっちゃん達で、日焼けした顔にジャージ、サンダル履きで通りを闊歩している。

 天王寺動物園正門から大阪市美術館へ。
 このあたり、東京・上野の森にも似た庶民的な賑わいがある。露店では、海賊版の演歌のカセットテープが売られ、1曲200円の野外カラオケコーナーもあった。赤ら顔のおっさんがマイクを握り、半円形に取り囲んだギャラリーから声援が飛んでいた。

 天王寺からは、大和路快速221系で大阪へ。大阪からは201系普通電車で吹田に向かう。
 新大阪までのひと駅はたびたび乗っているが、それから先の在来線に昼間乗るのは10年ぶりである。17時すぎ、吹田駅着。

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1998.4.27制作 2003.6.12修正
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