黄昏の寝台特急(1)
出発を待つ『彗星・あかつき』(京都駅)
■寝台特急『彗星・あかつき』
京都駅7番ホームに長い客車列車がゆっくりと入線してきた。下り33列車、特急『彗星』南宮崎行き・『あかつき』長崎行きである。
先頭に立つ機関車はEF6644号機。この春に新調されたヘッドマークこそぴかぴかだけれど、艶を失い、ところどころペンキが剥げた車体には特急列車の華やかさは感じられない。
ベンチで列車を待っていた乗客がぱらぱらと列車に乗り込む。その多くは中年のおばさん・おじさんである。
三脚を立て、セルフタイマーで写真を撮っているカップルが数組。デジタルカメラで下手な写真を撮っている妙な男(私である)がひとり。『青春18』のシーズンが過ぎたせいか、ほかに鉄ちゃんと思われる乗客の姿はなかった。
私に割り当てられたのは、13号車8番個室。『シングルツイン』と呼ばれる1人用個室B寝台である。通路をはさんだ両側に個室があり、ソファ兼ベッドがある。部屋の上部にはもうひとつベッドがあって、追加料金を払えば2人用としても使える構造だ。個室内は、すでにベッドとして使用できる体制となっていたが、お酒を呑みたい私は一旦ソファにセットし直した。かなり大きなテーブルがあって、部屋の明かりを落とし、うつろい行く街の明かりを眺めていると、ちょっとしたバーの雰囲気がしないでもない。
20時20分、列車はゆっくりと京都駅をあとにした。これから終点南宮崎まで937Km・14時間11分、長崎まで807Km12時間34分の長い旅路が始まる。
京都駅にて | 京都駅にて |
列車は複々線の外側線を快走する。茨木、千里丘、岸辺、吹田。いつも見慣れた沿線風景も、個室寝台から見ると少しく違った印象だ。多忙で雑多な日常を抜け出し、いま、私は九州行きの列車に乗っている。
20時56分、大阪駅2番ホーム着。私の個室は山側、つまり進行方向右側であるから、車窓の向こうには3・4番線で帰宅を急ぐ人たちの姿が見える。土曜日であるから、ネクタイをつけた人は少ないけれど、皆、疲れた表情で列車を待っている。程なく上郡行き新快速列車が到着し(実は、鈍足の『彗星・あかつき』は、大阪駅でこの新快速を退避しているのだ)、ドアが開くと同時に、大阪らしく、皆空席に向かって一目散に乗り込んでいくのが見えた。
21時02分、大阪発。阪神間の絶え間なく続く市街地の明かりを眺めながら、缶ビールを呑む。つまみは京都駅で買い込んだ駅弁である。食堂車とまでは行かなくても、ガラスのコップで冷たいビールが呑めるビュフェが欲しいところだが、とても商売にならないであろうと思う。
三ノ宮を出たところで、『おやすみ放送』が入り、列車は就寝時間となる。けれども、寝るには少し早いので、車内探検に出かけることにした。
2人用個室B寝台 | レガートシート |
今日の『彗星・あかつき』号は11両編成。オフシーズンとあって、所定から3両減車となっている。先頭の1〜6号車(3・4号車欠)が南宮崎行きの『彗星』、7号車からあとが長崎行きの『あかつき』だ。
最後尾の14号車は『レガートシート』と呼ばれる座席車である。一人がけのリクライニングシートが3列に並ぶ、鉄道車両としては極めて異例の座席配置である。安価な夜行バスに対抗すべく登場した車両であるが、乗客はわずかに2人しかいなかった。喫煙室を兼ねたミニロビーもあるが、もちろん誰もいない。
13号車は、2人用個室B個室『ツイン』と1人用個室B個室『シングルツイン』の合造車。どの位の個室が埋っているか、通路からはうかがい知れないが、京都駅で記念撮影をしてたカップルは、皆ここに乗っているに違いない。
12号車は1人用個室A寝台。それなりに豪華な造りとなっているが、13,500円もの大金を投じて一夜を過ごす人はいないようであった。
10号車はBコンパートと言われる簡易寝台である。通常の開放型B寝台車のベッドと通路の境に簡易な引き戸をつけだだけであるが、4人だと通常のB寝台と変わらぬ料金でくつろげるから、一番人気が高いようであった。もっとも、それでも乗車率は1/2に満たないのだが。
2号車は、1人用個室B寝台である。『ソロ』と呼ばれるこのタイプの個室料金は、通常のB寝台と同じ値段である。個人的にはもっとも利用価値の高い設備であろうと思う。ちょっと中を見てみたい気もするが、さすがにこれは憚られた。
その他は通常の開放型B寝台。大阪駅から乗車したのか、ネクタイをしめたビジネスマン風の男性が多い。すでにかなりメートルが上がって、千鳥足で便所に歩いていくおっさんもいる。ただし、9号車はまったくの無人、残りも乗車率は1/4以下であろう。
姫路を出ると、車窓には民家の明かりが点々と見えるだけになる。岡山を過ぎたところで、私は上段のベッドにもぐりこんだ。もしかしたら使ってはいけない場所かも知れないけれど、別に使用を禁止する注意書きもないから、別に構わないだろうという判断である。
列車の適度な揺れとジョイント音。列車は、ゆっくりと、しかし確実に九州を目指して走っている。
大阪から宮崎・長崎までは、飛行機ならば1時間と少し。まさしく、ひとっ飛びの距離である。実際、関西からこれらの都市に向かう旅客の大半は航空機を利用していると思う。こうしてひと晩列車に揺られようなぞと考える酔狂な人はあまりいない。
けれど、旅行の大切な要素である『距離感』、つまり、日常生活を抜け出して遠くにやってきたという感情は、相応の順序と時間がなければ実感できないものではないかとも思う。岡山の先に門司や小倉があり、その先に長崎がある。地図を眺めればごくあたりまえのことなのだが、関西空港の隣が即千歳や羽田、福岡や那覇という飛行機旅行では、それを実感することは少ないのではないか。
さっきの車内探検で見たように、『彗星』・『あかつき』ともに、その乗車率は恐ろしく低い。JRの収支計算から言えば、即刻廃止したほうが良さそうな列車であると思われる。けれど、いまもこうして走り続けるのは、適度な距離感を持った旅の実感を買いたいというニーズと、それに応えようというJRの良心が、共にわずかながらであっても健在であるためではないかと思った。
少し難しいことを考えているうちに、私は眠りに落ちたようである。もし、目が覚めていたら見物しようと思った下関での機関車交換、門司での列車分割作業は見ないままに過ぎてしまった。
『あかつき』個室内で |
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2000.4.20制作 2000.4.21訂補