急行だいせんと山陰最果て鈍行旅行(5)


仙崎駅にて

■仙崎経由・下関へ

 山陰線を下関に急ぐ鉄道旅行者が乗り継ぐべきは、跨線橋を渡ったところに待機しているキハ40型単行の975D小串行きである。
 けれども、その発車までには30分以上の待ち時間があり、その間を利用してうまいタイミングで仙崎までの盲腸線(山陰本線仙崎支線)を往復できることがわかっている。計画立案の段階で、私は何という巧妙な乗り継ぎかとほくそ笑み、同じ行程をたどる鉄ちゃんが少なくないであろうと予想していた。

 けれども、長門市駅0番線のキハ23型単行ワンマンカーに乗り継いだのは私一人で、ちょっとがっかりした。

仙崎駅本屋

仙崎駅にて

 13時35分、長門市発。緩い左カーブを曲がると、程なく場内信号機が見え、わずか3分で終点仙崎に着いた。
 あらかじめ調べておいた仙崎駅は、開放的な鉄筋陸屋根風の建物のはずだが、駅前広場から見る駅本屋は、木造の古風な建物のようにも見える。よーく見ると、木造風の鉄筋造りであることがわかった。何のキャンペーンかは知らないけれど、観光客目当てに最近改装したようである。
 駅前広場には数台のタクシーが客待ちをしていた。このあたりはカマボコなどの水産加工品が特産となっている。1軒位はそういう店があるかと期待したが、営業中の店はもちろん、行き交う車や人の姿も見かけず、ゴーストタウンのような光景であった。

 十数分の滞留ののち、13時54分の長門市行きで折り返す。やはり3分で終点長門市着。跨線橋を渡って、さっき見たキハ40型単行ディーゼルカーに乗り換える。14時02分、隣のホームに厚狭からの731Dが到着。キハ120型気動車にほぼ満員の乗客が乗っている。そのうち、数人が我が975D・小串行きに乗り換え、列車はゆっくりと長門市駅をあとにした。

 今度の列車は、冷房がついている。乗車率は座席の半分が埋まる程度だ。相変わらず、鉄道旅行者が半分、地元客が半分といったところである。
 突然、私の隣のボックスに腰掛けたおっさんが大声で話し出した。携帯電話で、駅への迎えを呼んでいるようである。その横では、茶髪の若い女の子が、やはりケータイを使って何やら楽しげにお話中である。話の内容は聞く由もないけれど、ちょっとはにかんだり、笑ったり、あるいは真剣な顔つきになったりする。都会のそこここで見かける光景と何らかわりがない。
 けれど、この列車は、大都会の近郊電車ではない。本州の最果て・山陰の山あいを走るローカル列車である。車窓に見えるのは、深い山と谷、その向こうに鈍く光る日本海だけ。こんな"辺境"にも、携帯電話は広く浸透しているのである。恐ろしいスピードで進む情報化、そんなことには我関せずと走り続ける30年まえのディーゼルカー。何とも奇妙な取り合わせであった。

 特牛(こっとい)という駅がある。鉄道クイズの類いには必ず登場する難読駅である。時期によっては、特急列車も臨時停車する駅なので、どんなところかと期待していたが、何の変哲もない山あいの小さな駅に過ぎなかった。くだんの携帯電話のおっさんは、この駅で下車。

 空がにわかに暗くなり、雨がポツポツと落ちてきた。15時09分、小串着。隣のホームで待機しているキハ58系2連の下関行きに乗り換える。駅ごとに列車に乗るお客の数が増える。こざっぱりとした新しい住宅も増えてきた。列車は、下関都市圏に入っている。車窓右手には、鉛色の玄界灘が見える。天気がよければ、九州の山並みも望めるというが、今日は厚い雨雲に遮られて何も見えない。

下関駅にて

九州からやってきた415系電車(下関駅にて)

 複線電化、太い山陽本線の線路に挟まれるようにして幡生に到着。
 幡生駅を出て、車窓右側には草ぼうぼうの空き地が見える。幡生操車場跡地である。わずかに残った活きた線路には、『吹』の区名札を差したEF66や『岡』のEF210がパンタを下ろしている。構内係の青旗に誘導されて、EF81重連がゆっくりと移動している。大阪から約700Km、私はひたすら裏街道をたどってきたが、表街道の山陽線を突っ走ってきた貨物列車は、ここで関門間専用の交直流機関車に付け替え、いよいよ九州に乗り入れることになるのだ。

 15時51分、たたきつけるような雨の中、本州最西端の駅・下関に到着。

続く


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