黄昏の寝台特急(2)


終点長崎に到着した『あかつき』(長崎駅)

■陽光の西九州

 目が醒めたら、列車は鳥栖駅に到着するところであった。午前6時30分、外はすでに明るい。
 未明の門司で、南宮崎行きの『彗星』から切り離された『あかつき』は、列車番号が35となっている。言わば分家みたいなものだが、本家の『彗星』はわずか4両編成、こちらは7両編成となっており、編成だけを見れば分家のほうが隆盛である。

 鳥栖で鹿児島本線を離れ、長崎本線に踏み入れる。車窓には広々とした佐賀平野が広がっている。野菜畑や麦畑が多い。
 肥前山口で佐世保線が分岐すると、線路は単線となる。これから諌早まで、列車は陽光にきらめく有明海を望みながら、小さな入り江と岬を急カーブで忠実にトレースしながら進むことになる。私の個室は、あいにく山側なので、14号車のミニロビーに移動して車窓を楽しんだ。

 有明海の向こうに雲仙の山並みが見えてくると、諌早到着である。JR大村線と島原鉄道が分岐するちょっとしたジャンクションである。午前8時21分。平日ならば、高校生がホームを埋め尽くす時刻であろうが、休日の今日はクラブ活動に出かけるごく少数の生徒の姿しか見えない。

有明海を望む 長崎駅にて

 諌早-喜々津間は複線化されており、更にその先は旧線にあたる長与経由と電化された市布経由の単線並列となっている。電気機関車に牽引された『あかつき』は、もちろん新線経由で終点長崎に向かってラストスパートする-----はずであったが、現実はそうではなかった。

 まず、市布駅で運転停車し、後続の『かもめ1号』をやりすごす。博多駅を我が『あかつき』の33分あとに出た朝一番の下り特急列車である。のろのろと動きだしたと思ったら、今度は現川(うつつがわ)駅で再度待避線に進入する。長崎発8時30分の『かもめ8号』と8時33分発の湯江行き普通電車の2本まとめてすれ違うのである。
 長い運転停車の間に時刻表を見ると、『あかつき』は諌早-長崎24.9キロに41分を要しているではないか。最速の『かもめ』ならわずが16分、鈍行列車でも速いものなら29分で走りきる区間である。最終目的地を前に、特急列車の乗客を足止めさせる極悪ダイヤである。

 けれども、私にはこのやり方が最善の方法であることもわかっている。朝のラッシュの時間帯、単線区間に鈍足の客車列車が割り込むのであるからダイヤ編成は難渋をきわめる。だいたい、12時間あまりをかけて長崎入りする『あかつき』に乗って、10分、20分の時間を惜しむほうがどうかしているのだ。

 赤い815系電車の到着を待って、『あかつき』は長崎トンネルに進入、ぐんぐん速度を上げる。トンネルを抜けると、坂の街・長崎だ。浦上を過ぎ、列車はゆるやかな勾配を終着駅に向かって駆け降りる。長崎到着の車内放送は、『またのご乗車を心からお待ち申し上げております。』という、妙に真実味のある言葉で締めくくられたのが印象的であった。8時57分、長崎駅4番ホーム着。列車から降り立った乗客はわずか数十人程度であった。

 長崎駅は、工事にともなって仮設駅舎となっていた。
 改札を出て、駅舎の写真を撮影する。『ぐおーん』という釣掛モーターの音が聞こえたので振り返ると、小さな路面電車が走り去っていくのが見えた。長崎は1乗車100円という驚くべき運賃の路面電車が活躍する街でもある。ゆっくり市内観光をしたいところだけれど、今回の旅行の主旨は特急電車に乗ることであるから、涙を飲んで引き返すことにした。

続く


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2000.4.20制作 2000.4.21訂補