1997年9月25日(木)

■ウトロ〜知床〜斜里

 7時すぎに目が覚めた。今日も快晴である。

 宿の窓からは、宇登呂漁港が一望できる。漁船が次々と入港し、獲れた魚を下ろしている。魚は風呂桶のような容器に入れられたあと、道路で待つトラックに移される。フォークリフトで風呂桶を持ち上げ、底のかんぬきを外すと、無数の魚が液体のようにトラックに流れ込む。中には勢い余って道路に飛び散る魚もある。これを狙って、たくさんのカモメが上空を旋回している。いそがしく動き回るフォークリフトや出入りする漁船の動きが面白く、つい見とれてしまった。あとで宿の人に聞いたら、獲れる魚は鮭・鱒の類で、一週間程前からこんな状態が続いているとのことであった。

宇登呂漁港

知床五湖

 今日は1日数本ずつしかない定期路線バスを乗り継いで、知床の名所めぐりをする予定である。各名勝地での時間配分も適当で、我ながらなかなかうまいスケジュールだと思う。
 ウトロ温泉8時50分発の定期路線バスで、まずは知床五湖へ。

 駐車場には航空会社のロゴが入った貸切バスが何台も止まり、旗を立てたガイドが観光客を引率している。

 大急ぎで5つの湖を見物したあと、知床大橋から引き返してきたバスで自然センターに向かう。センターのカウンターで荷物を預かってもらい、『乙女の涙』まで散策。ススキの草原を10分ほど歩くと、断崖の上に立つあずまやに着く。
 黒い岩肌を細く流れ落ちる滝。左手には蒼いオホーツク海。右手には紅葉が始まった羅臼岳や硫黄山が見える。団体客の来ない場所は驚くほど静かで、他に人の姿はない。
 一服したあと携帯電話の表示を見たら、意外にも圏外表示が消えていたので、職場に電話をしてみる。受話器を通して最果ての原野に慌ただしい朝の雰囲気が伝わってくる。幸い、緊急の用件などはないようであった。もっとも、これから急に帰れと言われても、今日中に奈良に帰れるかどうかは定かではないが。

乙女の涙付近で

知床峠から見た羅臼岳

 自然センターからは、1日2往復しかないバスで知床峠に向かう。
 峠の停留所でバスを降りると、手が届きそうな場所に国後島が見える。もちろん、目も前には羅臼岳がそびえている。
 相変わらず、パックツアーのバスが多い。峠でいた50分間に10台以上の貸切バスが止まった。バスを降りた乗客は、峠の標識をバックに記念撮影をしたのち、足早に去って行く。もうちょっとゆっくりしてもいいのにと思うが、土産物店も何もない場所は、あまり長居をするところではないらしい。昔、国鉄全線を踏破するコンテストがあって、終着駅の駅名標を入れた証拠写真が要求されたことを思いだした。

 羅臼で折り返してきたバスに乗り、14時15分、斜里着。

■斜里〜網走

 4732Dは、北海道色のキハ40単行で、たった4人の乗客を乗せ、定刻、斜里を出発した。ワンマン改造されてはいるものの、ふわふわしたエアサスの乗り心地と緩慢な加速ぶりは昔のままである。

4732D(キハ40 827)・斜里駅にて

 程なく列車右手にオホーツク海、左手にトーフツ湖が見えてくる。冬場、流氷で埋まるオホーツク海はたおやかで、釣りざおを垂れている人がたくさんいる。あとできいたら、鮭が釣れるのだそうだ。原生花園のお花畑では、ハマナスが赤い大きな実をつけていて、数人の乗車があった。

 網走手前の桂台では、高校生が大挙して乗り込み、通路までいっぱいになる。網走到着後、彼等は一斉にホーム向かいに停車中の釧路行きに乗り込んでいく。通学定期は自宅から学校最寄り駅までのはずだが、彼らは網走までの定期券を所持しているのであろうか。

 古い跨線橋を渡って、改札口を出る。もとの駅事務室は、大半のスペースがオープンカウンターの旅行代理店となり、連動制御盤は衝立で仕切られた一角に追いやられていた。

■網走〜能取湖〜サロマ湖

 湧網線代行バスは、網走駅のはずれのバス乗り場から出発する。

 2ドアの路線バスタイプながら、ピカピカの新車である。大曲をすぎたところで、左手にサイクリングロードとなった旧湧網線跡が見えてきて、すぐに大きなガーター橋で国道をオーバークロスしている。現役時代、こんな巨大な構造物があった記憶はないのだが、自転車のためだけに橋をかけたとは思えないから、やはり鉄道の遺構なのだろう。

旧湧網線を利用したサンゴ草橋
後方に能取湖とサンゴ草が見える。

湧網線代行バス

 卯原内の集落手前の『診療所前』停留所で下車し、紅く色づいた能取湖のサンゴ草を見物。能取湖に流れ込む卯原内川には、湧網線を転用した『サンゴ草橋』が架かっている。PC桁の銘板を見たら、次のような表記があった。

新卯原内川橋りょう

設  計 旭川鉄道管理局
施  工 株式会社生駒組
設計荷重 KS=14
基  礎 くい打φ60cmL=12.5m8本
基礎根入 けた座面から5.85m
着  手 53年1月
しゅん工 53年3月

 完成後10年を経ずして廃棄された鉄道橋梁は、通る人のないサイクリングロードとしてひっそりと佇んでいた。

 後続の中湧別行きに乗り、17時半すぎ、サロマ湖畔のホテルに着く。

黄昏のサロマ湖

 大手私鉄系列のリゾートホテルであるから、従業員の身なりや態度はさすがに行き届いている。今はオフシーズン料金とかで、奈良駅のTisで買ったクーポン券との差額が返金され、実質的な値段は意外な程安くなった。

| 次のページ | 日程表 |