旧産炭地のローカル線を行く
出発を待つ958D(日田駅)
■1両きりのディーゼルカー
日田駅3番ホームには、1両きりの気動車が停車中であった。13時57分発の田川後藤寺行き普通列車である。
小学生とおばさん連中で、座席は7割方埋まっている。ワンマン列車であるから、手笛の合図もなくドアが閉まり、列車はいま来た線路を夜明に向かって走り出した。
夜明駅では、列車は一番北側の日田彦山線専用ホームに着く。線路は夜明駅を出るのが待ちきれないように右に大きくカーブしていて、日田彦山線に関しては行き違いができない構造になっている。
ゆるやかな勾配を上り詰めると全長4,398mの釈迦岳トンネルに入り、これを出たところが彦山である。行き違い列車を待って、しばらく停車する。
彦山は、霊峰英彦山の登山口となる駅で、本屋は朱塗りの柱が眩しい寝殿造りとなっている。太平洋戦争中の1942年開業であるから、若干質素な印象だが、それでも観光地の駅らしい華やいだ雰囲気を漂わせている。駅前には少々古ぼけた土産物屋や食堂が並んでいて、これまた少々レトロな観光地の気配だ。駅舎の写真を撮っているうちに、対向する953Dが到着。慌てて列車に戻る。
この先、列車は筑豊の旧産炭地に踏み込むことになる。
かつて、この地には数多くの炭坑路線が網目のように敷かれていた。現在、JRが営業を継承しているのは、この日田彦山線のほか、後藤寺線、筑豊本線、篠栗線、香椎線のわずか5線にしか過ぎないが、車窓からは廃線跡とおぼしき築堤やら橋脚が至る所でみられた。
いずれも石炭貨物を主体とする線区であるから、分岐駅の構内はやたらと広い。一部の駅では、その跡地に真新しい公民館や老人福祉施設が建設されているが、大部分は草ぼうぼうの空き地となっている。
彦山駅 | 香春岳 |
田川後藤寺では、城野行きワンマンカーがすぐに接続している。わずかな乗客を乗せたディーゼルカーは、すぐに出発した。
やがて、列車の右前方に独特の稜線が見えてきた。香春岳である。全山石灰石でできたこの山は、セメントの原料として少しずつ削られ、いまは台形になっている。あと何十年かすると、完全な平坦地となってしまうのだろう。
複線断面だが単線のレールしか敷かれていない特異なトンネルを抜けると、採銅所という小駅につく。ここは、去年の連休にクルマで訊ねているが、その名前のみならず、駅舎もちょっとお洒落な魅力的な駅であると思う。
採銅所駅(99年5月撮影) | 採銅所駅夜明方にある複線断面のトンネル(99年5月撮影) |
15時56分、城野着。
程なくやってきた下関行きは、415系4連である。民営化以降、JR九州が増備した電車はすべて交流電車であるから、関門トンネルは通過できない。従って、下関行きは間違いなく旧国鉄型の交直流電車がやってくることになる。
これまた国鉄型の485系『にちりん8号』の通過を待って、城野発。左手に小倉工場を見ながら大きく右にカーブし、西小倉着。注意してないと見落としてしまいそうな小駅だが、開業当初はこちらが正真正銘の小倉駅であったらしい。
小倉駅では、ホームのラーメン屋で腹ごしらえをする。駅そばや駅うどんの店は数多いが、ラーメン専売店は珍しい。トンコツ醤油スープの中に九州特有の細麺が沈んでいた。
城野駅 の跨線橋にあった時代物の乗り換え案内 | 小倉駅で食べたチャーシューメン(470円) |
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2000.4.20制作 2000.4.21訂補