青春18−可部線試乗記


三段峡駅で出発を待つ546D

 お盆休み中の日曜日、青春18きっぷを使って可部線試乗にでかけました。
 始発で出発、終電1本まえで帰宅するという超強行軍でしたが、ひさしぶりに盲腸線の旅を満喫してきました。DC260で撮影した写真も添えて、旅行の様子をレポートします。

■旅程(1998年8月16日)

吹田0517-(105B)-0633西明石0646-(1407M)-0852岡山0910-(3723M〜9371M)-1025三原1040-(1343M)-1144広島1231-(759M)-1304可部1306-(537D)-1439三段峡1505-(546D)-1530加計1546-(548D)-1643可部1652-(784M)-1735広島1818-(1372M)-2057岡山2112-(1436M)-2317西明石2320-(842M)-0015大阪0016-(1238C)-0025吹田

■吹田〜岡山【写真はこちら】

 午前4時30分起床、昨日の暑さが残る未明の街を歩いて吹田駅へ。
 下りの始発電車で西明石。西明石の新幹線乗り場に行く人は少なく、みな私と同じ鈍行旅行者のようだ。

 115系6連で更に西下。電車区間は尽きて、『汽車型』の駅が現れるようになる。沿線の車窓風景も、建物よりも田んぼが目だってきた。
 姫路ではホームに駅弁売り場があり、首尾よく朝食を調達。それにしても、この駅のプラットホームの広さはどうだ。跨線橋の下には洗面所も残っている。戦後の一時期、東京からの電化区間は姫路までという時代があった。東海道山陽線を下る客車列車は、この駅でEF58からC59、あるいはC62に機関車の付け替えを行ったはずである。軽快な近郊型電車が行き交うだけになった今でも、姫路駅には大幹線の拠点駅の風格が漂っている。
 鈍行旅行者を乗せた115系は播磨路を快走する。程なく大きな電車基地のある網干駅を通過。構内は、線路付け替えの工事中で、下り線を電車区の山側に持っていくつもりのようだ。鷹取工場を引き継ぐ工場を造るらしいので、その関連かも知れない。
 上郡駅を過ぎると、列車は船坂峠への上りにかかる。勾配線用の115系故、特に速度が落ちる様子はなく、『国境のトンネル』を抜けて岡山県に入った。
 幾つもの転てつ機に身をよじらせ、右手にDE50の廃車体を見ながら岡山に到着。

■岡山〜広島【写真はこちら】

 岡山からは117系サンライナーに試乗する。派手な塗装になったけれど、車内はオリジナルのまま。空気バネ台車の乗り心地も昔のままだ。
 東尾道を過ぎると、くすんだ市街地と尾道海峡を挟んで因島が見えてくる。個人的には須磨付近とならぶ山陽本線のハイライト区間だと思っているが、ともに新幹線からは見えない。
 かつて、名門機関区が置かれていた糸崎をゆっくりと通過。機関区の跡地には雑草が生え、数編成の電車が留め置かれているだけであった。

 三原では後続の快速に乗り継ぐ。115系3000番台。2扉転換クロスの車内に空席はなく、セノハチを駆け降りる様子をカブリツキで見物する羽目になった。
 三原−広島間は、山陽本線の中ではもっとも鄙びた区間であろう。車窓の景色も、山と水田の中に農家が点在する、といったふうになる。
 貨物機関車用の側線がある西条を出ると、広島まで無停車となる。サミットの八本松を過ぎると、急なカーブの連続だ。過酷な負荷にレール踏面は波打ち、台車は大きな音をたてて振動する。運転士はマスコンハンドルを逆に回し、抑速制動をかけながら慎重に急勾配を下っていく。赤い電機にあと押しされた列車とすれ違うことを期待したが、お盆休みで荷動きが少ないのか、貨物列車は見かけなかった。正午まえ、広島に到達。

 可部線の列車は、ロングシートが予想されるので、駅ビルで昼食をとる。そのあと、再び入場、ホームで行き交う電車を眺めることにした。
 広島駅に出入りするのはクリーム色に濃紺の帯が入った103系か115系ばかりで、103系の中には剥げた塗装の下にスカイブルーの下地が見えているものもある。『前職』は推して知るべしである。

■広島〜三段峡【写真はこちら】

 759Mは、呉線広からやってきた103系4連であった。
 太い山陽本線の線路をひと駅走っただけで、ローカル私鉄の面影を色濃く残す可部線へ進入する。駅間距離が短く、交換駅のポイントも急な角度のものが多いからあまり速度は出せない。運転士の運転時刻表を見れば、最高速度は65Km/hとなってる。山陽本線に103系は明らかに不釣り合いだが、可部線の103系4連というのもどこか場違いな感じである。

 可部線は、旧型の国電が最後まで活躍した線区として有名であった。103系に首都圏を追われた72系電車は、中国地方のローカル線でその生涯を閉じた。それから30年後、今度はパワーエレクトロニクスを駆使した電車に追われて、103系が可部線に都落ちしている。今から何年かのち、くたびれ果てた207系電車がこの地にやってくるとき、大阪ではどんな電車が走っているのであろうか。

 電車の胸中に秘めた思いはわからないけれど、103系はこれが私の仕事とばかり、小さな駅に丁寧に停車する。なかには3両ぶんのホームしかない駅があって、最後尾は締め切り扱い。見れば短いホームの両端に踏切がある。ホーム延伸は難しいだろう。
 可部は、いかにも私鉄らしい行き止まり式のホーム2面と、列車用ホーム1面があった。行き止まりホームに到着した電車から三段峡行きディーゼルカーに乗り換える。

 537Dはキハ40単行のワンマンカーで、予想に反して、立ち客もいる。途中、相当の崖っぷちを走る区間があり、そのスリルは飯田線・大糸線にも負けない。列車は蛇行する大田川に沿って中国山地の懐に分け入る。

 加計で3分停車。乗客の半分以上が降りると予想していたが、これまた見事に外れた。助役がタブレットキャリアを持ってくる。加計−三段峡はフタフ閉塞である。

 加計からは比較的新しく開業した区間なので、踏切はなく線形もいい。突然警笛が鳴ったので前を見たら、鉄橋の保守用通路を歩いている人がいる。地元の人らしい。運転士はブレーキをかけるわけでもなければどこかに緊急連絡する様子もないから、日常茶飯事のことかも知れぬ。もっとも、次にこの鉄橋に来る列車は折り返しの自分自身だから、帰りに見かけなければそれでいいということかも知れない。

 筒賀・戸河内の両駅は、安全側線つき電動ポイントと色灯式信号機のある立派な駅である。しかし、これらの施設は全く使われておらず、ポイントは犬釘で固定され、信号機はそっぽを向いている。通常、こうした場合は使わなくなった腕木式信号機やスプリングポイントはすぐさま撤去されるのだが、さすがに新しい機器なので、廃棄処分にするのは惜しいと考えたのかも知れない。

 やはりそっぽを向いた場内信号機が見えると、終点三段峡に着いた。

■三段峡〜広島【写真はこちら】

 今来た列車で引き返す『盲腸線の旅』は何年ぶりだろうか? 深い緑のなかにポツンと止まっている単行DCはなかなか絵になる。出発まで時間があるので、一旦改札を出てみることにした。

 駅舎はこざっぱりとしたブロック造りで、小さな駅前広場にはC11 189が鎮座していた。駅右手には若干の土産物店や旅館があって、三段峡入口の看板が上がっている。有名な渓谷があるらしい。1本落として涼んでいきたい衝動に駆られるけれど、そうすると帰りはUターンラッシュの新幹線に乗車せざるを得なくなる。

 26分の停留ののち、いま来た線路を引き返す。来るときと較べて乗客の顔触れはかなり変わっているから、渓谷見物を目的としたまともな乗客も相当数いるようだ。もっとも、お盆休みの日曜に単行DCで全員が着座できるのだから、普段の客数はたかが知れているのだろう。
 これから吹田まで、朝来た道を引き返す。呉線経由、吉備線や赤穂線の試乗など、いくつかの案を検討したのだけれど、午後3時に三段峡にいる人間が鈍行だけで吹田に帰り着くには、山陽線でひたすら東上するしかなかった。私にしては驚異的な早起きをしたからたちまち睡魔が襲い、夢うつつの帰途となる。

 加計からの548Dは、黄色とタラコ色の2連で、いずれもキハ40であった。午後4時前に出発する上り列車だから、平日の乗客はほとんどいないと思われる。多分、特別な増結なのだろう。1両がタラコ色というのも余計に怪しい気がする。加計からは105系2連。103系の改造車らしいが素性は不明である。クハとモハで顔つきが違うのが面白い。

■広島〜吹田【写真はこちら】

 広島駅では、一旦新幹線コンコースに行ってみた。新幹線がある程度空いていそうなら、瀬戸内の白身を肴に駅ビルで一杯やってから帰ろうと思ったからである。
 けれども、上り新幹線は最終の岡山止まり以外、全部売り切れ。満席の掲示があるにもかかわらず、窓口氏にしつこく空席はないかと尋ねる大阪弁のおばちゃんがいっぱいいる。19時55分以降、広島始発の上りはないし、酔っ払ったまま立ち続けること程辛いことはないから、私は節約を兼ねて鈍行で帰ることにした。

 『あなごめし』と多めの缶ビールを買って、ホームへ。最後尾の車両に狙いを定める。なぜ最後尾かと言うと、つまりはトイレつきだからである。首尾よく115系3000番台の転換クロス窓際を確保。早速缶ビールのプルタブに手をかける。
 セノハチの揺れが加わり、ビールはあっという間に五臓六腑に染み渡る。そのまま熟睡してしまい、岡山駅入駅の揺れで目が覚めた。広島から西明石までの乗り継ぎは、今日中に吹田に着ける最終連絡である。危ないところであった。

 岡山からは115系3連。身軽な編成で今朝来た道を引き返す。西明石で野洲行き最終の113系に乗り継ぐ。神戸、元町、三ノ宮と、終電まで遊んでいた若い人たちがどんどん乗ってくる。この快速は高槻以東への最終電車だ。大阪駅では、新三田からやってくる201系が待機していた。野洲行き快速が先に出るのかと思ったら、乗り換えた緩行電車が先発した。

 0時25分、吹田着。たった19時間前にここから電車に乗ったのがウソのような、長い一日であった。

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Aug 26 1998 (最終修正 Jun 12 2003)