スペースライナー(車両は2代目)

 スペースライナーは、奈良ドリームランドの園内を"8の字型"に走るモノレールである。

 『要するに遊園地の乗り物ね』なんぞと侮ってはいけない。実は、日本を代表する重電メーカー・東芝の作品である。上の写真をご覧になれば分かると思うが、例えば軌道や駅舎には、単なる遊具を超えたある種の風格さえ漂っている。

 なぜ、東芝がこんなものを造ったのか。その訳を知るには、日本の都市モノレールの歴史を紐解かねばならない。

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 敗戦から10年---昭和30年代に入ると、東京都内の自動車は、爆発的とも言える増加を示した。

 当時の都市交通の主役は路面電車(都電)であったが、近い将来、その輸送力が限界に達することは誰の目にも明らかであった。路面電車に代わる都市交通のエース・地下鉄の建設は急ピッチで進められたが、その膨大な建設費は常に問題となっていた。

 そこで登場したのがモノレールである。道路上に簡易な桁を渡すだけで、路面電車を遥かに超える輸送力が得られる。これまで利用されていなかった空間を利用するだけだから用地代は僅少で済み、自動車による道路渋滞とも無縁だ。

 1957年、東京都交通局は独自技術で上野動物園に延長331mの懸垂式モノレールを建設する。実態は遊園地の乗り物であったが、法律(地方鉄道法(当時))に準拠した我が国初のモノレールであり、将来の都市交通機関としての可能性を確かめる試験線的な意味合いが大きかったという。

 こうした"お上"の意向を機敏に察知することは、我が国企業のもっとも得意とするところである。重電メーカー各社は、モノレールの実用化に向けて一斉にスタートを切ることになった。

 とは言え、いきなり未知の乗り物を独自開発することにためらいを感じる企業も少なくなかったのであろう。1960年8月、まず日立が西ドイツのアルヴェーグ(ALWEG)社と跨座式モノレールに関する技術提携を結ぶ。
 これを知ったライバルの東芝は、独力でモノレールの実用化に挑むのだが、その早業ぶりは驚嘆すべきもので、1960年に工場内に試験線を造り、翌1961年7月には、奈良ドリームランドに日本初の跨座型モノレールを完成させてしまったのである。

 スペースライナーの乗り場。

 鉄筋コンクリート造の高架駅で、V字型の柱などに未来感覚の遊び心を感じる。いまも残る開園当時の建物は大半が木造であるなかで、場違いなほどに立派な施設である。

 今回、訪問の直前に知ったことだが、スペースライナーは2003年夏から、1年半以上も営業を休止しているらしい。公式HPにもその名はなく、ここが乗り場であることを示す看板も撤去、階段には柵が設けられている。どうやら、一時的な運休ではなく、完全に運転を止めてしまった可能性が高いのだ。

 というわけで、残念ながら動いているモノレールを見ることは叶わなかった。

 岩山を背景にして、乗り場に止ったままのスペースライナー。

 一見したところ前後の区別がつかないが、8の字型のエンドレス軌道なので、進行方向は常に同じ。こちらが最後部にあたる。

 開園当時、モノレール乗り場の下には、名物アトラクションである潜水艦があった。今はコース(池)も埋め立てられてしまい、陳腐なアンティークカー乗り場となっている。

 こちらが先頭車両。いちばん手前の橋脚がやや沈下しているように見えるのは気のせいか。

 軌道の総延長は約800mで、上野動物園の2倍以上である。列車は1編成しかないので、信号システムは恐らく装置されていなかったのではないか。

 なお、現在の車両は2代目にあたり、初代のものは東芝が保管しているという。

 運休から1年。軌道ははやくも蔦に覆われ始めた。

 真っ赤に色づいたその葉っぱは、どこか淋しげだ。

 昭和30年代、日本各地で様々なモノレール路線が計画されたが、いずれも当時の運輸省の許認可を得るのに大変苦労した形跡がある。

 交通機関は安全が絶対条件であり、監督官庁としては、過去に例がない乗り物に安易にお墨付きを与えられないということだろう。日立が外国技術の導入を図った背景には、欧州での実績をそのまま認めてもらおうという思惑もあったと思われる。
 これに対して、運輸省の権限が及ばない遊園地の遊具として、電光石火のごとく実用路線を開業させてしまった東芝の知恵には、ただただ脱帽するほかない。東芝は、ここでの実績をもとに、将来性が期待できるモノレール市場で有利な地位を占めようと考えたのである。

 もっとも、その後のモノレール史を見る限り、東芝式跨座型モノレールは決して成功を収めた訳ではないようだ。

 1962年、犬山動物園に小規模なモノレールを完成させた日立は、1964年、本命である東京モノレール羽田線を開業する。
 これに対して東芝は、国鉄大船駅から横浜ドリームランドへの実用交通機関として、1966年5月に地方鉄道法に基づく全長5.3Kmのモノレールを開通させる。路線の延長も計画されたが、軌道の強度に疑念が生じ、翌1967年9月には営業休止に追い込まれてしまう。更に東芝式そのものがアルヴェーグ社の特許に抵触しているとして係争も起きた。

 結局、東芝式跨座型モノレールは、奈良と横浜のドリームランドで採用されただけで、その後の実用化例はない。

 長らく放置されたままであった横浜ドリームランドのモノレールは、2003年から軌道の解体工事が始まり、間もなくその姿を消す。奈良ドリームランドのスペースライナーも1年近く休止しており、このまま廃止される公算が強い。

参考文献

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制作:2004年12月12日 修正:2005年1月21日