気動車特急で日田へ


キハ185系気動車(博多駅)

■盛況のローカル特急

 博多駅6番ホームに、3両編成の気動車が入ってきた。特急『ゆふ3号』、久大本線経由の大分行きである。

 使用車両は185系気動車。1986年、分割民営化をまえに、当時の国鉄が四国地区に投入した特急型気動車である。185系の特徴は、最低2両から自由な編成が組めること。そのため、特別な発電装置は持っておらず、冷房用の動力も各車両が自前でまかなうことになっている。また、無人駅の多いローカル線での使用に適するよう、運転台が片隅式となっている。
 言わば、国鉄が分家する弟分に持たせた『宝物』みたいな車両なのだが、高速バスとの競争が激しく、更なるスピードアップに迫られたJR四国は、わずか数年で、185系に見切りをつけて、より高性能な気動車を投入することになった。

 いっぽう、当時JR九州は、久大本線・豊肥本線の活性化を思案していた。
 両線とも、『本線』とは名ばかりのローカル線で、国鉄末期には爺さん・婆さんと高校生だけがその顧客であった。ただ、普通のローカル線と違うのは、湯布院や日田、阿蘇という、多少は客が呼べそうなA級観光地を沿線に持つことである。観光客を誘致すべく新型特急を走らせることにしたのだが、まったく新しい車両を製作するのはリスクが大きすぎる。そこでJR九州は、四国で不用になった185系に目をつけた。

 1992年、九州にやってきた185系気動車は、小倉工場で改造を受けた。と行っても、その外観をJR九州流のロゴがたくさん入ったにぎやかなものにし、シートの表皮を張り替えるた程度で、大規模な工事は行っていない。だから、見る人が見れば、国鉄の匂いがプンプンする車両でもある。外観・内装ともに、同時期に新造された183系気動車(北海道向け車両)とそっくりだし、運転台の造りなどは当時の往時の気動車そのままである。

キハ185の運転台 特急『ゆふ3号』車内で

 12時27分、特急『ゆふ3号』は、25%位の乗車率で博多を出発した。さっき見たばかりの景色が逆再生のビデオの如く車窓に現れ、鳥栖に着く。
 トラス橋で筑後川を渡ると、右手に古い長靴工場と新しいタイヤ工場が見えてくる。両者は同一の起源をもつ会社で、長靴メーカーのほうが兄貴分にあたるらしいが、人件費の安い中国からの輸入品に押されて倒産してしたと聞く。

 久留米では予想外に多くの客が乗り込み、空席が塞がった。車内放送によれば、指定席も満席だそうである。博多出発の時点では、ガラガラの旅路になるのではないかと危惧していたが、新型特急はローカル線の活性化に予想外に貢献しているようであった。

 久大本線に踏み込むと、とたんにローカル色が濃くなる。床下からは昔ながらのジョイント音が響き、先頭車からやたらと警笛の音が聞こえる。沿線を注意して見ていると、警報器も遮断機もない『第四種踏切』が多数あるから、それらへの警告らしい。車両こそ多少近代化されてはいるものの、地上設備のほうは、幹線系とは大きな格差があるようだ。

 程なく、車内販売のワゴンサービスがやってきた。北海道などでは、売り上げ低迷から車内販売の廃止が相次いでいるらしいが、JR九州ではどの列車にも印象のいい売り子が乗務している。その努力に敬意を払って、アイスクリームを購入。310円。

 うきは駅で、『ゆふいんの森4号』と交換、列車はいよいよ山あいに踏み込んでいく。けれど、強力なエンジンを持つ185系は急勾配を苦にする様子はまったくなく、平坦区間と同じ速度で快走する。短いトンネルを抜けると左手から日田彦山線が合流し、13時45分、日田に着いた。

続く


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2000.4.20制作 2000.4.21訂補