■京都〜大阪

 いろいろ仕事が長引いて、自宅を出たのが18時30分すぎ。尼ケ辻から近鉄で京都に向かう。9月の開業を控えて、新京都駅がほぼその全容を現している。烏丸口の仮設通路の上は、高い吹き抜けになっていた。みどりの窓口で京都市内発の『松江・出雲ミニ周遊券』を購入。1万1550円。
 京都発20時30分の新快速で大阪に向かう。新型の223系。たまたま先頭車に乗ったのだけれど、わずかに開いた助手席側の窓から、運転士の一挙一動を眺めている若者がいる。いま流行りのアーケードゲーム上達の参考にしようとしているのかも知れない。
 20時59分、大阪駅着。ドアが開くと、ねっとりと熱い風が吹き込んでくる。大阪というところは、日本で一番暑い都市であると思う。しばらく時間があるので、ラーメン店で夕食をとり、ビールを呑む。

■大阪〜出雲

 22時すぎ、今夜のつまみを買って1番ホームに上がる。オフシーズンとは言え、週末のことであるから多少は混んでいると予想したのだけれど、自由席の場所に並んでいた先客はたったの1名、22時35分、列車が入線する時点でも20人位しか並ばず、ちょっと拍子抜けであった。
 自由席車は最後尾の1両のみ。床下のディーゼル発電機が耳障りだけれど、他に選択の余地はない。リクライニングシートに改装された12系客車。窓と座席のピッチが合わないので、座った状態で景色が見られる席をえらぶ。

出発を待つ急行だいせん・大阪駅にて

大阪駅にて

※当日の編成は、DD51 1121+スハネフ15 11+オハネ15 19+オハネ15 35+オハ12 3001+スハフ12 3003


 22時55分、定刻大阪出発。淀川を渡る頃から、案内放送と検札が始まる。尼崎からは真新しい高架を通って東海道線をオーバークロス、福知山線に入る。スラブ軌道特有のかん高い走行音をたてて列車が進む。ディーゼル機関車に牽かれた夜行急行にはちょっと不釣り合いな舞台装置ではある。

 さっそく車内探検に出かける。編成前寄り3両はB寝台。下段ベッドは3つにひとつくらいカーテンが引かれているが、上段の客は皆無。4号車は座席指定車で定員72名に対して乗客は14人。私が乗る5号車には定員64名に対して35人の客がいるだけである。乗り物はすいているに越したことはないけれど、度がすぎるとそのうち廃止になるんじゃないかと心配になる。

大阪駅出発直前の自由席車

福知山駅にて

 宝塚では通勤客らしい数人が降り、初老の婦人1人が乗車。長いトンネルを抜け、三田でも数人の通勤客を下ろす。新三田ではまばゆい水銀灯の光の中で207系電車が眠っているのが見える。篠山口をすぎたあたりで大阪の通勤圏を脱し、やっとこの列車にふさわしい車窓風景になる。ロングレールが尽き、床下からは心地よいジョイント音が伝わってくる。30秒間でジョイント音は24だから時速は約72Kmということになる。
 1時01分、福知山着。4〜5人が下車して2人乗車。深夜の駅は閑散としている。和田山、豊岡と停車し、城崎で電化区間が終わる。とたんに蒸機の煤が染み付いたレンガ積みのトンネルの連続になる。竹野で運転停車して上りだいせんと行き違い。香住を出てしばらくすると餘部鉄橋だ。遥か眼下に街灯が寂しく灯っているのが見えた。

 記憶はこのあたりで途切れている。気がつくと、列車は倉吉に停車中であった。急行だいせんはここから始発の快速3735列車になる。
 朝日を背に受けながら、列車が進む。空が非常に広い感じがする。夜行特有の淀んだ空気がいやだったので、最後部の席に移って窓を開けてみたら、軽やかな走行音と共に朝の冷気が流れ込んできた。

夜行列車の朝
架線のない線路を走る

米子駅での機関車交換風景

 5時53分、米子着。ここで機関車の交換が行われる。長いコンテナ列車を牽いたEF64が京都方から入線。幡生方からは見慣れぬ塗色の3両ぽっきりの特急やくも2号が到着する。駅南の留置線では、ディーゼルカーがエンジンを始動した。ホームのそば屋では、おばさんがお湯を沸かし始めている。夜行列車の到着をもって、米子駅の一日が始まったかのようである。

 今日午前中は松江市内の観光に充てる予定であるが、眠いので終着の出雲市まで乗っていくことにする。7時30分、出雲市着。駅向かいのホテルの食堂で、モーニングセットを注文。コーヒーを飲みながら時刻表を繰る。JRで戻るのもいまひとつであるから、一畑電鉄で松江に戻ろうとおもう。

続く