急行だいせんと山陰最果て鈍行旅行(4)


須佐駅にて

■本州最果て列車旅

 益田から先、山陰線の特急列車は、その大半が山口線に乗り入れる。京都から山陰線に並走してきた国道8号線も、益田からは津和野を経て山口、小郡へと抜けている。ここから先、萩を経て長門市、更に下関までは、歴史ある山陰本線の中でももっともあとに開通した区間だ。明治30(1997)年、京都-大宮(現在は廃駅)間で営業を始めた山陰本線が全通したのはじつに昭和8(1933)年2月、須佐-宇田郷間の開通時のことである。

 昭和8年と言えば、東京や大阪では、既に国電型の電車が走り始めた時期である。この頃に及んでやっと鉄道が開通したということは、逆に言えばもっとも開発が遅れた場所であったとも言える。言わば、本州の最果て線区なのである。

 貧弱な跨線橋を渡った3番乗り場で待っていたのは、キハ23単行のワンマンカーであった。
 煤けた車体の窓はすべて開け放たれている。床下からは、DMH17型ディーゼル機関の熱気がもうもうと立ち上っている。天井では扇風機が首を振っているけれど、熱気をわずかにかき回しているだけで、ほとんど効果がない。本州最果てのディーゼル列車は、ひさしぶりの非冷房列車なのであった。

 定刻、何の合図もなくドアが閉まる。

 『出発、進行!、後部オーライ!』

 運転士の大きな喚呼の声が聞こえ、おんぼろディーゼルカーは車体を震わせて動き出した。
 

益田駅本屋

キハ23(益田駅)

 しばらく、かぶりつきで見物。
 左手に山口線を見送った列車は、渾身の力を振り絞り、島根-山口県境の峠へと勾配をよじ登る。それにしても、この線路荒れ具合はどうしたものか。本線とは名ばかりの急勾配・急カーブの連続。線路には勢いを失った夏草が茂っている。道床のバラストは見えず、緑色の雑草の中に2条のレール踏面だけが光っているところもある。これまでかなりのローカル線に乗ったけれど、これほど手入れのなされていない線路も珍しい。

 自席に戻って、少し早いランチタイムとする。
 列車の旅は、ただ単に座席に腰掛けているだけである。車窓をぼーっと眺めている時間が多く、脳細胞もほとんど使わないから、時間あたりのカロリー消費は恐らく最小である。けれども、なぜかよくお腹がすく。出雲市で買った『かに寿し』があるにも関わらず、私は益田駅ホームでも『かにずし』を発作的に買ってしまった。2つの弁当を開いて、豪華な『カニ寿司』対決である。

出雲市駅 かに寿し 税込み930円

益田駅 かにずし 税込み900円

 写真左は、出雲市駅の『かに寿し』、右は益田駅の『かにずし』である。縮小率は同じでないから、写真では単純な内容量の比較はできないが、ぱっと見の容量は双方ほぼ互角である。

 『かに寿し』のほうは、八角形の斬新なパッケージである。フタ部分が容器と一体となっているのは、缶飲料のプルタブが外れないのと同じ、ゴミ散乱防止策と見た。『かにずし』はスチロール樹脂の容器に松葉がにの絵柄の紙をかけ、紐で結んだ昔ながらの駅弁スタイル。アイデアの『かに寿し』vs伝統の『かにずし』、パッケージの勝負は引き分けである。

 フタをあけると、両者ともにすし飯の匂いがぷうんと鼻につく。出雲市はかにの脚肉が1本半。あとはほぐし身が敷き詰められている。朝、駅で購入してから時間が経っていることもあるが、具がすこしく乾燥しているような感じだ。対する益田のほうは、豪華にも脚肉が無数に載っている。細切り昆布の佃煮が添えられている点は両者同じであった。

 まずは出雲市から箸をつけてみる。ご飯のねばりはほどほど。錦糸卵のほか、ちくわやれんこん、グリンピースなど、多彩な具材が楽しい。いっぽう、益田のほうは、すし飯の酸味・甘味が強すぎるような感じだ。季節柄、やや強めの味付けにしているのかも知れないけれど、舌が痺れて、肝心のカニの味がよくわからない。

 結局、この『カニ寿司』対決、食品としての見かけや中身、味付けについては甲乙つけがたいと判断した。ただし、乗る人の少ないホーム売店で今なお店を開いている益田駅の『かにずし』に、特別賞を授与して勝負を終えることにする。

キハ23型・573Dの車内

181系特急いそかぜ(江崎駅)

 時ならぬ駅弁対決にひとり悦に入っている間に、列車は小さな駅に停車中であった。江崎駅。小倉からやってくる特急いそかぜと交換するようである。
 特急いそかぜは、益田-下関間では唯一の優等列車で、かつて、大阪-博多間を結んだ山陰線の女王・特急まつかぜの西半分のなれの果てである。九州から長門市や萩への観光客をあてこんだダイヤ設定になっているが、果たして利用率はどのくらいなのであろうか。たった3両の短い列車で、少しタイミングのずれるディジタルカメラのシャッターを切れば、ファインダーの中に列車の姿はなかった。

 12時52分、東萩着。毛利氏36万9000石の静かな城下町・萩の玄関口である。秋芳洞や津和野とセットになった観光客の出入りは、その多くが観光バスなのであろう、駅ホームには、観光地らしい華やいだ雰囲気は感じられない。
 3番線には、転換クロスシートに改装されたキハ58系2連が停まっている。今春の山陽新幹線厚狭駅開業に併せて、美祢線経由で萩に観光客を呼び込むための列車で、12時19分に快速北長門3号として東萩に到着後、15時21分に同4号として折り返すまで、昼寝をしている。

 その後、ほとんど乗降がないまま、13時30分、長門市着。

続く


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