能登の鉄道・駆け足試乗記


貫通路を開いて併結準備をするクモハ681 (金沢駅)


415系800番台


415系800番台の車内


併結作業 (金沢駅)


特急サンダーバード48号 (大阪駅)

■415系800番台

 穴水で輪島発の気動車に乗り換え、18時25分七尾着。七尾からは、415系交直流電車で金沢に向かう。

 日本に交流電化が導入されたのは1950年代なかばのことである。従来の直流電化と比較して、変電所間隔が長くとれ、地上設備が安価で済むということで、既存の直流電化区間と密接な関連を持つ線区以外、以降の新規電化工事は交流によることが原則となった。
 仙山線での試行結果を踏まえて、1957年に北陸本線田村-敦賀間の交流電化が完成、1959年には東北本線黒磯-白河間、1960年には白河-福島間、1961年には福島-仙台間と常磐線取手-勝田間と鹿児島本線門司港-久留米間の交流電化が次々と完成している。
 その原則から言えば、北陸線と密接な関連を持つ七尾線は当然交流電化と思われたが、1991年に完成した津幡-和倉温泉間はなぜか直流電化であった。金沢直通を考えればどっちみち交直流電車が必要で、直流電化の理由は未だによくわからないが、民営JRの手による工事であるから、それなりのそろばん勘定があったのだろう。

 この際、登場したのが415系800番台で、近畿圏で剰余となっていた113系近郊型直流電車に485系交直流特急電車から取り外した交流機器を搭載した車両である。車内は多少改装されてはいるが、一見して『中古』であることがわかる車両だ。
 ちなみに交流機器を外した485系は、直流専用の185系800番台となって、福知山線を走っている。国鉄時代ならば考えられないウルトラC級の車両配転術であった。

 さて、七尾を出た普通列車は、電車らしい俊足で快走する。車内は比較的空いているが、それでもネクタイをしめた男性やOL風の若い女性の姿もあって、これまで乗ってきたのと鉄道とはだいぶ客層が違う感じがした。年寄りと高校生、つまり、自動車を運転できない人しか乗らぬ鉄道は、もはや事業としてはたちいかないのではないかと思う。もっとも、この七尾線にしても、北陸新幹線開業のあかつきには、北陸本線と共にJR西日本が経営から手を引くことを宣言している。ローカル鉄道の前途は、やはり途方もなく厳しいのである。

 車内灯が消え、デッドセクションを通って津幡着。北陸本線の複線の線路を100Km/h超のスピードで突っ走り、20時04分、金沢駅4番線に到着。この415系電車は、折り返し急行能登路5号として和倉温泉に向かう。全国でも数少ない"特急車両でない"電車急行である。

■特急サンダーバード48号 大阪行き

 金沢駅では一旦改札口を出て夕食を調達する。構内の駅弁売店はすでに閉店しているので、食堂街のとんかつ屋でテイクアウトを注文。熱々のひれかつ弁当を受け取り、ホームに上がる。

 自由席車両の乗車口には長い行列が出来ているが、私は指定券を持っているから慌てる必要はない。

 まず、金沢運転所から、サンダーバード48号の大阪寄りの6両が入線。最後尾車両では、作業員が手早く併結準備をする。スイッチ操作でクモハ681の貫通路を覆っていたカバーが左右に開き、貫通幌が現れる。やがて、直江津方から富山始発の3両の付属編成が到着。同じようにクハ680の貫通路カバーを開けて、連結。ジャンパ線を接続する必要がないから、併結作業はあっけない程簡単だ。

 犀川を渡ったところで、肉声によ車内放送が流れた。最近の車両は自動放送装置があたりまえになっているから、ちょっと意外である。新型車両の車内は驚ほど静かで、列車は滑るように一路大阪をめざす。途中、福井では大量の乗車があって、車内はほぼ満員となった。

 23時12分、終点大阪着。
 写真撮影ののち、東海道線緩行電車で吹田に引き返す。いつもの201系電車に乗ったら、急行きたぐにと同時発車であった。私が乗ったのは、昨夜、ビールを呑みながら眺めたあの電車だったのだ。

 旅行は終わった。夜汽車に揺られる旅人を眺めながら、私は多忙で雑多な日々の続きに戻っていった。

 

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